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劇が終幕となり、観客たちが涙を拭きながらホールを出ていく。
ルシンダも涙でぐしゃぐしゃになった顔をハンカチで拭いながら、よろよろと立ち上がった。
「あなた、酷い顔よ。ちょっと外のベンチで休みましょう」
「う、うん……。そうする……」
ミアが気を遣って人気のない裏庭のベンチへ連れて行ってくれた。
「それにしても、ルシンダもラブストーリーで号泣したりするのね。乙女ゲームに興味がないから、恋愛全般に関心がないのかと思ったわ」
「……正直、よく、分からない、けど、今日の、劇は、感動、しちゃった……」
ルシンダがしゃくり上げながら答える。
「一応、ちゃんと恋愛への感受性はあるのね」
「公爵、可哀想で、泣ける……」
「もう、そんなに泣くと目が腫れるわよ。あの小説はヒロインと公爵の二次創作本が裏で広まってるから、今度貸してあげる」
「そ、そんな本が……。読んで、みたい……」
「あら、ちょっとはこっちの世界に足を踏み入れてくれたみたいで嬉しいわ。このまま引きずり込んであげるから覚悟してね」
「こ、怖いん、ですけど……」
そうしてしばらく他愛もない話をして、ルシンダの気持ちもだいぶ落ち着いてきた頃。ルシンダはミアに大事な話があると言って、ユージーンも転生者で前世の兄だったことを伝えた。
「まさかユージーンも転生者だったなんて……。でも、実のお兄さんに再会できたなんてよかったわね。仲良しだったんでしょ?」
「うん、びっくりしたけど本当に嬉しい」
ミアもいつになく穏やかな、お姉さんぽい表情を浮かべて喜んでくれた。
「……でも、そうなるとユージーンが闇堕ちして魔王に乗っ取られる可能性はほぼ無くなったんじゃないかしら。私が最初に生徒会室で会ったときは病んでいる感じがあったけど、今日カフェに来てくれたときはそんな雰囲気は一切なくて、とても楽しそうだったもの。きっとルシンダに再会できて、心に余裕ができたんだわ」
「そうなのかな。そしたらラスボスはどうなるんだろう?」
これまで魔王戦を楽しみにしていたが、ユージーンが前世の兄だと分かった今、色々と心配になってしまう。
ミアに意見を求めると、彼女も予測が難しいのか困ったように首を傾げた。
「代わりに別の人が乗っ取られてしまうか、やっぱりユージーンが闇堕ちしてしまうか、それとも誰も乗っ取られることなく終わるか。何も起こらないといいけど、どうなるか分からないわね」
「最終的には光の魔術で丸く収まると知っているとはいえ、お兄ちゃんが乗っ取られるのはやっぱり抵抗があるかも……。とりあえず、お兄ちゃんが闇堕ちしないように気をつけつつ、魔王の登場に備えて魔術の訓練を頑張るね!」
「そうね、ユージーンの闇堕ち回避は任せたわ」
「……あ、もうこんな時間。そろそろカフェの後片付けに戻らないと」
「そうね、行きましょ」
ルシンダは、クリスからプレゼントしてもらった懐中時計で時間を確認すると、蓋をパチンと閉じてポケットにしまった。
◇◇◇
クラスの出し物である劇が終幕した後、クリスは誰もいなくなった舞台から客席を見下ろしていた。
ついさっきまでルシンダがあの席に座って、涙ぐみながら劇を鑑賞してくれた。
自分はルシンダのクラスのカフェに行かなかったのに、ルシンダは約束を守ってちゃんと観に来てくれた。
いや、自分だって本当はカフェを訪れ、ルシンダのお勧めの紅茶でも飲みながら、彼女が一生懸命に接客する様子を見守ろうと思っていたのだ。
でも、行かなかった。行くことができなかった。
今日、あの光景を見てしまったせいだ。
生徒会室でルシンダとユージーンが二人きりで抱き合っている光景。
懐中時計を忘れたことに気づいて取りに戻ったら、扉が少しだけ開いていて、隙間から中を覗いたら、きつく抱き合う二人の姿があった。
なぜ、抱き合っていたんだ?
なぜ、あんなに愛おしげな目で見つめ合っていたんだ?
目にした瞬間、体の底から不快感が湧き上がってきた。
思いきり扉を開け、ユージーンを突き飛ばしてルシンダを取り返し、何のつもりかと問い詰めたかった。
けれど、相手は公爵家の令息だ。いくら最近、人が変わったように穏やかになったとはいえ、無礼を働いてただで済むはずがない。自分はどうなってもいいが、ルシンダのことを思うと、処分を課されるのは避けたかった。
あの居心地の悪い家でルシンダを両親から守るためには、自分に一つの瑕疵もあってはならないのだ。
そう思って気を落ち着けようと試みるが、苛立ちは収まらない。
こんなに平静でいられないのは、マリアが亡くなってしまったとき以来だ。
なぜこんなにも胸がざわつくのだろう。
ユージーンに大事な妹が取られてしまったように感じるからだろうか。
分からない。分からないが、今あの部屋に入ったら、間違いなくユージーンに手をあげてしまうだろう。
ひとまず、今見たことはルシンダには言わず、後日ユージーンにルシンダとの関係を問い質してみよう。そう思って、その場を去ったのだった。
そしてさっき、客席に座り、瞳を潤ませながら自分を見つめるルシンダの姿が目に入った瞬間、胸が苦しくて堪らなくなった。
この気持ちは一体何なのだろう。どうすれば収まってくれるのだろうか。
お守り代わりに衣装に忍ばせていた懐中時計を握りしめる。
「ルシンダ……」
妹の名前を呟く声が、がらんとした舞台に切なげに響いた。