ロザリア帝国中心部に位置する『帝都ロザリアス』。皇帝が君臨し帝室一族や大貴族が住まう帝国最大の都市であり、人口は優に百万を越えると言われている。
帝国の首都だけありライデン社の技術による近代化の影響を最も受けており、市街地は大規模な区画整理が行われ石炭燃料の自動車が行き交い機関車による帝国初の鉄道すら備えていた。
鉄道の有効性は実証されたものの、保守的な政府や帝室により帝国全土を鉄道で結ぶライデン社の計画は遅々として進まなかった。
また開発計画が進む航空機や飛行船のために、新たに空港の建設計画も準備されている。
更に電気の発明と普及により帝都は夜も明るく照らされ、一部の電化製品が市場に出回り始め市民の生活水準はゆっくりとではあるが向上しつつあった。
華やかな帝都はどこか陰湿なシェルドハーフェンとは真逆の世界。
怪しげなものが闊歩し、夜の繁華街は娼婦で溢れ、不法な取引や殺人が日常茶飯事。
そんな街が帝国にあることを彼らは知らない。知ろうともしない。それ故にシェルドハーフェンは暗黒街と化したのである。
そして帝国では近代化を推し進めようとするライデン社と、保守的な勢力が熾烈な争いを繰り広げている。
ライデン社の画期的な発明や理論は社会を便利で豊かにするものばかりだが、それは既得権益を侵害する行為であった。羊皮紙ギルドを初めとした各ギルドは団結してライデン社に抗い、そしてこれらの利権はそのまま政府や帝室の利権に直結している。
ライデン社の発明を受け入れることは、すなわち自分達の利権を投げ捨てるようなもの。いくつかの妥協こそ行われているが、根本的な解決にはほど遠い。唯一理解のある軍部も予算などの問題から更なる新兵器の導入には二の足を踏んでいる。
これらが要因となって、帝国の技術水準は随分と歪なものになっていた。車が本格的に導入されているのは帝都のみ。地方は未だに馬車が主流であり、自動車や鉄道など見聞きしたこともないのが実情であった。
そのロザリアス中心部には、皇帝が住まう翡翠を使った美しい宮殿『翡翠宮』が存在しており、その周囲を囲むように帝国に存在する大貴族の屋敷が連なる『貴族街』が存在する。もちろん平民は一切の立ち入りを禁じられて、従わないものは容赦なく処断される。
そこにある大貴族の屋敷の一つ、美しい噴水を中心とした庭園が良く見える展望室に、二人の影があった。
一人は老齢の執事。白髪頭に老いた様子は見られるものの身体は執事服の上からも分かるほど引き締まり、老いによる衰えを一切感じさせない存在感を持っている。
もう一人は気品あるドレスを纏い扇を手に持ち、美しい金の髪を肩口で切り揃え、整った目鼻立ちに気の強そうな紅く鋭い瞳を持つ十代後半の少女。この屋敷に住まう大貴族の令嬢である。
穏やかな陽光が庭園を照らす正午前、二人は人目を忍ぶように静かな語らいを行っていた。
「お嬢様、本当に宜しいのでしょうか?あの様な下賎な者に星金貨は余りにも破格の対価かと。これに味を占めて来ないか不安がありますが」
「構いませんわ。それに、例の噂の真意を確かめられるのならば安い金額ですの」
「はっ」
「噂が真実である可能性はゼロに等しいけれど、万が一もありますし、何よりも安心を買うためですもの。それなら星金貨十枚程度安いものですわ」
「承知致しました。この件、旦那様にお伝え致しますか?」
「お父様はご多忙ですわ。この程度の噂話でお邪魔をしたくありません。それに、今回の報酬は私の個人的な貯蓄から払いましたもの。御家に迷惑はかけておりませんから、事後報告でも何の問題もありませんわ」
「ではその様に。もし噂が単なる出鱈目であった場合は諜報部員を如何なさいますか?」
老執事は鋭い視線を向け、令嬢は振り向かず庭園を眺めたまま答える。
「処罰を与える必要はありませんわ。噂が出鱈目でも、暗黒街に巣食う闇の組織を一つ潰すことが出来ますわ。それはそれで帝国の、そして我が家の利益となります。無駄な出費とはなりませんもの」
「仰る通りかと。お嬢様の寛大な処置に感謝します」
「ただし、あちらに向かわせた使者については抜かりありませんわね?」
「無論でございます、お嬢様。接触後は然るべき処置を行う手筈となってございます。もちろんお嬢様や御当家が関与した痕跡は一切残さぬようにする所存。ご心配には及びませぬ」
「それならば良いのだけれど、下賎の者に任せるのは不安だわ。だって信用ならないし、失敗して私達の関与が露見しては大変だもの。だから、必要な処理は爺やがやって頂戴」
「宜しいのですか?お嬢様。しばらくお側を離れることになりますが」
「もちろんよ。爺や以外に安心して任せられる人は居ないし。それに、しばらくは穏やかな日々を送れる筈。お父様からもしばらく休むように言われてしまったわ。頑張りすぎだってね」
「身に余るお言葉、感激の至り。お嬢様も精力的に政務に励まれておられましたからな、少しばかりお身体を休めるべきと旦那様もお考えなのでしょう。無論爺めも賛成です」
「政治やら謀略やらは楽しいのだけれどね。少なくとも舞踏会やお茶会に出るよりマシだわ。ずっと悪巧みをしていたい気分なのよ」
「旦那様がお耳にされては嘆かれますぞ」
「分かってるわよ。貴族の淑女として社交界には出ますし、務めも果たします。爺やのお小言は聞き飽きたわ」
うんざりしながら肩を竦める。
「ご理解頂けて何よりでございます。それではしばしお暇を頂きます。数日以内に帰参しますので、お待ちください」
一礼して老執事は離れる。残された令嬢は庭園を眺めながら美しい顔を歪め忌々しそうに呟く。
「万が一にもあり得ませんが、もし噂通り生きているならば確実に殺して差し上げますわっ!あの女に与える罰は、家族皆殺しと裏社会に堕ちたくらいでは手緩いっ!」
ギチギチと手にした扇が軋む。
「舞踏会でこの私に恥をかかせた報いは必ず受けてもらいますわよっ!!シャーリィ=アーキハクトっ!一族根絶やしにするまで、地の果てまでも追い回して差し上げますっ!」
バキリと扇をへし折り、令嬢は怒りを露にする。
彼女の名前はフェルーシア=マンダイン。
帝国の大貴族マンダイン公爵家の一人娘であり、お茶会よりも政治、策略の類いを好む公爵令嬢である。そしてシャーリィと因縁を持ち、嫉妬深く陰湿で執拗な面を持つ。
あの事件から八年、黒幕が静かに動き始めた。それはシャーリィと『暁』に多大なる試練を与え、そして真実への道筋を示す戦いとなる。
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