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海の紅月くらげさん
小学校の頃、一番苦痛だったのは夏休みの絵日記だった。
普通なら友達と遊んだり、自由研究をやったり、家族と旅行に行ったり……そんなことを書くのだろう。
俺は自分の妄想や願望ばかりを絵日記に綴っていた。
小学校に入った時には既に家庭内崩壊をしていて、父も母も互いを疎ましく思っていて嫌っているのがわかった。
そのどちらにも俺の存在は映っていなくて、世間一般的に言えば浮気ということを両親はしていた。
なら何故、離婚しないのか。それは九條の家が許さないからだ。
冷めきった家庭で育った俺は、小学生の時からあまり感情を表に出さない子どもだったと思う。
嘘で塗固めた絵日記を学校の先生は気づくことなく、よくできましたとコメントしてくる。
「馬鹿みたいだ。どうせ……」
現実なんていつも苦くて痛い。
————小学四年生の夏休み。今年も楽しいことなんて何にもない。
「和葉、今日はお友達の家にでも行ってくれる?」
今日あの人がくるのか。
母さんがこう言ってくる日は、浮気相手が家にくる時だ。そういえば、父さんは出張だっけ。
父さんも出張と言いながら、きっと他の女のところに行ってる。
「……わかった」
夏だし、公園で野宿しても平気だ。冬はさすがに辛すぎて、物置で寝たっけ。
「和葉って本当に物わかりのいい子で助かるわ。早く離婚できたらこんな生活から抜け出せるのに」
「そうだね」
なぁ、母さん。
その場合どっちが俺を引き取るの? どっちにいらないって言われるの?
……俺は、必要としてもらえるの?
今日もまた聞けずに家を出た。
夏は嫌いだ。ギラギラとした日差しに、アスファルトの焼けた匂いと伝わる熱気。
俺は逃げるように大きな木の下にあるベンチに座った。
木漏れ日を感じる程度で、青々とした葉が夏の日差しから守ってくれる。
ここは静かだし、人通りが少なくて落ち着くから好きだな。
俺はただぼんやりと座っていた。
「ぁ、あの……」
声がした方を見ると、パジャマ姿の小さな女の子が立っていた。
怯えたような不安そうな、今にも泣き出しそうな表情。
「なんだよ」
どこかで見たことがあるような気がするけど、誰かは思い出せない。
「あ、あぁあのね!」
「は?」
顔を真っ赤にしながらもじもじと自分の手をいじっている。
「あげるっ!」
押し付けるように手渡されたのは小さな四角形。
「キャラメル?」
普段甘いものは苦手だからほとんど食べない俺にとって、久々に見たお菓子だった。
「いらね……あ、おい!」
返そうとした時には、少女は小走りで去っていった。
受け取ってしまったキャラメルをじっと睨みつける。甘いものは苦手だけど、捨てるのもなんだか嫌だな。
包み紙を開けて、口の中に放り込む。
「甘っ!」
口内でとろける濃厚なキャラメルの甘さに顔を歪ませながらも、吐き出そうとは思わなかった。
甘い味を感じたのは、久しぶりだった。
それから俺がベンチに座る度、女の子がキャラメルを渡しにくるようになった。
いつも泣き出しそうな表情で、自信なさそうに渡してくるのが恒例。
彼女の大きな瞳からいつ涙が零れ落ちるかと毎回ハラハラした。
「あ、あげる!」
この日もキャラメルを渡された。
俺はいつの間にかそれを待ち望んでいて、自分のことを待っていてくれる存在がいてくれることが嬉しかった。
大げさかもしれないけど、彼女が俺を見てくれている唯一の存在な気さえしていた。
でも、この女の子のことを俺はよく知らない。会話も大して交わさない。
キャラメルを貰うだけの不思議な関係。
「……ありがとう」
初めてお礼を言ったと思う。
彼女は驚いたように大きな目を見開く。
「あ……えっと、うん!」
頬を赤らめて眩しいくらいの笑顔を見せた。
俺はこの子がいつもパジャマな理由も、キャラメルを渡しにくる理由も知らない。名前すらも。
「お前、なんでキャラメル渡しにくるんだよ」
「甘いものを食べるとしあわせな気持ちになれるんだよ。みちね、いつもあそこの窓から見てたの。今日も内緒で抜け出してきたんだぁ」
彼女が指をさした先には、病院があった。
やっとパジャマな理由がわかった。この子はあそこの患者だったんだ。
「病気、なのか」
「他の子よりも体が弱いんだって。だから、体調崩しちゃって時々入院しちゃうの」
「……ふーん」
少し眉を下げ、歯を見せて笑った。なんだか気まずくて目をそらす。
「ずっとね、気になってたの。いつも泣きそうな顔してたから」
「は?」
「だからちょっとでも幸せな気分になってくれたらなって思って」
いつも泣きそうな顔でキャラメル渡してきたのは自分じゃねぇかよ……。
腹のあたりが熱い。イライラして落ち着かない。
「つらいの……?」
「つらくなんかねーよ!」
つらくなんてない。もう慣れた。
互いを嫌いあう両親は平然と息子の前で他の相手と、幸せそうに笑っている。
そんな場面本当は見たくない。でも、嫌でも慣れるしかない。それが小学四年生の俺の現実。
踵を返すと、「帰るの?」と聞かれる。
「……わかんねぇよ」
「わからない?」
「親から帰ってくるなって言われてるから。……どこに行けばいいかわかんないだけ」
泣きたくなんてないのに勝手に涙が溢れ出てくる。
俺がほしいものは、お小遣いでもゲームでも漫画でもない。
家に帰ったら家族が笑顔で待っていてくれるような温かな日常がほしかった。
時間をどこかで潰すのも、最近では苦しくてたまらない。
「もう一人で過ごすのは嫌だ……」
「じゃあ、俺がお前を拾ってやる」
聞こえてきた声は女の子の声ではなかった。
「は……?」
「久しぶりだな」
「……武蔵、だっけ」
年に数回しか顔を合わせないから仲が良いわけではないけど、無駄にテンションが高いから覚えている。
「それはそうと、イトコ!俺の家に来ないか?」
何言ってんだコイツ。遊びにこいってことか?
「武蔵くん、そんな呼び方しちゃダメだよ。和葉くんって名前だよ」
女の子が武蔵の腕を引っ張り、困ったような表情で言った。
名前教えてないよな。なんでこの子が俺の名前を知ってるんだ?
「和葉! そうか、そうだったな。じゃあ、俺の家に行くぞ!」
「おいっ! 引っ張んなよ! 意味わかんねーよ!」
強引に襟元を引っ張り、引きずって歩き出そうとする武蔵に必死に抵抗する。その様子を女の子が微笑みを浮かべながら見ている。
「お前、なんで俺の名前知ってんだよ!」
睨みつけると彼女は怯んだ様子でたじろぐ。すると、武蔵はきょとんとした表情で俺と女の子を交互に見た。
「知らないのか? みちよは歩の妹だぞ」
……言われてみれば、そっくりだ。
「お前……九條の人間だから近づいてきたのか」
「ち、 ちがうの!」
九條の家は嫌いだ。両親が崩壊家庭を続けているのだって、九條の家が許さないか
らだ。じいさんと一番上のおじさんは、すげー怖いし。
「私、本当に和葉くんが心配で……少しで良いから元気になってほしくて」
みちよの大きな目に今にも零れ落ちそうなほどの涙が浮かんでいる。
「笑ってほしくて……」
一歩、また一歩と近づいてき、みちよと俺の距離が縮まっていく。
俺は動くことができなかった。
「泣きたくなったら我慢しなくていいんだよって、お兄ちゃんがいつも言ってくれるんだ」
「……っ」
俺よりの背の小さな彼女は背伸びをして、俺の頭を撫でてくる。
「だからね、和葉くんも泣きたくなったら泣いていいんだよ」
「っ、なんだよ、それ……っ」
気がついたら再び涙が頬を伝っていた。
家族じゃないのにこんなにも温かい。……こんな優しさ知らない。
この日、俺は人の温もりを久しぶりに感じた。