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口の中がやたらと甘い。
――――――――そう思った瞬間、俺は別の場所にいた。
「……ここ、どこだ?」
辺りを見渡すと、おそらくどこかのマンションのリビングダイニングであろう場所に俺はいた。さっきまでヘブンリーゲトブリッジホテルの最上階で食事をしていたはずなのに。
早く帰りたいと思っていた俺の願いが叶ったのだろうか?
にしても、全く知らない家に突然飛ぶって、そんなことあるのか?
一体ここはどこなのだろう?
口の中には大きな飴。手元を見ると、カラフルな飴の入った瓶があった。
「これ……どんぐり飴?」
杏子が好きだった縁日のどんぐり飴だ。
ふと、よみがえる思い出。それは元カノの杏子と初めて二人で行った縁日でのこと――――。
◇ ◇ ◇
元々大勢で群れるのが苦手で、クラスに馴染もうとしなかった俺に、全く壁を作らずに話しかけてくれたのが、たまたま隣の席に座っていた杏子だった。
小柄で丸顔。黒目がちな目はいつもキラキラしていてふっくらした唇は淡いピンク色。典型的な誰からも好感が持たれるタイプだ。
しかも誰とでも仲良くできて、ニコニコと明るい杏子は俺とは全く違う世界の人間だった。
そして俺のような面倒くさいヤツにも、平気で世話を焼いてくるお節介な女だった。
後で聞けば、幼い頃に母親を亡くして、お祖母さんに育てられたという。
だからなのか、このほっこりするようなおばあちゃんくささは……と妙に納得したものである。
だいたい、『杏子(あんこ)』なんて、ふざけた名前だし。クラスの女どもが「あんこ」と呼んでいるのを聞いて、ニックネームなのかと思ったら違った。
『『わくいきょうこ』じゃないのか?」
「『わくいあんこ』だよ」
「……甘そうな名前だな」
「そうなの! 可愛くて気に入っているの。おばあちゃんが付けてくれたのよ」
甘いのは苦手なんだが……。と思いながらも「……いい名前だな」と言ったら「鷹也って名前も格好良くていい名前だね!」と返されたことがある。
杏子の明るくてポジティブなところが俺にはなくて、妙に惹きつけられた。
女の名前を可愛いと思うなんて、初めての事だった。
女は鬱陶しいものと思っていた俺だったが、杏子だけは違った。近くにいても全く気にならない。むしろ傍にいるのがあまりにも自然で居心地が良かった。
いつのまにか杏子には心を許していて、俺たちはごく自然に距離を縮めた。
そして一学期の終業式の日、学校の近くの神社でたまたま夏祭りがあることを知ったのだ。
「行ってみる? ……今日、夏祭り」それが精一杯の誘いだった。
クラスメイトから、特別な関係への第一歩目。
あの日、杏子はおばあさんに着付けてもらったと言って、淡いピンクの浴衣を着て来た。
お参りが済んで縁日を回っていると、杏子がどんぐり飴の屋台の前で立ち止まった。
「わー! どんぐり飴だ! 私、昔からどんぐり飴が大好きだったの!」
「……じゃあ選べよ」
「え? 買ってくれるの⁉」
「好きなんだろう?」
「うん! ありがとう~。どれにしようかなー」
そう言ってカラフルなどんぐり飴を五個ほど選んだ。
「それだけでいいのか?」
「うん」
まあ、こんなに大きな飴だ。一粒食べればずっと口の中に残りそうだし、少しで十分なのだろうと納得する。
杏子は金魚すくいの持ち帰りビニールのような、透明の袋に入れた飴玉を嬉しそうに眺めていた。
「食べたいなぁ」
「食べればいいだろう?」
「目でも楽しみたいんだよ。どんぐり飴って可愛いでしょう?」
「は? 飴が可愛い? ……俺にはよくわからん」
「もー。鷹也は情緒がないなぁ……」
「飴は飴だろう? 食べてこそだ」
そう言って袋を取り上げた俺は、飴を一つ取り出し、杏子の口に放り込んだ。
「ん……ちょっと……なにひゅるのひょ……」
「ハハッ」
あめ玉が大きすぎてまともに喋れていない。
それに、片頬がぽこっと膨らんでリスみたいになっている。
「クックックッ……」
「もぉ~」
口をもごもごさせながら、怒ったような困ったような様子の杏子が可愛くて、目が離せなかった。
「これ、ましゅかっとかな……」
「マスカット?」
袋を見ながら、消去法で味を当てようとする。
「なんだよ。味がわからないのか?」
「らって、ろんぐり飴って色れ味を感じりゅの……」
食べたことがなかったのでよくわからないが、普通は色に関係なく味ってわかるのではないのだろうか。
「色、わかりゅ?」
そう言って、杏子は口をすぼませて薄緑色の飴玉を俺に見せた。
まるでキスをするかのような形を作って……。
その一瞬で俺の理性は吹き飛んでいた。
おもむろにかがみ込み、顔を傾け、杏子に口付けた。