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ソレは突然、少女の前に現れた。
長い黒髪のその女には足がなく、前髪から覗く顔は生傷だらけだった。
震える少女に、女は問う。
「足いるか?」
少女が怯えながら首を左右に振ると、女は布団の上から少女の足を右腕で掴む。
すると、女はその細腕からは考えられない程の腕力で少女の足を引っ張り始める。あまりの激痛に少女が悲鳴を上げると、突如少女の部屋の窓ガラスが割れた。
「!?」
中に転がり込むように入ってきたのは、桃色の着物を身に纏った一人の女だった。
闇に馴染まない銀色にも似た長い白髪を振り乱し、女は腰の鞘から刀を抜く。
「伏せてっ!」
女の剣幕に気圧されながらも、少女は慌ててその身体をベッドに預ける。すると次の瞬間、目にも留まらぬ速度で刀が少女の上を通過した。
「――――外したっ!?」
しかし刀は黒髪の女には当たっておらず、女は窓の外へと逃げ始めていた。
着物の女は即座に窓から飛び降り、黒髪の女を追っていく。
宙に浮いたまま水平に飛ぶようにして逃げていく黒髪の女を、着物の女は全速力で追いかけていく。しばらく距離は縮まなかったが、やがて着物の女が徐々に距離を詰める。
そして着物の女は高く飛び上がると、黒髪の女の行く手を阻むようにしてその眼前に着地した。
「ッ……!?」
そして、一閃。
女の振り抜いた刀が黒髪の女を斬り裂く。黒髪の女の霊魂は一撃で祓われ、その場で雲散霧消していく。
それを確認した後、着物の女――――城谷月乃は刀を鞘に収め、小さく息を吐いた。
「……今のは……」
今祓った女の霊を思い返しつつ、月乃は考え込む。
雨宮浸が真島冥子を祓ったことで、陰須磨町には一時的に平和が訪れていた。蔓延っていた怪異は徐々に姿を消していき、脅威は去ったかのように思われていた。
しかし最近になって、各地で相次いで変死事件が起こるようになったのだ。
それを受け、霊滅師である月乃は引き続き院須磨町に滞在し、調査と除霊を行っていたのである。
「まさかカシマレイコ……? でもあの事件はとっくの昔に……」
カシマレイコはかつて、日本各地に出没した怪異の名前だ。
その名前にはいくつもパターンがあり、単にカシマレイコと呼ばれることもあればカシマさん、仮死魔さんと漢字があてられているパターンもある。院須磨町では殺子さんと呼ばれている噂が多かった。
派生パターンが多く、何体もの霊が噂の影響を受けてカシマさん化して凶暴化したことで一時的にパニックになったものの、それらは霊滅師によって祓われ、噂は完全に沈静化したのだ。
「……あ!」
そこでふと、月乃は右手で口元を抑える。
「やば……そういえば私窓割って入っちゃったんだった……。またお婆ちゃんの小言だぁ……」
割った窓は弁償出来るが弁償するのは城谷家だ。仮に月乃が個人で弁償したとしても、当主である祖母の耳には確実に入るだろう。
***
とある民家の前に、数台のパトカーが停まっていた。
中は警察が出入りしており、どこか慌ただしい様子だ。
事件現場はその家の二階で、被害者の名前は鈴木健吾(すずきけんご)。この家の一人息子で、早朝に自室で変死体となって発見された。
「遺体の状態は相当酷かったみたいですよ。なんせ両足が無理矢理引きちぎられてるんですから」
民家の入り口でそう語りつつ、八王寺瞳也は物憂げにため息をつく。
「刃物による切断の痕は全くなかったらしいです。何か強い力で思い切り引き千切られたとしか考えられないって話です。それも骨ごと」
瞳也が駆けつけた頃には既に遺体は運ばれていたが、聞いた通りに思い浮かべるだけでも寒気がする。
「部屋に何者かが侵入した形跡はまだ見つかってないですし、自殺の線も今の所なし。するにしても、そんなむごい死に方を選ぶ必要がありませんし、そもそも方法がわかんないですからね」
つまるところ、原因不明なのだ。
そして原因不明の変死体となれば、警察が呼ぶのは当然霊滅師だ。特にこの院須磨町ではこの手の事件が立て続けに起こっている。
最近になってようやく落ち着きを見せたかと思えば今度はこれだ。警察はすぐにこの事件現場に一人の霊滅師を呼びつけた。
「思い当たる節……ありそうですね……その顔は」
そう言った瞳也に彼女は――――城谷月乃は小さくうなずいて見せた。
「……眠そうですね」
「昨晩はちょっと色々……」
昨晩、悪霊を払った月乃は破壊した窓ガラスについてその家の家族に説明しており、中々信じてもらうことが出来なかった。最終的に気分の少し落ち着いた娘がフォローしてくれたことと、到着した警察のおかげで事なきを得たのだが、その頃には既に深夜の三時だった。
「ていうか、敬語やめてくださいよ。八王寺さんの方が年上でしょ?」
「いやあ、一応霊滅師の方には失礼のないようにって言われてるんで……」
はにかみつつそう答えた後、瞳也は本題に話を戻す。
「それで、この件は悪霊によるものと見て間違いなさそうですかね?」
「……はい。僅かだけど、まだ負の霊力の残滓が感じられます。殺害方法から見ても間違いないかと」
「……殺子さんですか」
「恐らくそうでしょう」
瞳也と近い世代かそれより上の世代は、殺子さんのことはある程度認知している。
かつてこの院須磨町では、殺子さんと呼ばれる凶悪な怪異の噂が広まっていた。殺子さんは次々に噂を聞いた子供を殺害し、一時的に町はパニック状態に陥った。
その時の事件は当時の霊滅師が解決し、殺子さんの噂は完全に沈静化していた。
しかし噂はまた繰り返す。
「まあ大方、こないだのトンカラトンやひきこさんが広まった時に一緒に広まったんでしょうね」
「私もそう思います。となると、今回の件も霊が怪異化したパターンなんでしょうけど」
昨晩月乃が払った殺子さんは決して強くはなかった。噂でただの霊が変質しているだけだと見て間違いないだろう。
脅威にはなり得ないが、ある程度人員を割いて次の犠牲者が出る前に全て防ぐ必要がある。
そう考える一方で、月乃は言いようのない胸騒ぎを感じていた。
「……どうしました?」
「ああいえ、ちょっと気分が悪くて。あまり眠れていないものですから」
「そりゃ大変だ。今の話は俺が上に通しとくんで、城谷さんは早めに休んだ方が良いんじゃないですか?」
「そうですね……夜にはまた巡回に出ないといけませんし」
そう言って瞳也に別れを告げて、月乃はその場を立ち去ろうとしたが、ふと思い出したように立ち止まる。
「八王寺さん」
「はいー?」
「……最近、直接霊と関わるようなことありませんでした?」
「直接? いや、ないですけど……。まあ見えてないんで知らず知らずにってことはありますかね……」
瞳也からは、僅かだが霊の気配が感じ取れる。あまりにも微かで月乃にもハッキリとはわからない。
「……一応、気をつけておいてくださいね」
「仕事柄マジで危ないんで、用心しますわ……」
瞳也がそう答えたのを聞いてから、改めて別れを告げて月乃はその場を去った。
***
ある日の午後、雨宮霊能事務所を朝宮露子が訪れた。
彼女は適当に挨拶してから事務所へ入ると、手に下げていたナイロン袋から紙袋を取り出して机の上に置く。
食欲をそそる匂いがしてきて、和葉が嬉しそうに紙袋へ視線を向けた。
「お土産よ。どうせアンタのことだから、こういうの大好きでしょ?」
「はい!」
大喜びで和葉が紙袋を開けると、中に入っていたのはハンバーガーとフライドポテトだ。少し人数に対して数が多く、和葉がお代わり出来るよう余分に用意した、と露子は説明した。
「気前が良いな露子。ありがたくいただくぞ」
「はいはい好きに食べな」
絆菜が手にしたのは白身魚のフライを使ったフィッシュバーガーだ。
「よく私の好みがわかったな。お姉ちゃんは嬉しい」
「何がお姉ちゃんよボケ半霊。浸かアンタのどっちかが食べるだろうと思って買っといただけよ」
一方和葉はハンバーグが二枚重なった一番大きなハンバーガーだ。幸せそうに頬張るその姿を見て、露子は微笑む。
「つゆちゃん! ありがとうございます!」
「お礼はいらないわよ。今日は頼みたいことがあって来たんだから。もちろんこれとは別に依頼料も出すわよ」
「ふふ、私達と朝宮露子の仲ではないですか。ここまでせずとも頼みぐらい聞きますよ」
「そう言うと思ったわよ。まあ、偶然寄ったついでよ」
フライドポテトをつまみつつ言う浸に、露子は努めて素っ気なくそう答える。
「食事中にする話でもないから、食べ終わってからにしましょうか」
この後、和葉はわずか数分でハンバーガー二個と一人分のフライドポテトを食べ尽くした。
今から数時間前、露子はある依頼を受けていた。
それは最近町内で広まっている殺子さん或いはカシマさんと呼ばれる怪異に関する調査である。
元々これらの噂は以前から少しずつ広まっていたが、ついに明らかに殺子さんによるものと思われる犠牲者が出てしまったのだ。
依頼を受けた露子だったが、以前遭遇した黒いモヤと殺子さんとの関係性や、なんとなく感じた不穏な気配から、一人では難しいと判断した。
そして露子は真っ先に浸達の元を訪れたのである。
「……もうすっかり騒ぎは落ち着いたと思っていたんだがな」
「私もよ。まさかここにきてぶり返すなんてね」
既に元凶である怨霊、真島冥子は浸によって祓われている。
その一味である二人の内、夜海に関しては消息不明だが、吐々は露子によって祓われている。夜海一人で何か行動を起こしている可能性は高いが、彼女は一切姿を見せない。
何度か彼女を捜したこともあったが、和葉でも見つけることは出来なかった。
「浸、真島冥子は祓ったのよね?」
「ええ、それは間違いありません。ただ……妙な胸騒ぎがしますね」
あの時、確かに真島冥子は極刀鬼彩覇によって祓われた。これは間違いない。和葉もその場で見ていたのだ。
「……殺子さんって、琉偉さんの言ってたあの黒いモヤと関係があるんですよね?」
「多分ね。とは言っても、あのモヤも全然姿を現さないじゃない」
冥子との戦いを終えた後も、浸達はモヤや夜海の捜索は続けていた。しかししばらくの間、本当にどちらも見かけなかったのだ。
「何かあればお師匠から連絡があったハズですからね」
浸とは別に、霊滅師である月乃もまた、調査は続けている。何かあれば先に彼女が見つける可能性が高い。
そんな話をしていると、事務所の固定電話が鳴り響く。慌てて和葉が見に行くと表示されているのは城谷月乃の名前だ。
「……何かあったみたいです」
案の定、電話の内容は殺子さんの話だった。