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篠原愛紀
#独占欲
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月曜日。会社での私は、完全に集中力を欠いていた。
「……白石さん。この書類、数字が昨日の日付のままよ」
雨宮主任の指摘に、心臓が跳ねた。
「……っ! 申し訳ありません、すぐに作り直します」
「白石さん、ちょっと会議室(ブース)へ来てくれる?」
初歩的なミス。雨宮主任は、私が抱えているものが単なる不注意ではないことを見抜いていた。静まり返った小さな会議室。主任は私の向かい側に座り、少しだけ目元を和らげた。
「朝からぼーっとして。何か悩み事?」
「……実は、結婚に向けて準備をすればするほど、私の理想とする『普通』から、どんどん遠ざかっていく気がして。私はただ、陽一さんと目立たない場所で、静かに暮らしたいだけなのに……」
「……私ね、結婚式はかなり豪華に挙げたのよ。元夫の両親の希望で、何百人も呼んで、お色直しも三回して」
雨宮主任は窓の外を流れる雲を見つめ、どこか遠くを懐かしむように口を開いた。
「でもね、不思議なことに、その日のことは全然覚えていないの。あんなにお金をかけて、あんなに準備したのに。記憶に残っているのはドレスの締め付けが苦しかったことくらい」
主任は私の方を向き、優しく微笑んだ。
「その代わりに、今でも覚えているのはね……朝起きて、家族で一緒に目玉焼きを食べたこと。そんな『当たり前の毎日』の記憶だけなの。結婚式なんて長い人生のたった一日に過ぎない。大事なのは、残りの日々を誰と、どう過ごしたいか。……それを決めるのは、あなた自身よ」
主任の言葉が、心にじんわりと響いた。
会議室を出る時には、私の心に迷いは消えていた。陽一さんとの小さな幸せを守れるのは私しかいないのだ。