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第四章
「ここは俺が使用する部屋なので安全です。間もなくバイロン国軍が全て引きあげてきますが、誰もここへは入れません」
「わかった。世話をかけるね、ゼノ」
「いえ。俺が無理に連れてきたようなものですから。必要なものや困ったことがあれば何でも仰ってください」
「うん、ありがとう」
「トラビス殿も必要なものがあれば言ってほしい」
「承知した。とりあえず腹が減ったぞ」
「トラビス!」
部屋の中を見ていた僕は、遠慮のないトラビスの言動を咎めた。
ゼノは声を出して笑うと「何か持ってこさせよう」と部屋を出て行く。
「ゼノ、持ってこなくていいよ」
「いえ、俺も腹が減りましたから。それに軍が引きあげて来ますと、宿の者が皆の食事に手を取られて食べ損ねるかもしれませんし」
ゼノが扉を閉めるとすぐにトラビスに注意をする。
「僕達は捕虜なんだよ。少しは大人しくしてて」
「大人しくしてるではありませんか。腹が減ったから減ったと言ったまでです。それにフィル様も移動の間に腹が鳴ってたではありませんか」
「そんなことっ…」
ない…と言いたいけど確かに鳴った。ゼノもトラビスも反応しなかったから気づいてないと思ってたけど、知らないフリをしていただけか…。
僕はトラビスから顔を背けて窓に近寄り外を眺めた。
ここはバイロン国の採掘場がある村から少し離れた大きな宿だ。バイロン国軍は一旦ここで休んでから王都に戻るらしい。
無事に国境を越えて宿に向かう道中で、ゼノからリアムが記憶を失っていることを聞いた。採掘場の穴の中で天井が崩落した時に、頭を強く打ったらしい。幸い頭の骨に異常はなく出血もなかったけど、目を覚ました時に、ある一定の期間の記憶がすっぽりと抜けていた。それは、僕と出会う数ヶ月前からの記憶だそうだ。
僕と出会った時、リアムは旅をしていると言った。その旅に出たところまでは記憶がある。しかしその後の記憶がない。だから旅をしている途中で怪我をして、心配したゼノや部下達が駆けつけてきたのかと思っていたようだ。
ゼノ以外の者は、数ヶ月間の記憶が抜けたところで問題はないと安堵した。
しかし僕の存在を知るゼノは、言葉が出てこなかったそうだ。僕のことを話しても一笑に付されるかもしれない。そもそも僕と出会う前のリアムは、男になど微塵も興味を持つことはなかったのだから。
数ヶ月間の記憶を失ったけど、リアムは以前となんら変わりなかった。だけどゼノだけは「どう接するべきか戸惑いました」と言った。
僕と出会って過ごして戻ってきたリアムは、とても柔らかい空気をまとっていたらしい。それ以前から周りの者に慕われてはいたが、表面上は穏やかでも内面は冷たく感じる時が多々あったそうだ。ゼノは僕の隣で幸せそうに笑うリアムを知っているだけに、僕のことを知らないリアムに戻ってしまったことが悲しいと寂しそうな顔をした。
ゼノの話を思い返しながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた僕の目に、バイロン国の旗が映った。バイロン国軍が戻ってきたのだ。旗の隣で馬に乗る人物を見て、心臓が激しく鳴り始める。
「リアム…」
僕は声に出さずに口の中で呟く。
しかしその声が聞こえたかのように、リアムがいきなり顔を上げて、二階のこちら側を見上げた。
一瞬目が合い、慌てて壁に隠れる。
「どうかされ…」
「しっ!」
僕を見て口を開きかけたトラビス向かって、人差し指を口に当てて黙らせる。
トラビスは足音を立てずに窓に近づいた。外からは見えない位置でそっと覗く。そして僕を見て、納得したように頷いた。
しばらく無言で、外の騒めきがおさまるのを待つ。今後の予定などを話しているのか。二人で壁に張りついていると、飲み物を手にゼノが戻ってきた。
部屋に入るなり、壁に張りついて動かない僕とトラビスを見て首を傾ける。
「なにをしているのですか?」
トラビスが壁から離れ、再び外を覗いて「もう大丈夫ですよ」と僕に言う。
僕もようやく壁から離れて外を見た。
リアムはもう、こちらを見てはいなかった。僕に背を向け、騎士達に指示を出しているようだ。
ゼノが僕の横に来て、外を見て「ああ」と納得した。
「もう軍が着いたのですね。思っていたよりも早かった。先に食事を頼んでおいてよかったです。すぐに持ってきてくれるそうです」
「…ありがとう。それとゼノごめん。リアムに姿を見られたかもしれない」
「あの方は何ごとにも敏感ですからね。気配を感じたのでしょう。でもフィル様は、今はバイロン国民によく見られる茶色の髪をしてますから、心配はいらないのでは?」
「でも、ここはゼノの部屋だろ?なのに見覚えのない人物がいたら不審に思われないかな…」
「ふむ…。不審には思わなくとも、フィル様の顔を見たなら興味を持ったかもしれませんね。リアム様は二度もフィル様に求婚なさったようですので」
「はあ?二度もとはどういうことだっ!」
突然トラビスが大きな声を出した。
僕は肩を揺らして驚き、トラビスの口を慌てて塞ぐ。
「声が大きい。外に聞こえたらどうするのっ」
「しかしっ」
「後で話すから。ちょっと黙って!」
「…かしこまりました」
トラビスが口から僕の手を離して渋々頷く。
トラビスは感情的だから、ラズールよりうるさくて面倒だと最近になってわかってきた。それに改心したように見えたけど、やはり僕のことをまだ嫌いなんじゃないかとも思えてくる。
「あっ」
「なにか?」
トラビスを睨んでいると、トラビスの背後の窓から鷹が見えた。
僕の目線を追ったゼノも「ああ」と頷く。
「トラビス、レナードからの返事が届いたようだよ」
トラビスも窓の外を見る。そして鷹に気づき「受け取ってきます」と部屋を出て行った。
ようやく静かになったと息を吐き、僕はゼノに話の続きを促した。