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芙月みひろ
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会社に駆け込んだ僕を待っていたのは、阿鼻叫喚のオフィスだった。
全国の生産拠点から鳴り止まない電話、悲鳴を上げる負荷グラフの数字。そして、役員からの呼び出しに顔を真っ青にしている部長の姿。
僕は自席のPCへ飛びつき、シャツの袖を乱暴に捲り上げた。猛烈な速度でコードを打ち込む中、デスクのスマホが震えた。美咲からのLINEだった。
『お兄、ちょっと! 大変なことになってる! いいからこれ見て!』
無視しようとしたが、次に送られてきた画像に指が凍りついた。 そこには、コミケの女神として微笑む白石さんと、会社の採用ページに載る彼女を比較した、Xのスレッド。
『本人特定されてる!女神の正体は、白石さんだって!』
「……っ、そういうことかよ……!」
解析画面に目を戻す。案の定、社員紹介ページには一分間に一万という殺人的なアクセスが殺到していた。
部長の悲鳴に近い声が背中から聞こえた。
「春川!もう手遅れだ、役員たちは『新システムへ全移行して強制再起動しろ』と言っている。だが、そんなことをすれば……!」
「……データの整合性が崩壊し、二度と元に戻らなくなる……」
ふと、脳裏に古い記憶が蘇った。
――実家の水道屋を手伝わされていた、幼い頃の記憶だ。
『陽一、よく聞け。水の流れは生き物だ。無理に止めようとすれば、逃げ場を失った圧力は必ずどこかを壊す』
汚れた作業着で、スパナを握る父の大きな背中。
『壊したくなければ、流れを殺すな。別の道を作って、圧を逃がしてやるんだ。……それが、流れを制する者の仕事だ』
(……ああ、分かってるよ、親父)
今の僕が対峙しているのは、水ではなく「電子の激流」だ。 白石さんというあまりに眩しい「女神」が引き寄せてしまった、一万人を超える人々の好奇心。それが濁流となって、会社の脆弱な配管(サーバー)は破裂しそうになっていた。
ならば、僕がやるべきことは一つ。
「一時間だけ時間をください。入り口(プロキシ)を新環境へ逃がし、旧基幹システムは社内専用に封鎖します。外からのアクセスは一歩も通しません」
「そんな無茶な!走行中の列車のレールを、走りながら敷き直すようなもんだぞ。一文字でもコードを打ち間違えたら終わりだ!」
「……データのクラッシュを待つくらいなら、僕は今の自分にできることをやる。それだけです」
部長は僕を見据えると、覚悟を決めたようにネクタイを乱暴に緩めて言い放った。
「…………。分かった。役員会への釈明は俺が引き受ける。泥は全部、部長の俺が被ってやる。だからお前はやりたいように全力でやれ。……頼んだぞ、春川!」
僕は、構築済みだった新システムの一部だけを切り取り、そこへ「入り口」だけを繋ぎ替える「バイパス工事」を敢行した。