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第八十二話 最後の約束
「……待ってて」
自分の口から出た言葉なのに、
彼はその意味を理解できなかった。
ただ、その一言だけが妙に鮮明だった。
「誰に言ったんだろう」
彼女が静かに尋ねる。
「……あの人に」
「どうして?」
「分からない」
彼は首を横に振った。
「でも、俺は戻るつもりだった」
二人は建物の裏にある階段を見上げた。
事故の日。
自分はここを通って、誰かのところへ向かっていた。
そして、その途中で事故に遭った。
「……この先に何かあるのかも」
彼女が言った。
彼は頷き、階段を上った。
二階には、使われていない小さな通路があった。
壁には古い掲示物が残っている。
その一つに、またあの印があった。
丸に一本線。
「ここにもある」
彼が近づく。
その横には、小さな文字が刻まれていた。
『戻ったら、渡す』
「……渡す」
二人は顔を見合わせた。
何度も出てきた言葉だった。
箱。
カレンダー。
写真。
そして、この場所。
「やっぱり箱を渡すんじゃない?」
彼女が言う。
「でも、さっきのメッセージでは『返そうとしたものは箱じゃない』って……」
「そうだったね」
彼は考え込んだ。
「じゃあ、俺が渡そうとしてたのは何なんだろう」
その答えを探すように、二人は通路の奥へ進んだ。
すると、突き当たりに古い窓があった。
窓の外には道路が見える。
事故が起きた場所も、少しだけ見えた。
彼は窓の前で立ち止まる。
341
まくら
135
みおん
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33
「ここ……」
「何か思い出した?」
「うん」
彼の視界に、過去の景色が重なった。
雨。
窓の向こうを走る自分。
そして、道路の向こうに立っている誰か。
『ここからなら、見える』
誰かの声。
『何が?』
『あなたが戻ってくるところ』
彼は息を止めた。
「……待ってたんだ」
「誰が?」
「俺を」
その瞬間、胸の奥に一つの感情が広がった。
怖さではない。
悲しさでもない。
――申し訳なさ。
「俺、戻れなかったんだ」
彼女は何も言わず、隣に立った。
「事故に遭ったから?」
「うん……たぶん」
彼は窓の外を見る。
「でも、約束したんだと思う」
「何を?」
彼は目を閉じた。
記憶の奥から、声が聞こえる。
『戻ってきて』
『うん』
『絶対?』
『絶対』
そこで記憶が途切れた。
「……絶対、戻るって」
彼女の目が少し揺れた。
「じゃあ、その約束を守ろうとしてたんだ」
「そうだと思う」
「だから事故の日も、ここに戻ろうとした」
彼は頷いた。
すると、スマホが震えた。
知らない番号からだった。
『思い出した?』
彼はすぐに返信する。
『最後の約束のことを少し』
しばらくして返事が届いた。
『それなら、もう箱を探す必要はない』
彼は画面を見つめた。
「……え?」
『箱は、約束を思い出すためのものだった』
『本当に探すべきものは、別にある』
彼女が息を呑む。
「別のものって……」
次のメッセージ。
『君が事故の日に、渡せなかったもの』
彼は黙り込んだ。
渡せなかったもの。
箱ではない。
約束でもない。
それなら――
何なのか。
さらに一通。
『それは、今も残っている』
「……どこに?」
彼が送る。
返事はなかなか来なかった。
やがて、一枚の画像が届いた。
古い写真。
そこには事故の前日の二人が写っている。
二人の間に、何か小さなものがある。
彼は目を細めた。
「これ……」
写真の中央。
彼女の手元にあるのは、小さな封筒だった。
そして、その封筒の上には――
銀色のチャームと同じ印。
彼は自分のチャームを取り出した。
「これ、俺が持ってたものと……」
「同じ印だね」
写真の裏には、短い言葉が残されていた。
『言葉にして渡す』
彼の胸が大きく鳴った。
「……言葉?」
彼女を見る。
「俺、何かを渡そうとしてたんだ」
「物じゃなくて?」
「たぶん」
彼は写真を見つめた。
事故の日。
誰かを守ろうとした。
戻ると約束した。
そして、渡せなかったものがある。
それが物ではなく、言葉なら――
自分は何を伝えようとしていたのか。
その答えだけが、まだ記憶の奥に隠れていた。
スマホが最後に一度だけ震える。
『その言葉を思い出す場所へ行って』
彼は画面を見つめた。
そして、写真の背景に写っている場所に気づく。
「……駅だ」
事故の前日。
二人が最初に写真を撮った場所。
すべてが始まった、あの駅だった。
コメント
1件
うわあ……今回、心臓がぎゅっとなったよ。 「戻るって約束した」のに戻れなかった切なさと、「渡せなかったもの=言葉」っていう真実、全部が優しくて苦しいよ……。 写真に残ってた封筒とチャームの印、ちゃんと繋がってたんだね。 次の「駅」がどうなるか、すごく気になる……!