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午後は自由時間をもらったので、ルシンダはミアと一緒に他のクラスの出し物を回ることにした。
学園内をぶらぶらと歩いて回れば、手芸作品の販売や、カップル向けのお化け屋敷、ドラゴンの生態に関する真面目な研究の展示など様々な出し物があって楽しい。
色々と巡った後で、一番の目当てだったクリスのクラスの出し物を見に行くことにした。
(そういえば、お兄様、今日の午前にカフェに来てくれるって言ってたのに来なかったな……)
クリスが約束を破るなんて珍しい。いや、初めてかもしれない。
なんとなく、先日目撃してしまった顎クイの場面が頭によぎった。もしかして、相手の女子生徒と一緒に文化祭を回っていて、自分との約束のことなど忘れてしまったのだろうか。
胸にツキンと小さな痛みが走る。
(ううん、何か理由があって来られなかっただけかもしれないし。それに……デートなら仕方ないよね)
そうは思うものの気分は晴れない。やっぱり自分はブラコンになりつつあるのかもしれない。今まで、常々クリスのことを過保護だと思っていたが、これではひとのことを言えない。
ふぅとため息をつくと、ミアが壁の時計を指差して言った。
「早く行かないと間に合わないわよ!」
「あ、ごめんごめん……! 急いで行かないとだね」
小走りでホールへと向かい、空いている席に座った。
クリスのクラスの出し物は演劇だ。ステージには豪奢な刺繍が施された深紅の緞帳が下りており、中を窺うことはできない。
「はい、これ。パンフレットよ」
「ありがとう」
ミアから差し出されたパンフレットを眺める。
今回の演目は「冷酷と情熱のはざま」というベストセラーのラブストーリーだ。
クリスはダブルヒーローのうちの一人である冷酷な公爵役で、ヒロインを巡って、もう一人のヒーローの情熱的な騎士と争い、最後はヒロインを庇って死ぬらしい。
兄が当て馬役なのは悔しい気もするが、おそらく本人のイメージで割り当てられてしまったのだろう。優しくて自慢の兄だが、銀髪に水色の瞳という外見はどちらかといえば冷酷な公爵役のほうがそれらしい気がする。
パンフレットを読んでいると、やがて開演を告げるベルが鳴り、分厚い緞帳がゆっくりと上がった。
舞台には立派なダンスホールのセットが組まれており、美しく着飾った複数の男女が踊っている。
大道具も小道具も学生の演劇とは思えないほどに本格的だ。音楽もどうやら生演奏らしく、心地よい音色が体に響いてくる。
それにしても、これだけのセットと生演奏。一体どれほどの費用がかかっているのだろうか。考えるだけで恐ろしい。
ルシンダが貴族の財力に慄いていると、セットの階段の上に愛らしい女性が現れた。ヒロインの登場だ……と思ったら、何やら意地の悪そうな女性三人組がやって来て、ヒロインを詰り始めた。
「この平民上がりが!」
「場違いな女はここから出ていきなさい!」
そしてヒロインを階段の下へと思いきり突き飛ばした。ヒロインはバランスを崩して階段の下へと落ちていく──。
(ええ⁉︎ これ大怪我しちゃわない⁉︎)
ルシンダが思わず息を飲むと、いつの間にか階段の下に現れた騎士が危なげなく受け止めてヒロインを助けた。胸キュンのシーンなのかもしれないが、それどころではない。ヒロインは大丈夫なのだろうか。
「今の演出、風魔術でヒロインの落下の衝撃を和らげているらしいわよ」
ミアがこそっと耳打ちして教えてくれ、ルシンダは安堵した。
それにしても、いくら魔術を使うとはいえ、ヒロインが命綱もなしに階段スタントをこなすなんて本気が過ぎる。おかげで別の意味でドキドキしてしまった。
冒頭から衝撃の展開で、ルシンダはすっかり劇の世界に引き込まれて釘付けだ。
そうして、しばらくヒロインと騎士のシーンが続いた後、ようやく公爵の出番がやってきた。
クリスが舞台に登場した瞬間、客席の女子生徒たちがうっとりとしたため息をついた。
煌びやかな衣装を身につけ、髪を片側だけ撫でつけるようにセットしたその姿はクールな色気に溢れ、思わず目を奪われる麗しさだ。
役に入り込んでいるのか、その目はどこか陰鬱で、まさに冷酷な公爵そのものだった。
公爵とヒロインは庭園の東屋で出会い、公爵はヒロインの可憐さと心の美しさに惹かれて恋情を募らせる。
そして劇が進んで、ヒロインと騎士が心を通わせるようになった頃、公爵は嫉妬に狂ってヒロインを監禁するのだ。
ヒロインと二人きりの部屋で、公爵がヒロインの顎に手を添える。
「彼ではなく、私を見てくれ」
そのシーンを見た瞬間、ルシンダはハッとした。
(この構図、どこかで見たような……。あっ! 渡り廊下で見た光景だ)
数日前に職員室へ行く途中で目撃したシーンを思い出した。よくよく思い返すと、ヒロイン役の女子生徒はクリスに顎クイされてた人だし、あの時のクリスの服装も制服じゃなくて衣装っぽい色だったような気がする。
(なんだ、あれは演劇のリハーサルだったんだ……。じゃあ、今日カフェに来なかったのもデートじゃなくて、何か仕方ない理由があったのかもしれない)
ルシンダはほっと安堵のため息をついた。チクチクしていた胸の痛みも、綺麗さっぱりなくなってしまったようだった。
その後もさらに劇は続き、クライマックスが近づいていた。
「私のほうが君を想っているのに、なぜあいつを選ぶ」
「君をこの手から離したくない。側にいてくれ……」
初めての感情に戸惑いながらも、ヒロインを求めずにはいられない公爵の演技が真に迫っていて圧巻だ。
公爵になんとか救いが訪れることを願いながら、固唾を飲んで見守っていたルシンダだったが、最後は小説通り、公爵が死んで、ヒロインと騎士が結ばれる結末だった。もはやヒロインや騎士よりも公爵に感情移入していたので、ルシンダはミアや他の観客たちの人目も憚らず大泣きしてしまった。