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クリスタルをちりばめたシャンデリアが室内をまばゆく照らすビューティー・サロンの一室。
今、ここにいるのは彼とわたし、ふたりきり。
「じゃ、はじめるよ」
耳に入ってくるのは、少しかすれた艶のある声。
普段、話をしているときとは、まるで違って聞こえる。
「力が強すぎて痛かったら、言ってくれる?」
充分に濡らされたわたしの髪に彼の指が差しこまれ、シャンプーを優しく泡立てはじめる。
「少し頭、上げてくれるかな」
彼は左手の指を立てて優しく首を支えて、後ろ髪を洗う。
シャンプーに混じって、かすかに香るコロンは、樹木を思わせる甘さの少ないもの。
それが感じられるほど接近しているのだと思うと、苦しいほど胸が高鳴ってゆく。
今、わたしの髪を洗っている彼の名は、香坂玲伊《れい》という。
父親は大手不動産会社である香坂ホールディングスの代表取締役社長。
つまり、バリバリの御曹司。ただ、兄が三人もいる彼は、家業を継ぐことはなく、まったく畑違いの美容師となった。
わたしより4歳年上の29歳。
都内有数の美容専門学校卒業後、単身ニューヨークに渡り、たった2年で世界的な有名サロンのトップスタイリストに昇りつめた。
そして今や、一番予約が取りにくいカリスマ美容師として評判の有名人だ。
いや美容師と言うだけでは、彼を説明し尽くしたことにはならない。
4年前、日本に帰国してから、香坂ホールディングス所有のビルを譲り受け、改装に着手。
そして昨年の9月。
ヘアサロンだけではなく、メイクスタジオやエステ、ドレスレンタルショップ、ジム、薬膳カフェ、三ツ星で修行したシェフのいる本格フレンチレストランなどを備えた美の殿堂『reincarnation〈リインカネーション〉』を開業し成功を収めた、若き実業家でもある。
開業したとたん、各階を順に巡れば外見だけでなく体の内側も磨かれる、と女性のみならず、美に関心のある男性たちの間にも評判が広がった。
そしてあっという間に一度は行ってみたい、あわよくば香坂玲伊に会いたい、と誰もが願う憧れのスポットとなった。
そんな彼の、長くしなやかな指が丹念にわたしの髪や頭皮を行き来しているんだ……
そう思うと、えも言われぬ心地よさが電流のように全身を駆けぬける。
「もう少しだけ、頭、上げてくれる?」
そう言って頭を抱えられたときは、息がつまるかと思った。
彼の動作のすべてが、わたしの心を震わせる。
どうしようもないほど、この人が好き。
でも、いくら彼を想っても、この恋が成就する可能性はゼロ。
だって、彼にとって、わたしは最初から問題外。
――優ちゃんは、俺にとって妹のようなものだから
そう、本人にはっきり言われたのだから。