頭上を雲一つない青い空が流れていく。街中を走っていても、東京に比べて高い建物が少ないために、空がずっと広く見えるのだと気づいた。藤澤さんの実家は少し郊外のほうにあって、二階建ての一戸建てなうえに大きな庭が広がっている。集合住宅で育った俺からすると、一戸建てというだけで驚いてしまうが、藤澤さんは田舎ではこれは普通なのだと笑う。車庫らしき倉庫の前にスクーターを停めて、玄関のほうに案内してくれる。
「ただいまぁ」
がらりと引き戸を開けた途端に、何か大きな塊のようなものがこちらに向かってくるのが見えた。思わず目をぎゅっとつむるが、予想していた衝撃は襲ってこない。おそるおそる目を開けてみると、俺の隣で藤澤さんが2匹の犬の下敷きになって倒れていた。
「ちょっと油断しちゃってたよね」
倒れたままばつが悪そうに笑う藤澤さんに、何か突っ込みを入れるかのように2匹の犬が交互に吠えた。
「いつもこうやって出迎えてくれるんですか?」
「いや、そんなことは……普段はもっとおとなしいんだよ、甘えん坊なんだけどさぁ」
よしよし、一回どいてちょうだいよ~と腹の上に居座っている犬の頭をわしゃわしゃとなでる。
その時、玄関の奥から藤澤さんのお母さんらしき小柄な女性が顔を出す。
「あら、いらっしゃい~。涼、なに玄関で寝転んでるの」
藤澤さんの柔らかな笑顔とのんびりとした話し方は母親譲りらしかった。
「急に飛び出してきたんだよぉ」
と抗議の声をあげる藤澤さん。お母さんが犬たちに声をかけると、2匹ともぱっと彼女のほうに駆け出した。
「珍しいわねぇ、涼が朝からそわそわしてたからうつっちゃったのね」
2匹をよいしょと抱き上げて、こちらを見てにっこりと微笑む。
「外、暑くて疲れたでしょう。あがって。冷たいお茶を入れるわね」
お邪魔します、と俺は丁寧に頭を下げた。そういえば、とリュックに入れていた菓子折りを取り出す。袋が皺になってしまったが仕方ない。
「すみません急に。藤澤さんの大学の後輩で大森元貴といいます。お世話になります」
「そんな、気を使わなくていいのに。涼ったらもうずっと楽しみで落ち着きがなくって。今日もね、暑いんだから車出すわよって言ったのに、自分がスクーターで迎えに行くって聞かなくて、わざわざヘルメットも昨日買ってきて……」
わっ、ちょっとお母さん、と慌てたように藤澤さんが言葉を遮る。
「僕のどかわいたなぁ!ね、大森君もそうだよね、ほらあがってあがって」
わざとらしく話を逸らそうとする藤澤さんがなんだか可愛らしくって、思わず笑みがこぼれる。今日が楽しみで仕方なかったのが自分だけでないことが分かっただけでなく、あのヘルメットは自分のために彼が用意してくれたものなのだと知れたことがたまらなく嬉しかった。
通された居間は和室になっていて、畳のにおいがどこか懐かしい。壁にはいくつか写真が飾ってあり、幼いころの藤澤さんらしき少年が写っている。小学校低学年ぐらいだろうか、元気に両手でピースサインを作って屈託なく笑うその顔には今の藤澤さんの面影がある。
「藤澤さんは一人っ子なんですか?」
藤澤さんの写真しか見当たらないことに気づき、そう尋ねると
「うん、そうだよ~」
と頷かれる。意外だった。てっきり弟や妹が下に何人かいそうだと思っていたのに。
「でもずっと弟が欲しかったから、大森君が仲良くしてくれて、弟ができたみたいでうれし~」
にこにこと無邪気に笑う藤澤さん。
「大森君はお兄さんがいるんだよね。前にLINE勝手に送られたって言ってた……」
「そうです、7個上と14個上に。こないだ話に出した兄貴は2番目で一緒に住んでるんですけど、一番上の兄は就職と同時に実家出てるんで、俺が7歳か8歳の時かなぁ。仲は良くも悪くもって感じですかね」
「結構離れてるんだねぇ、めちゃくちゃ可愛がられてそう」
「まぁ甘やかされてはいるのかも……特に一番上の兄には」
「そんな感じする。大森君って年上に可愛がられるタイプだよね」
そうなのかな、と首を傾げる。自分ではよく分からない。写真の中には、ピアノの演奏会らしきものや、中学生らしく詰襟の制服を着た藤澤さんがフルートを自慢げに掲げているものなどもある。
「なんというか……黒髪の藤澤さんって違和感ありますね」
そこ?!と苦笑しながらツッコミを入れてくる。
「でも染めたの上京してからだから、まだ金髪歴のが浅いんだけど……」
「高校の時は染めてなかったんですか?」
「うちの高校は校則厳しかったからね~。僕は寮生活だったし、派手なことしてたら目付けられやすかったから特に」
「寮だったんですか!」
うん、と藤澤さんが頷く。
「通ってた高校が割と遠くて。小諸市ってとこにあるんだけど、長野駅からさらに電車で1時間以上かかるんだよね。しかも本数少ないし。でも県内に音楽科のある高校がそこにしかなかったからどうしても通いたくて親に頼み込んだんだ。音楽科の学生さんは結構遠いところから来てる人が多かったから、音楽科専用の学生寮がいくつかあって、だいたいの人が寮に入ってたかな~。専用寮は防音完備だから練習も気兼ねなくできたしね」
「音楽科……」
藤澤さんの音の作り方はトラディショナルに基礎がしっかりしているタイプだとは思っていたがそういうことだったのか。
「中学でフルートに出会って、もうその魅力にとりつかれちゃったんだよね。もっとフルートのことを本格的に学びたいって思って、将来も音楽関係の仕事につけたらなって」
「あれ?じゃあ藤澤さんは教育学部の音楽コースなんですか?」
ううん、とかぶりを振る。
「初等教育コースだよ。小学校の先生になりたくて、今の大学に進学したんだ」
「小学校の先生ですか……」
彼の柔らかい雰囲気は確かに子供にも好かれるだろう。小学校の先生として働いている様子も容易に想像がつく。
「音大とも迷ったんだよ。でももともと子供好きだったし、仕事としてずっと関わっていくなら、憧れもあったから小学校の先生がいいなって」
あらゆるものに向き合うことから逃げた結果、今の大学に進学した俺にとっては、まっすぐに夢を語る藤澤さんが眩しかった。彼の話に相槌を打ちながら、俺は恥ずかしさと情けなさで彼の顔を見ることができなかった。
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明日はバレンタインなので短編の方の更新になります!こちらの更新はお休みになるのでよろしくお願いします〜
フェーズ1の頃から色んな髪色をしてる涼ちゃんですが、自分はなんだかんだ金髪が1番好きだなぁなどと。
コメント
6件
楽しみでヘルメット新しく用意してる涼ちゃんかわいい~~
ヘルメットの2つの意味が理解できて嬉しかったです( ߹ㅁ߹) 涼ちゃんが、待ち遠しなっていたと考えるともう( ⸝⸝⸝ ♡ཫ♡⸝⸝⸝) これからどうなるのか気になります(˶' ᵕ ' ˶)
うふふ好き🫶涼ちゃんが小学校の先生だったらなんか、舐められそうwでも、優しい先生になるんだろうなぁ