🇯🇵「私がまた戻って来られなくなったら、貴方が殺して止めてください」
目の前の小柄な体躯の彼は、いとも簡単にそんな事を言った。
自分に背を向けているせいで、その表情は読み取れない。
🇺🇸「───は?」
驚くほど低い声が、様々なものを抱えた喉の奥から絞り出される。
彼への反対の意を示すために放った威圧も、今は全く効果がないらしい。
🇯🇵「…アメリカさん」
諭すように一度、彼は振り向いて俺の名前を呼ぶ。その表情はどこか幼い頃見た父親のそれと似て、酷く大人びていた。
🇯🇵「これが最適解です」
🇺🇸「…っ」
敵に包囲され、逃げ込んだ先ももう行き止まりだ。更に2人とも、軽傷とは言えない程度には深手を負っている。もはやここから覆す術はない。───万事、休す。ただひとつ、最悪の手段を除いて。
🇺🇸「また俺にお前を殺させるってのかよ!」
彼の瞳を真っ直ぐ見つめてそう言ったつもりだった。しかしその言葉はいつものように、彼の心に一寸も掠ることなく虚しく通り過ぎていく。彼をこの手で殺めることももちろん、何より彼自身が傷つくのが嫌だった。久々の焦燥を感じる。
───何故なのかは疑問だが、自分たちのような国の化身にはそれぞれ感情がある。人間のそれを模写したように、極めて繊細な喜怒哀楽を表すことが出来る。
だがそれは、人間よりも少しばかり機械じみている。どれほどとどめ難い強い感情が沸き起こっても、感情が理性より先に出ることがないようにできている。
どうしてか、など解らない。成り立ち上人間よりも大きな感情を感じるからなのか、或いは時に寛大にも非道にも成り得る自分たちにかかった、呪いのようなものかもしれなかった。
今彼がやろうとしていることは、その逆だ。理性を抑え込んで、感情の奔流に身を任せる。勿論そんな事をすれば自我は吹き飛び、肉体が限界を迎えるまで破壊と暴走の限りを尽くすだろう。
───故に、強い。
それでこの窮地は脱する事が出来ても、彼を止める者が要るのだ。いちばん残酷で、卑劣な方法で。
🇺🇸「俺が行く。お前は」
待ってろ、と続くはずだった言葉は、彼の真摯な瞳に打ち消されてしまった。
🇯🇵「銃弾、まだ抜けてないでしょう」
見透かすような黒曜石の瞳に見つめられながらそう言われて、未だ血液が流れ赤い染みを広げ続けている、自身の右肩の傷口を押さえた。
🇯🇵「私の方がまだ軽傷です」
だとしてもだ。これ以上傷つきに行ってどうするというのだ。
頭の中にそんな言葉が浮かんだが、やはり口には出せない。今の彼は何を言っても聞かないのだ。
🇺🇸「…強情なやつ……」
🇯🇵「私をこんなに我儘にしたのは貴方ですよ」
彼は消え入りそうにふっと笑う。
その姿には、死を覚悟した者特有の空気感が、薄く纏わりついているような気がした。彼はそのまま、腰に刺した愛刀の柄に手を触れる。意志を曲げる選択はもう無いらしい。
🇺🇸「あー、分かった、でもこれだけは守れよ───俺以外には殺されんな」
彼は一度、ゆっくりと目を瞑る。息を吐き出し、それから血液の臭いの飽和した空気を吸い込む。
再びその瞳が顕になった時、いつもの漆黒の色は消え失せ、代わりに狂気を孕んだ緋色が居座っていた。そんな狂おしいほどのガーネットの色も、彼には似合うな、なんて頭の隅で他人事のように思う。
🇯🇵「無論、そのつもりです───」
そう言って、一度振り返ればもう二度とその顔は見せないまま、路地を飛び出して行った。
過去に一度だけ、俺は彼の暴走した姿をこの目で見た。視界に映るもの全てを見境なく破壊する、その姿は間違いなく修羅だった。
まるで生物としての様相を呈していない。あの時も自分は、彼を殺めた。
引っ掻くための爪も、喉元に噛み付く牙も、あの時確かに、丁寧に折ってやったっというのに。
🇺🇸「まだ、んな顔できるのか」
狂気を宿す、柘榴石をはめ込んだように輝く瞳。呼吸をすることさえ憚られる威圧的な殺気。三日月に似た弧を描く口元。何もかもあの時と同じ、圧倒的な存在感がそこにいる。
違うことといえば、その刀の切っ先が自分に向いていないことくらいだ。
それを少しばかり、残念だと思ってしまう。
彼が彼を見失う度、連れ戻す役目が永遠に自分だけのものであるならいい。美しいまでの狂気の沙汰を、独り占めにしてしまいたい。
そして、その気高い狂気をこの手で壊す。
彼を殺してしまうなど、当然気分のいいものではない。
しかしその姿に魅せられ、丁寧に壊していくことに快感すらをも覚える自分が、少なからずいるのだ。一体、破壊を嬉しむ知性なき害獣、狂気の沙汰とはどちらの事だっただろうか。
🇺🇸「はっ、…参ったな」
───でもそれも、悪くは、ない。
まだ自由の効く方の手で顔を覆う。自分がどんな表情をしているのかは、もうよく判らない。
今まで多くの死を目の当たりにしてきたはずだった。時に多くの悲しみを呼び、時に孤独の中に埋もれる。そして誰もが最後に、永遠の静寂を手に入れる。
手足が落ちようが、一度息絶えようが体が再生する自分たちにとって、人間よりも死に対する関心は低いはずだ。だからこそ、解らないのだ。
彼ひとりの死にこんなにも心を揺さぶられる理由が。こんなにも、様々な感情が体内を駆け巡るのは前にも後にもきっと彼だけだ。
重い両脚を引きずり、左手は右肩から流れる血液を押さえながら、細い路地の入口から顔を出す。
あの状態の彼の事だ。きっともう粗方片付いている頃だろうと思っていたが、その通り彼以外に立っている人影はもうなかった。
───彼が彼を見失う前に。
路地に息を潜め、右手の銃の照準をゆっくりと彼の心臓に合わせる。左手にある銃は、頭部をしっかりと捉えた。
🇺🇸「今、楽にしてやるから」
両の引き金を引くと同時に、鋭い銃声が鳴り響く。そして───彼がその音に反応して完全に振り向く前に、銃弾は狙った2点へと正確に着弾した。
血溜まりの上にべちゃり、とその体躯が落ちる音。
🇺🇸「っ、日本ッ!!」
弾かれたように、彼目掛けて走り出す。血の気の引いた彼の顔が、前回と重なってフラッシュバックした。
🇯🇵「…?、っぁ……あ、め…」
覗き込んだ彼の瞳から、ふっと紅い光が消える。
ああ、どうしてこうも残酷なのだろう。今の彼は正気だ。いつもの黒曜石が、生気を失ってそこにある。もう数秒のうちに息絶えるのは間違いなかった。血塗れのその線の細い身体を、腕に抱いた。
心臓を撃ったせいか、溜まった血液が気道を潰して呼吸も辛いらしい。
🇺🇸「よく頑張ったな。俺の傷はもう大丈夫だ。だから安心して、眠ってくれ、な?」
力なく笑ったその表情は、また脳裏に灼きついて離れなくなるのだろう。
身体から力が抜ける。いつの間にか握っていた彼の手が、力なくだらんと垂れ下がる。
何度死んで生き返っても、そのひとつひとつの命を軽視したくはない。
彼は次、本当に生き返るだろうか。また、その瞳を見せてくれるだろうか。
宝石箱の中に閉じ込めて、何から何まで手入れしてやりたいくらいの、愛してやまない彼は、また。
不安になって仕方がなくて、彼の額にキスを落とした。
コメント
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例え生き返ると分かっていても尚、もし目を覚まさなかったらと心配してしまうアメリカさん健気すぎる...二人の間の信頼関係がもう天才的で尊いに尽きるっ......!!やっぱり貴方の作品が大好きですぅぅ(;;)
表現がお上手過ぎます!!この世の言葉ではまだ表せることの無い美しさと儚さを、百叶さんは上手く表現していて、本当に、本当に尊敬しかありません!! クライマックスの日本の黒い瞳を思い浮かべた瞬間、半泣き状態になってしまいました😭😭😭 何の言葉もなしに死んでしまうのが、何ともリアルで切なくて…うわぁぁん😭😭長々と失礼しました🙇💦