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案内されたのは事故物件とはほど遠い、アーバンスタイルのモダンなリビング。大きな窓ガラスに壁がグレーでソファは黒。その前にある大きなローテーブルはガラスの天板で、無骨な金色の骨組みが丸見えなのが、逆に気品さを感じた。
私の荷物をそのソファにドサっと置いて「ここに座って」と、進められて。
おずおずと座り、少し青蓮寺さんを待っていると、テーブルの前にコツンとガラス瓶ラムネが置かれた。
氷のような青いガラス瓶に閉じ込められたビー玉。久しぶりに見たと思った。
「ラムネは瓶に限る。コッチでもう蓋は開けているから良かったら飲んで。さて、早速やけどもこれからの事を話しさせて貰う」
私の向かいソファに深く背を預け、足を組みながらラムネを飲む姿はなんたが、着物のモデルみたいだと思ってしまった。
「ラムネ、ありがとうございます。懐かしいです。こらからの事を教えて下さい」
「ん、まずは僕が犬養夫妻の事を調べる。でも、それ以前に受けている他の依頼のこともあるから少し時間は貰う。それはええな?」
「はい。勿論です」
「で、ららちゃんはその間。この家に待機して貰うんやけど、それは魂を僕に馴染ませて貰う為でもあるから、まずは僕とライフスタイルを合わせて貰いたい」
ラムネ瓶をまるでカクテルみたいな雰囲気で、ごくりと飲む青蓮寺さん。
私もそのタイミングでラムネを口に含む。シュワっとして甘くて。美味しい。
静かにまた、ラムネ瓶をテーブルに戻て返事をする。
「分かりました。大丈夫です」
そこから、朝七時起き。一汁三菜の和食の食事を用意して欲しいこと。昼ご飯は一三時に用意。それはなんでも良い。
夜ご飯は用意しなくてもいい。
掃除は私の部屋と、このリビング。キッチン、水まわりをすること。
なんでも呪術師なんて自営業。油断すると自堕落な生活になりかねないから、食事の時間は決めているとのことだった。
それらを聞いて、まるでハウスキーパーの面接に来たような感覚になった。
しかし、別に料理を作ることは嫌いじゃないし。何かやる事がある方がいい。
何もしなかったら黒助のことを思って、ずっと泣いてしまいそうだったから助かると思った。
その他には。青蓮寺さんの部屋や、札が貼っている部屋には絶対に入らないこと。
好奇心、猫を殺すと言われて、勝手なことなんかするものかと思った。
そもそも、札が貼られた部屋なんか入りたくない。
夜に関しては青蓮寺さんのメインワークタイムでもあるから、家を出ることも多いけど、私は二十四時前には就寝するようにと言われた。
一通り聞いて、別に気になるようなことは無かった。
むしろ自殺をしようとしていて、何も持ってない私に対して高待遇かと思われたが。
私の魂を差し出すと言うことが前提にある。そのことを忘れないようにしなければと思った。
説明を全部して。青蓮寺さんがはらりと、落ちた青い髪をすっと耳に掛けた。
「まぁ、ざっとそんな感じやね。同じ釜の飯を食う。これはオーソドックスやけども、他人と同調するには一番ええ方法かな」
「確かにそうですね」
「男女やったらもっと手短に、同調する方法はあるけどな」
青蓮寺さんがラムネをひとくち飲んでニヤリと笑うので、その同調方法とやらに興味を持った。
「へぇ。どんな方法なんです?」
「|房中《ぼうちゅう》術。ここでは割愛しとく。暇やったら適当に調べとき」
そう言うと、青蓮寺さんはローテブルの下から白いノートサイズのパッドを私に渡した。
「これは?」
「この家でららちゃんは、他にも僕の仕事を手伝って。最低賃金は出す。いやぁ、さっきも言ったけど。僕の仕事そこそこ繁盛していて、バイト欲しいなーって思っていたところやねん」
「バイトですか」
「そう。この職業って色々と守秘義務が多いし。いきなり他人を信用するにはリスクがある。ある程度、身元も知れている人物じゃないとなーって、思っていたところやねん」
「でも、私。呪いなんて何をするか良く分からないですけど」
「あ、ちゃうちゃう。呪いのアシスタントをしてくれってことじゃなくて。事務作業。経費とかの計算とか、メールのチェック。買い出しとか、そんなん。ららちゃん広告代理店に勤めていたんやろ? それぐらいやったら問題ないやろ?」
確かに、今言われた内容なら問題なさそうだと思った。
「それぐらいなら、大丈夫だと思います」
「オッケー。詳しいことはそのパッド中のマニュアルを見て。スマホは渡されへんけど、そのパッドは私物として個人的にこれから使ってええから。あぁ、履歴とかプライベートのことまで関与せぇへんから」
「……なんだか、至れり尽せりですね」
「魂に言うこと聞いて貰うには、肉体と精神を生きている間から調教しとく方がええから」
──調教ときた。
なんでもないように、さらっとした返事。裏表がない人なんだろうかと思った。
「で、慣れたら少し霊力を付けて欲しいから滝行とか。少し山に籠って貰って修行して貰う。その後は刺青させて貰うからよろしく」
次は修行。
なんだか予定が決まっていて、忙しそうだと思った。それも別にいいとして。
「刺青ですか」
これには、少し言葉を返してしまった。
「そ、胸に入れさせて貰う。言うても、こんなふうに入れようとは思ってないから」
そう言うと、ばっと青蓮寺さんは自分の着物の胸元をぐいっと引っ張った。
その胸元には仏教絵画とかで見るような、梵字や蓮の花が緻密に掘られていた。
まじまじと見入ってしまいそうになるほどに繊細な模様だったが、男の人と言えども肌を見つめるもんじゃないと思って。
ぱっと視線を逸らした。
でも、割とイイ体をしているなとか思ってしまった。
「僕の刺青は趣味を兼ねた、お守りやねんけどね。ららちゃんには小さいヤツを入れて貰いたい、かな。痛みもそんなにないから。大丈夫。意味合い的には視覚的に、ららちゃんは誰のものなか分からせる『呪い』やな」
さっと、器用な手付きで着物の衿を直す青蓮寺さん。
「なんだか、段々と青蓮寺さんの呪いに染め上げられて行く感じですね」
「そやな。あってる。刺青やタトゥーは元より、色んな呪いの側面も含まれているかな。ららちゃんのその感じからして、薄々分かっているとは思うけど。あくまで僕は魂が欲しいからであって。優しさや、ましてや下心で接している訳じゃない。もし何か。僕の許容範囲外のことがあれば──」
青蓮寺さんはラムネ瓶を持ち上げて、からんと意味ありげにビー玉を揺らした。
「そんな心配しなくて結構です。魂は差し上げます。私に出来る範囲のことは従います。でも、絶対に黒助を殺したヤツを呪って下さい。私の望みはそれだけです。他には何も入りません」
逆にそれが達成出来なかったら、青蓮寺さんを呪ってやる。
そんな思いを込めて青蓮寺さんを見つめると、青蓮寺さんはふっと微笑して。
「その言葉違えんようにな。いやぁ、それにしても、妙齢のご婦人に『従います』なんて言われるなんて、オモロいなぁ」
ふふっと笑って、残りのラムネを飲み干す青蓮寺さん。
それに対して私はあんまりおもしろくないです、とは言えずに。私も残りのラムネを口にした。しゅわしゅわと弾ける爽快感がほんの少し。
喉にちくりとしたのだった。
話がひと段落付いたところで。
私が勤めていた会社のことや、犬養夫妻の詳細なことを求められた。それを伝えた後に。
この家の簡単な案内を受けた。青蓮寺さんの私室には用があったら必ずノックをすること。返事が無かったら勝手にドアを開けない。諦めろとか。
などと、部屋を案内されて。
最後に私の部屋を案内してもらった。
その部屋は立派な部屋でベッド、テーブルに椅子が既に完備されていた。
どうやら来客用にと用意したものの、使う機会に恵まれ無かったと言うことだった。
因みに──。
一家心中があった部屋は、青蓮寺さんの部屋であると言うことを教えて貰った。
本当かどうかは分からないけど。
私の部屋じゃなくてとりあえず、ホッとした。
青蓮寺さんは、この後も仕事があるそうで出かけるらしく。
食事は冷蔵庫に何かあるから、適当に食べるようにと言われ。
最後に今日は好きにしたらいい。明日からよろしくと、青蓮寺さんに言われて。買い込んだ荷物を渡されて部屋に残され。やっと一人になった。
深くため息を吐きながら、よろよろと荷物を解くことなく。ベッドに倒れ込む。
すると布団からは柔軟剤の良い香りがした。
しかし、当然だけども私が今まで使用していた柔軟剤とは違うもの。
ごろりと横になり、天井を仰ぐ。
もちろん、天井の風景も違う。
「まさか、こんなことになるなんてね……」
こんなことになるなら、黒助の写真一枚ぐらい残しておけば良かったと思った。
黒助が居たという物証が何もないのが寂しい。
「ごめんね、黒助。黒助に助けて貰った命なのに、こんなことに使ってしまってごめんね。でも、私には良い方法が他に無くって」
もし、自分で黒助の仇打ちをと考えるけど。
素人の私が頑張っても、何も証拠も得られないのではと思った。
証拠を得ても、黒助を殺した人物がわかったところで。
「法律上ペットは『モノ』扱い……」
法律上に乗っ取り。正しい手続きをして、たくさん時間をかけて審議をしても。ペットと言う『モノ』を失った、慰謝料を数十万手にして終わるのが関の山だろう。
警察や弁護士に行くときに自分で調べていたから、それぐらいは知っていた。
それでもなんとかしたいと言う思いがあった。
しかし、本音は黒助を返せ。
それが出来ないなら、黒助を殺した相手が酷い目に遭えばいいと思っている。
だから廃ビルの上で。
私は呪いを頼った。
ふうっと、大きく深呼吸してベッドの柔らかなシーツに顔を埋める。
黒助が生きていたら。私の元に居たら。そんな切ない想いに瞳を閉じた。
そうするといろんな思い出が過ぎった。
色んなことを考え過ぎたのか。
どれもこれも、なんだか他人事のような感覚。今日、死のうとしていたのも。遠い昔の出来事みたいに思えてしまった。
奥さんに不倫の真実を突き付けられた、日々の苦しい思い出や。犬養国司に裏切られたと言う悲しみも、前までは思い出しては嗚咽しながら泣いていたけども。
今は目的が出来たからだろうか、沸々と怒りが静かにこみ上げた。
でも、今はなんだかとても眠たくて。感情の起伏さえもしんどくて。
一度寝てしまおうと思って、そのまま眠りについたのだった。
喉が渇いた。
眠りながらも、意識が訴えてきた。
無視するには口の中のパサつきを不愉快に感じて、素直にうんっと。ゆっくりと起き上がると部屋は真っ暗。
「あ。やってしまった」
爆睡したと思った。
ガバッと起きて、パッドの画面を見ると二十四時を回っていた。暗闇の中。パッドのライトで目がシパシパする。
青蓮寺さんのいい付け通りに二十四時を過ぎていたのでまた、寝なくては行けないと思ったけど。
日付が変わり。さっそく朝からご飯の準備をしなくては行けない。パッドのマニュアルも確認しておきたい。それに、ちょっとキッチンを詳しく見ておきたい。
「あと、少しお腹減ったし、喉乾いたし。お風呂入りたいし……」
と思い。部屋をこっそりと出ると、廊下はフットライトの明かりのみで。人の気配は無かった。
「あ、そっか。青蓮寺さんは出掛けているんだっけか」
ほっとして、悪いとは思いながらキッチンに向かう。
この家はどうやら、反応センサー付きのライトのようで。
リビングに戻ると勝手に明かりが付いた。
それに少々驚きながらも、よく手入れが行き届いたプロが使うような広いキッチンに近寄る。
「えっーと、コンロはIH式で、食材洗浄機も備えてある。電子レンジ、オーブン、炊飯器もある」
キッチンをつぶさに見ると、キッチン道具もよく手入れが行き届き。どれも清潔で持ち主が綺麗好きだと良く分かった。
「ってか、この調理器具とか。ほぼ最新式じゃない。凄いな」
そのまま、失礼しますと。
後ろにある大きな冷蔵庫を開くと、シューズクローク同様にキッチリと食材や調味料が揃っていた。
「あ、中も凄い。これだったら一汁三菜すぐに出来そう」
ふんふんと朝に作る献立や、食器の位置を確認にしてから。キッキンの端にあったバゲットを貰い。
そのまま適当千切って、オリーブオイルと塩を付けて水で胃に流し込んだ。
私が食べる分には正直、これで十分。
「よし、後はさっとシャワーを浴びさせて貰おう」
サクサクと部屋に戻り、お風呂場に向かった。
浴室は黒い大理石がふんだんに使われ、ピカピカで広く。清潔。
本当にホテルに泊まりに来たような感じになりながらも、ここにいつまで居れるか分からない。
せめてこの家に愛着は持つまいと言い聞かせて、さっと入浴を済ませたのだった。
あとはまた部屋に戻り。真新しいパジャマに着替えて。ベッドの上で、パッドを開いてマニュアルのファイルを見ていると、普通の事務職みたいな作業が多く。やって行けそうだと思った。
しかし、買い出し必要リストの項目の中に。
「和紙。墨汁。清め塩。榊に御神酒。なんか、ソレぽっいなぁ」
どれもネット販売とかで揃えても良さげな品かと思ったけれども。それぞれの品物に細かくお店の指定があった。
中には販売元が神社と言うものもあり。より一層ぽっいと思ったのだった。
そうして色々と読み込んでいると、瞼がまた重くなって来たので寝ようと思った。
電気を消して布団を被る。
前までは、明日なんか来るなと思っていた。
黒助の事を考えて眠れ無かった。未来への不安で胸が押し潰されてしまいそうだった。
でも今は。
黒助。私頑張る。おやすみ。と、胸中で思えるようになっていたのだった。