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縁側に吹き込む夜風はひんやりとしていて、さっきまで立ちこめていた肉と香味野菜の匂いも、少しずつ薄れていく。
「なぁ、燕花」
何の気なしを装って、煌は隣で食器を重ねている燕花に声をかけた。
「はい、童殿」
「鳳来堂って、知ってるか?」
ぴく、と燕花の指先がほんの僅かに止まった。
だが次の瞬間には何事もなかったように皿を重ね、いつも通りの穏やかな顔でこちらを見た。
「ええ。城下でもよく知られた薬舗でございます。薬草や煎じ薬、傷薬なども扱っておりますし、庶民の方々もよく利用なさいますね。静遠さんの行きつけらしいですよ?」
「あぁ、いっつも胃が痛いって言ってるもんな、アイツ。……ていうか、仙煙草って簡単に手に入るもんなのか? 薬舗で買えたり……」
「いいえ、童殿。仙煙草は一般に出回ってよいものではございません。そんなものが堂々と売られているはずがありません」
燕花は即答した。
「医師の処方に基づく特殊な調合が必要ですし、患者ごとに配合も変わります。気軽に店先へ並ぶような代物ではございません」
「そうか……」
「鳳来堂ほどの大店であれば、調剤のために多少の在庫はあるかもしれません。ですが、ご存知の通り、あれは法度の薬。表立って扱っていれば、すぐに取り締まりを受けるはずです」
「表向きは……ね」
白虎から聞いた話をそのまま口にするつもりはなかった。
けれど、その言い方に自分でも少し引っかかるものがある。
「じゃあさ、これ……鳳来堂のもんだと思うか?」
燕花は煌の顔を静かに見つめ、それから声を落とした。
「……何か気になることでも?」
「いや、その……この間、街に行っただろ? あの時に拾ったんだ」
ポケットを探り、拾った竹籠を燕花に差し出す。煌は懐から竹籠を取り出し、燕花へ差し出した。
「これ、見てくれ」
燕花は一瞬だけ目を瞬かせたが、すぐに静かに受け取った。
細い指が編み目をなぞり、底の縁を確かめる。
「……これは」
声の調子が、ほんの僅かに変わる。
燕花は籠を傾け、焼き印を見つめた。
「鳳来堂、でございますね」
「やっぱりそうか」
思わず身を乗り出すと、燕花は頷いた。
「ええ。この印は、確かに鳳来堂のものです」
そこで一度、言葉が止まる。
燕花は竹籠を見つめたまま、わずかに眉を寄せた。
「ですが、この形……どこかで……」
「心当たりあんのか?」
「はっきりとは申せません。ただ、以前――」
「以前、何だ」
低く尖った声が横から割って入った。
振り向くと、いつの間に来たのか、静遠が縁側の柱にもたれていた。露骨に機嫌の悪い顔で腹を押さえている。
「静遠」
「まったく。食後くらい静かに出来んのか、この野蛮人は」
「誰が野蛮人だ」
「お前以外に誰がいる」
ぴしゃりと言い捨てると、静遠は燕花の手元へ視線を落とした。
その瞬間だけ、目の色が変わった気がした。
だがすぐに、いかにも馬鹿馬鹿しいとでも言いたげに鼻を鳴らす。
「……鳳来堂の籠か」
「知ってんのか?」
「知っているも何も、城下じゃ名の知れた薬舗だ。私を誰だと思っている」
「胃薬漁りの常連」
「黙れ」
即答だった。
しかも否定にはなっていない。
静遠は眉間を押さえ、うんざりしたように息を吐く。
「見れば分かるが、その焼き印は鳳来堂のものだ。だが、鳳来堂にそんな品はない。少なくとも、私が見たことは一度もないな」
「見たことねぇってだけで、無いって決めつけんのかよ」
「決めつけではない。あそこは客の出入りも品揃えも頭に入っている」
静遠はじろりと煌を見下ろした。
「何せ、お前と違って私は日頃から“ちゃんと”物を見ているのでな」
「っ、この……」
「それに」
わざとらしく間を置いて、静遠は燕花の持つ竹籠を顎で示した。
「最近、鳳来堂は嫌がらせを受けているらしい。客を取られた他の薬舗どもが、あそこの名を騙って妙な噂を流していると、店主がぼやいていた」
「嫌がらせ?」
「そうだ。鳳来堂は城下でも一、二を争う繁盛店だからな。妬む輩は多い」
さらりとした口ぶりだった。
あまりにも淀みがなくて、逆に引っかかる。