私は毎年熱い夏の時期になると、どこにいても煙草と男性の汗ばんだ匂いが鼻にまとわりつく瞬間がある。酷い時はあの夏の記憶がフラッシュバックする。
私は高校の夏、××された。
確かな記憶は無いが気が付けば狭い男の家で布団の上に男と寝転がっていたのだから、確定に近い。
気の毒な私。可哀想な私。でもこのお話がループものだとしても私は同じ結果を辿るでしょう。あぁなるべくして私は一生拭えぬ泥を被ったのだから。
私の実家は酷い田舎にあって小学校も中学校もひとつしかない。9年間ずーっと同じメンツ。1度決まったカーストは覆せず、私はずっと虐められていた。でも漫画に描くような派手な虐めでは無い、気まぐれに取り残されたりバカにされたり無視されたり。友達の悪ふざけと言ってしまえば済まされる程度の事。
虐めの発端は私が絵を描いたことだった。
そこは本当に酷い田舎で「子供は外に出て運動」というのが条例の様な場所。私は気管支炎を持っていて運動は出来ず、外に出れば熱中症を起こす程の貧弱体質であった。体育の時間に見世物の様に走らされるのは当然。運動ができる=優秀なこの場所で、私は底辺カーストにいた。
しかし幸か不幸か転機が訪れる、小学校中学年の時、私の描いた夏休みの宿題のポスターが賞を貰った。常にスポーツ系での勝者しか立てなかった体育館の壇上に、私は絵を描いた事で立ったのだ。私は漫画やゲームが好きだったのでそれを沢山見て模写し、休み時間はいつも自由帳に絵を描き次の夏もまた賞をとった。 自由帳いっぱいに絵を描いているとふと誰かが言った。
「オタクじゃん」思えば周りにここまで漫画やゲームに熱中している人などおらず、外にも出ないで絵を描き続ける私はこの閉鎖的な田舎では異物だったのだろう。インターネットもあるにしろほとんど興味を持たれていない時代。私の地元ではオタクという言葉は今とは違って人を貶す時に使うものだった。
「厨二病だ、近づくと馬鹿になるぞ」私は漫画が好きだった影響から自身でも漫画を描いていた。アニメを観て沢山勉強した。それ故に口ぶりや考えも少し歪んでいたのかもしれない。でも本当に傷も無いのに胸が痛んだり不思議なものが見えたりしたんだ。馬鹿にされて、言い返す程に弄ばれる。抵抗する程にからかわれる。大人に言えばこの虐めは悪化する。私は現状に呆然としてされるがままでした。
尾ひれが付いてくだらない理由で私は生ぬるいいじめを喰らって小学校生活を送った。ここで終わりなら私もこうして文字に起こすことは無いでしょう。
ぬるいいじめと言えどやはり大人は雰囲気でバレてしまうらしく…最悪の形で私の母に伝わってしまった。
私の担任の先生の離任式の日にその先生を送る会として、田舎唯一の料理屋さんで打ち上げがあった。基本夜に外食はさせて貰えないので私も初めての事にワクワクしていましたが大人がいるにも関わらず、同級生が私を小突いたり私物を隠したりしたのだ。親に虐めを見られたく無かったので、私は静かに宴会の席から外れて廊下の様な場所で呆けていた。
しかし私のその行動のせいからか酔った母に私が虐められていることが伝わり、今まで聞いた事のない声音と恐ろしい形相で酒瓶を持って母は大暴れし始めた。アルコールの回った状態で我が子がいじめられてると伝えられ、いじめてるであろう子供を目の当たりにしてしまえば流血沙汰になったというあの夜も当然だった。当の私は優しい母が人に向かってなにか投げたり、大勢の大人に取り押さえられる姿が恐ろしくてどうやってその場が収まったのか、どうやって私は家に帰ったのか覚えていない。
酷く脳に焼き付いたのは、自宅のリビングで電気も付けず椅子に座って大泣きする母の背中であった。
その日から母は私を教室まで迎えに行ったり、担任の先生に何か困らせる事を言ったりする様になった。
続く
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