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「……浸、今何か妙に大きな魚影が見えなかったか?」
「……超巨大毒魚でしょうか」
絆菜にそう問われ、堤防から海面を覗き込む浸だったがそれらしき魚影はもう見えない。首を傾げる浸だったが、その隣で和葉がジッと海面を見つめていた。
「海の中から霊の気配がします」
「……なるほど、やはりそういうことですか」
浸がそう呟き、絆菜はその意味を問おうとしたがそれよりも先に海面から強い霊力と敵意が三人へ向かってくる。
「――――っ!」
海面が波立ち、巨大な岩のような頭が姿を見せる。
凸凹の顔の中でギョロリと目が動き、尖った背びれが三人に向かって伸びてきた。
すかさず和葉は背負っていた霊盾を取り出し、浸と絆菜を庇うようにして前に立つ。霊盾によって張られた和葉の結界が三人を包み込み、背びれをすべて弾いた。
「これは……!」
「さ、魚の悪霊……!?」
和葉が感じた霊の気配……それこそがこの超巨大毒魚の霊力だったのだ。
超巨大毒魚の背びれが、霊力による結界で防ぐことが出来たのは、この超巨大毒魚が霊体であったからに他ならない。そもそも生きたオコゼの背びれは伸びない。
超巨大毒魚はすぐに海の中へ潜っていったが、まだ近くにいるのか霊力が感じられる。
「……なるほど、それで和葉先輩を連れてきたわけか。しかしよくわかったな」
「まあ、確信があったわけではありませんよ。ただ、そういうパターンもあり得るな、と思いまして」
超巨大毒魚が見えた人間と見えなかった人間、両方の話を聞いた時点で浸は超巨大毒魚が霊であることをある程度想定していたのだ。
「しかしまさかこれ程大きいとは思いませんでしたね……」
「一匹一匹の負の感情が強くて、膨れ上がってるように感じます……。どうしてこんなことに……」
すると、浸はそっと背後を指差す。
振り向くと、和葉は放置された魚の死骸が何匹か転がっていることに気づく。近づいて見ると、転がっている死骸の他にも、今まで何匹もの魚がそこで放置されて死んだことを感じ取ることが出来た。
一匹一匹は小さな魂だが、何匹もが強い負の感情を持って霊化すればそれは集合体となり、一体の巨大な悪霊になる。かつて霊園に何体もの動物霊の集合体が現れたように、魚の霊魂も大量に集まれば超巨大な集合霊になり得るのだ。
「……恐らくあいつらが捨てた外道だろうな。全く、胸糞悪いことをしてくれる」
狙っている魚とは別の魚を、釣りでは一般的に外道という。その中でもフグやハオコゼ、ゴンズイのような毒を持った外道は嫌われる傾向にあり、釣れた時に海に返さず陸地に投げ捨てられることも少なくはない。
だが魚もまた、生き物なのだ。
「…………そんな風に投げ捨てられたら、やっぱり悔しいですよね」
「かも知れませんね。気軽に楽しむのは良いですが、命を獲っているという自覚は必要です。人間にとっては遊びでも、魚にとっては命のやり取りですから」
命を獲るなら、せめて食べるために。
何の糧にもならない死などあって欲しくはない。それが浸の想いであり、和葉や絆菜もまた、同じないしは近い想いを持っている。
あの超巨大毒魚は、意味もなく殺された魚達の無念の集合体だ。何の糧にもなれず、ただ無造作に投げ捨てられた者達の強い怒りなのだ。
「しかしどうする? 海中に潜られては対処し切れんぞ」
「そうですね……なので、策があります」
「あ、もしかしてアレですか!」
不敵に笑って浸がそう言うと、隣で和葉が両手を叩く。
浸が手にしたのは、竿立てにかけてあった一本の竿だ。浸はそれを、すぐに絆菜へ手渡した。
「これはなんだ?」
「霊竿(れいざお)です。使用者の霊力を通し、霊をおびき寄せるための霊具です」
「なるほど……私にアレを釣れということか」
「ええ。超巨大毒魚の毒は危険です。なので私が鬼彩覇を使って一撃で仕留めます。早坂和葉は、万一の場合に結界を張れるよう身構えておいてください」
浸の言葉に、和葉はすぐにうなずく。
「ふ……面白い。なら釣り上げてやろう……あの超巨大毒魚をな!」
絆菜の霊力が、霊竿と糸を通して先端に括り付けられた専用のルアーに宿る。
「和葉先輩、超巨大毒魚は今どこにいる?」
「えっと……少し沖の方へ離れていきました」
「そうか……ならば投げさせてもらう」
竿先がしなり、ルアーが勢いよく飛んでいく。
ルアーは数メートル離れた場所で着水し、リールからどんどん糸が出ていった。
「超巨大毒魚を構成する霊魂はほとんどが根魚でしょう。底を探ってください」
「心得た……うむ、今着底したな」
少しだけ糸を巻き上げると、ルアーの重さが少しだけ竿を通じて絆菜の手に伝わってくる。張り詰めた糸を注視したまま少し待ってから、絆菜は少しずつ糸を巻き上げ始める。
こうしてルアーをズルズルと海底で引きずることで、超巨大毒魚を誘っているのだ。
「来い……超巨大毒魚!」
時には少し止めて様子を見つつ、絆菜はゆっくりと糸を巻き上げていく。
浸は鬼彩覇を構えて待機し、和葉はなんとか意識を集中して超巨大毒魚の霊力を探っていた。
和葉程の霊能力があれば、絆菜の霊力を頼りにルアーの位置さえある程度特定出来る。ルアーと超巨大毒魚の位置を関係をなんとなく把握し、和葉は脳内にソナーのような図面を思い浮かべた。
霊は視覚よりも霊力に反応して行動する。ルアーに気づいた超巨大毒魚が、少しずつ近づいていくのが和葉にはわかった。
「絆菜さん、近づいてきてます!」
「よし、このまま誘い続けるぞ」
そして超巨大毒魚は、ルアーまであと数メートル、というところで一気に加速する。そのまま接近し、超巨大毒魚はルアーに勢いよく噛み付いた。
「っ!」
不意打ち気味に、霊竿の糸が超巨大毒魚によって引っ張られる。キリキリとリールが音を立て、凄まじい勢いでルアーを引っ張る超巨大毒魚の力で糸が出ていった。
「ははははは! 凄まじい引きだな……面白い!」
絆菜は負けじと力を込め、右手でリールを力いっぱい回転させる。超巨大毒魚はルアーをくわえたまま暴れ回っており、そのまま絆菜を竿ごと海に落としかねない勢いだった。
「だ、大丈夫ですか!?」
「心配ない……! だがやはり一筋縄ではいかないか! 根魚らしからぬ大暴れだな!」
超巨大毒魚はルアーを咥えたまま右へ左へと暴れ続ける。ある程度腕力には自信のあった絆菜だが、そのパワーに時折押し負けそうになっていた。
普段岩の隙間等に潜んでいる根魚は、餌に食いついた後は岩の中に戻っていく。しかしこの超巨大毒魚は、構成する霊魂のほとんどが根魚であるにも関わらず、青物ような動きを見せている。
「まあ、あの図体ではどこの隙間にも入れんだろうな!」
力いっぱい絆菜がリールを回転し続けた結果、どうにか超巨大毒魚を足元付近まで近づけることに成功した。
「そら、仕上げだ!」
絆菜は片手で竿を持ったまま、左手でナイフを取り出し、超巨大毒魚の魚影の見える海面へと素早く投擲する。凄まじい速度で投げられたナイフは、その勢いのままに超巨大毒魚の体へ突き刺さった。
そしてそのダメージに超巨大毒魚が驚いた瞬間、絆菜はリールを回しながら思い切り竿を上へ傾けた。
「――――浸っ!」
水しぶきを上げながら、超巨大毒魚が海中から姿を現す。
そして超巨大毒魚めがけて、構えていた浸が鬼彩覇を薙ぐ。それとほぼ同時に背びれの針が浸へ伸びたが、即座に和葉がそれを防いだ。
霊盾を通じて展開された和葉の結界に針が弾かれ、それと同時に鬼彩覇が超巨大毒魚の体を中央の核となる霊魂ごと両断した。
「アディオス……良い旅を」
浸によって祓われた小さな霊魂達が天に昇っていく。
星一つ見えなかった曇り空を彩るように。
***
「わぁ……!」
超巨大毒魚を祓った翌日、早速釣れた魚達は浸の手によって煮付けや味噌汁となった。
「さあ、いただきましょうか。早坂和葉の初めての釣果です」
「そうだな。中々の釣りっぷりだったぞ」
「ありがとうございます!」
浸と絆菜に、嬉しそうにそう答え、和葉は両手を合わせる。
「いただきます」
和葉より少し遅れて浸や絆菜もいただきます、と呟く。しかしどういうわけか、和葉は手を合わせたままジッと料理を見るだけで、中々箸を持とうとはしなかった。
「……どうかしましたか?」
「あ、いえ……なんというか……」
口ごもる和葉だったが、少しだけ間を置くことで言葉を整理して、再び口を開く。
「自分で釣った魚だと、いただきますの重みが違うような気がしたんです」
和葉がそう言うと、浸は穏やかな笑みを浮かべる。
「ええ、そうですね。自分で釣った魚だと、何かの命をいただいているということを思い知らされますから」
しかしそれこそが生きるということだ。食べるということは命をいただくということなのだ。
「……私、余すことなく食べ尽くします! 思いっきり食べます!」
「ああ、それが良い。命を獲った我々が示せる最大限の誠意だ」
「はい!」
ちなみにその日、和葉はご飯を二合半たいらげた。
***
「ただいまーっと」
仕事を終えた八王寺瞳也が自宅であるアパートに帰ってきたのは、昼過ぎのことだった。勤務交替してから昼食の材料を”二人分”買い、大きめのナイロン袋を提げて帰宅した瞳也は、すぐに台所へナイロン袋を置く。
瞳也の部屋はあまり広くはない。玄関から部屋までの通路の右側にトイレとバスルームが並び、後は寝室兼居間があるだけだ。家賃は安いがもう少し広いところに住みたいというのが瞳也の本音である。
「お昼適当に色々買ってきたけど、今日は何が食べたい?」
瞳也がベッドの方へ問いかけると、ベッドの上でさらりと長い黒髪が揺れる。
その女は読んでいた本を閉じると、困ったような顔で笑って見せた。
「えっと……何でも良いと言ったら……八王寺さんは、困りますか……?」
「いんや。じゃあおじさんの趣味を押し付けちゃうからね~」
そう言っておどけると、瞳也はパックに入った焼き鳥を見せつける。
「でも夕飯は何か作るから、何食べたいか考えてほしいかな~」
「……はい、では、その時までには……」
そう答える女の元へ、瞳也はゆっくりと歩み寄ってくる。
「怪我、大丈夫? ”夜海ちゃん”」
「だいぶ……楽にはなりました」
そう答えて女は――――夜海は静かに微笑んだ。