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恋人を避難バスに乗せるため、敢えて病院に残った桜田はアルミ製の道具箱を抱えて、松葉杖で院内を歩き回りながら、地震で壊れた照明器具などを直して回っていた。彼が電気工事の技師だという事を、亮介はそれを見て初めて知った。
回診を終えて廊下に出た亮介は、ばったり桜田と顔を合わせた。桜田は、ちょうどいいところに、といった口調で亮介に訊いた。
「牧村先生。ネットが出来るパソコンはねえのかな?」
「インターネットですか。院内のパソコンは地震の時に壊れた物が多くて。院長室のパソコンはなんとか無事ですが、回線が不通ですから、無理じゃないかな」
「パソコン本体は無事なんだな? じゃあ、ダメもとでやってみるか」
「桜田さん。修理して下さるのはありがたいですが、あまり無理しないで下さいよ。あなただって入院患者のうちなんですから」
「大丈夫だよ、これぐらい。足の骨がくっ付くのを待ってるだけの若い俺が、のんびり寝てるわけにゃいかねえ。無理はしてねえから」
それからの日々は、もう今日が何月何日なのかも分からなくなるほど、単調な毎日の繰り返しだった。入院患者の容体を定期的にチェックし、最低でも一日に一人の割合で、死亡を確認した。
南宗田市は、屋内退避指示の対象ではない地区も含めて、完全に外部から孤立していた。わずかに残った市民は屋内に閉じこもり、人気も車の音も何も聞こえなくなり、かすかな波音と海鳥の声だけが、時折思い出したように響くだけだった。
医療品どころか、スーパーやコンビニへの配送のトラックさえ来なくなり、新聞も震災以来一度も届いていなかった。病院のテレビが唯一の情報源となったが、石巻や釜石などの惨状は繰り返し流されたが、南宗田が取り上げられる事は全くなかった。
一度院長がマスコミを通じて市内の窮状を伝えてはどうかと思い立ち、衛星電話で市長に話をしたが、市長は苦々しげな口調でこう応えた。
「マスコミの記者なんざ、真っ先に逃げ出した。俺のとこにも電話でしか取材して来ねえ。現場に来もしねえ相手に、どうやって状況を伝えろってんだ?」
いったい何日経っただろうか。意識不明だった患者二十三人のうち、十名が死亡した。残り三十人の患者のうち、五人が死亡、七名が新たに意識不明状態に陥った。計二十名の意識不明患者と十八名の意識はあるが予断を許さない状態の患者を抱えて、南宗田中央病院の機能はじわじわと崩壊しつつあった。
病棟の回診を終えた医師たちがそろって廊下を歩いていると、桜田が松葉杖でカンカン音を立てながらやって来た。出来れば走って来たい様子だった。桜田はうれしさで紅潮した顔で大声で言った。
「先生たち! 院長室のパソコンが直った。ネットが使えるぞ!」
医師たちは一斉に「おおっ!」と歓声を上げた。宮田も話を聞きつけて小走りに寄って来た。児玉が桜田の体を軽々と抱え上げ、全員で院長室に向かった。
院長室のやや旧式のデスクトップパソコンは、既に画面が開いていた。その横からコードでつなげられている、携帯電話のような見慣れない機械に亮介は目を留めた。
「桜田さん、それは何です?」
亮介の問いに、桜田は子供の様に自慢気な表情で答えた。
「無線接続用の機械だよ。まだ珍しいけど、LTEっていうんだ。なんとか接続出来た」
「それは助かった」
院長も久しぶりに弾んだ声で言った。
「桜田さん、ありがとうございます。じゃあ、甘えついでに検索をお願いできますか? お恥ずかしいが、私はネットにはあまり詳しくないので」
「おう! 任せてくれ」
桜田は院長の椅子に座り、マウスを手慣れた手つきで操って、あちこちのサイトを画面に映し出した。南宗田市の情報を探すが、市役所のサイト以外にはなかなか見つからない。やがて桜田がいぶかしそうな声を出した。
「マイチューブ? なんで動画投稿サイトに南宗田の名前があるんだ?」
「桜田さん、とにかく見てみましょう」
院長に促され、桜田はそのサイトを開いた。接続が不安定らしく、何度もマウスをクリックしてたどり着いたのは、動画の表示ウインドウだった。途中の部分にアクセスしてしまったらしく、いきなり一人の人物の上半身が大写しになっている画面になった。
「食糧、それから特にガソリンが不足しています。兵糧攻め、まるでそんな状態です」
抑揚のない口調で淡々と語るその人物を、その場の誰もが知っていた。目は落ちくぼみ、頬はげっそりとこけていたが、頭頂部まで見事に禿げ上がった部分の肌は、つやつやしたままだった。
草野球などをやっていると、いつもどこからともなく顔を出し、子供たちから面と向かって「ハゲじっじ」とからかわれながら、豪快に笑っていたあの顔だった。南宗田の市長の顔だった。
「こんな方法があったとは!」
院長が目を丸くして言った。
「やるじゃねえか、市長!」
児玉は嬉々とした表情で、丸太の様に太い右腕でガッツポーズを作った。選挙の時に反市長派だった山倉は、意地を張って面白くなさそうな表情を顔に浮かべたが、その眼は明らかに嬉しそうな光をたたえていた。宮田がおどけて黄色い声を出した。
「よっ! ハゲじっじ! かっこいいぞ!」
誰もが、これで助かったと思った。だが画面を見つめていた桜田が、一転して不安げな口調で言った。
「なんで、外国語の字幕がついてんだ?」
「えっ?」