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第76話:雪解けの十勝と、守るべき聖域〜迫る業者の影と、元社畜の決意〜
長かった冬が、ついに終わりを告げようとしていた。
北海道十勝地方。世界から完全に隔絶されたかのような猛吹雪の季節を乗り越え、限界集落にも確かな春の足音が近づいていた。
軒先からは、雪解け水がリズミカルな音を立てて滴り落ちている。
庭の分厚い雪の絨毯も少しずつ嵩を減らし、黒く湿った土が顔を覗かせ始めていた。
「春だな……。北海道の冬を生き抜いたってだけで、謎の達成感がある」
縁側のガラス戸を少しだけ開け放ち、俺はぽかぽかとした春の陽射しを全身で浴びていた。
手元には、ほかほかに炊き上がった玄米ご飯と、香ばしく焼き上げた大豆パティ。
究極に質素でミニマルな昼食だが、この大自然の空気とシロのマイナスイオン空間という最高のスパイスがあれば、どんな高級レストランのフルコースにも勝る。
俺の膝の上では、いつものように神獣シロがスライム状になってとろけている。
その足元では、キタキツネの兄弟、コン吉とコン次郎が、雪解けの庭で追いかけっこをしてはしゃいでいた。
『平和すぎる……最高のお昼休みだわ』
『玄米と大豆パティってのがまた、主らしくていいなww』
『シロ様も春の陽気で完全無防備になってるww』
『一生この配信見てたい。仕事戻りたくねえ』
ジンバルに固定された愛用のiPhone miniの画面には、今日も三百万人を超えるリスナーからの温かいコメントが雪解け水のように流れている。
だが。
限界集落の平穏は、突如として破られた。
『ブゥォォォォォン……ッ!』
この寂れた村には全く不釣り合いな、排気量の大きなエンジンの重低音が響き渡った。
コン吉とコン次郎がビクッと耳を立て、遊びを中断して俺の足元へと隠れる。
庭の先の細い道を塞ぐように停まったのは、ピカピカに磨き上げられた真っ黒な大型SUVだった。
「……なんだ? 宅配便のおじさんじゃないな」
車から降りてきたのは、仕立ての良さそうなスーツを着た、サングラスの男が二人。
彼らはぬかるんだ雪解け道を嫌悪感たっぷりに見下ろしながら、ズカズカと俺の家の庭先へと足を踏み入れてきた。
「おいおい、本当にこんなボロ家の裏山なのか? 開発予定地ってのは」
「ええ。限界集落で地価はタダ同然ですからね。地権者のジジイどもを丸め込んで、この裏の森一帯を更地にしてメガソーラーと外国人向けのリゾート施設をブチ建てるんですよ」
男たちの声は、春の静寂を切り裂くように大きく、そして下品だった。
「ひっ……キュゥ……」
コン吉が震えながら、俺のズボンの裾をギュッと噛む。
コン次郎も怯えたように身を低くし、男たちから隠れるように縮こまっていた。
男の一人が、庭先の縁側で玄米を食べている俺の存在に気づいた。
「あ? なんだ兄ちゃん。こんな廃村にまだ住んでる奴がいたのか。悪いが、この裏山は近いうちに俺たちの会社が買い上げる。騒音で迷惑かけるだろうが、まぁせいぜい大人しくしててくれや。……おっと、その薄汚いキツネも、森ごと駆除されねぇように気をつけな」
男がヘラヘラと笑いながら、コン吉たちを指差した。
その瞬間だった。
『……グルルルルルッ』
俺の膝の上でとろけていたシロが、ゆっくりと立ち上がった。
全身の純白の毛が逆立ち、サファイアとアンバーのオッドアイが、絶対零度の冷酷さを伴って男たちを射抜く。
周囲の気温が、物理的に数度下がったような錯覚に陥った。
「な、なんだこの猫……目つきがヤバいぞ……」
男たちが一歩後ずさる。
同時に、配信のチャット欄も完全にブチギレていた。
『おいコラ、今の発言絶対に許さんぞ』
『シロ様とキツネ兄弟の聖域を更地にするだと!?』
『どこの会社だ! 特定しろ!! 株価を紙屑にしてやる!!』
『(ドバイの石油王からの¥50,000MeTubeギフト)=”Unforgivable! I will buy their company and fire them immediately!“(許せん! 奴らの会社を買収して即刻クビにしてやる!)』
『(スイスの銀行家からの¥50,000MeTubeギフト)=”Destroying this sanctuary is a crime against humanity! I’m freezing their assets!“(この聖域を破壊するなど人類に対する犯罪だ! 奴らの口座を凍結する!)』
世界中のVIPと三百万人のリスナーが、画面の向こうで殺気を放っているのが痛いほど伝わってくる。
だが、俺は玄米の最後の一口をゆっくりと咀嚼し、ほうじ茶で流し込むと、極めて冷静な、元・社畜特有の「一切の感情を排したフラットボイス」で口を開いた。
「……お引き取りください。ここは、あんたたちの来る場所じゃない」
「あぁ? なんだと兄ちゃん。俺たちはビジネスの話をして――」
「ビジネス?」
俺は立ち上がり、男たちを見下ろした。
ブラック企業で、人間の尊厳をすり減らされながら、ただの歯車として消費されてきた過去。
誰の温もりもなく、絶望だけが広がっていたあの頃。
俺を救ってくれたのは、間違いなくこの場所だ。
シロがいて、コン吉たちが駆け回り、ただそこにあるだけで心が洗われるこの大自然の聖域。
それを、金と欲望のために更地にするだと?
俺の脳内で、陸上自衛隊『需品科』で培ったロジスティクスの計算式が、猛烈な勢いで弾き出されていく。
敵の侵攻を物理的に防ぐための、最も確実で、最も合法的な防衛戦術。
「……悪いが、その裏山をあんたたちが買うことは絶対にない」
「はっ、言うねえ。金のないニート風情が、どうやって俺たちの開発を止めるってんだ?」
男が嘲笑う中、俺はiPhone miniの画面をタップし、MeTubeの収益が振り込まれるネットバンクの残高照会画面を開いた。
冬の間、世界中のバカで最高な共犯者たちが、雪見酒やオーロラのたびに投げ銭してくれた、俺には一生使い切れないほどの天文学的なMeTubeギフトの結晶。
俺は、その圧倒的な数字の暴力を男たちの鼻先に突きつけた。
「――俺が買うからだ。この古民家も、その裏の山林も、村の空き地も。この一帯の土地すべてを、キャッシュで今すぐ俺が買い上げる」
「…………は?」
男たちのサングラスの奥の目が、見開かれたまま硬直した。
俺はカメラに向かって、はっきりと宣言した。
「世界中の皆さま。俺は今日から、この山の『山主』になります。コン吉たちが怯えずに駆け回れる、誰にも邪魔されない絶対の聖域(サンクチュアリ)を……俺が、物理的(カネ)に構築します」
『うおおおおおおおおおお!!!!』
『主、ついに地主になるwwww』
『言った! 最高にカッコいいぜ!!』
『全額キャッシュは草ww 業者の顔面蒼白で飯が美味いww』
『それでこそ我らの主だ!!』
『限界集落防衛戦(不動産買収)』
春の陽光が差し込む十勝の空の下。
業者たちが言葉を失って立ち尽くす中、シロが『ミャウ(当然ね)』と誇らしげに鳴き、コン吉とコン次郎が嬉しそうに俺の足元でピョンピョンと跳ね回った。
元社畜の限界スローライフは、大自然と動物たちを守るための『最強の地主』としての新たなフェーズへと、春の風と共に力強く突入していくのだった。
コメント
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ゆうきあきやさん、第76話読みました! 春の訪れとともに、まさかの**不動産買収編**に突入するとは思いませんでした…! あの開発業者たちがシロ様とキツネ兄弟を侮辱した瞬間、私も配信チャットと同じく「おいコラ!」ってなりましたよ(笑) でも、元社畜のフラットボイスで「俺が買う」って言い放つシーンは痺れましたね。 MeTubeの収益で全額キャッシュ買いって…w 世界の共犯者たちの力も感じられて、本当に痛快でした。 動物たちの聖域を守る決意、応援しています!🌷
ゆうき あきや
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#心理描写重視