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東京大学での生活は、想像していたものとは違った。それは、確かに日本一の大学で学べるという特別な経験であり、私が追い求めてきた目標の一つではあった。しかし、その中で「なにか」を見つけようとするたびに、私は逆に自分がどこかで迷子になっているような感覚に苛まれていた。
私が東京大学に合格した時、その瞬間に達成感と優越感を抱いたが、東大で過ごす日々が続く中で、次第にその感覚は消え去り、虚無感だけが残った。授業は厳しく、周囲の学生たちも私以上に優秀で、努力を積んできた。だが、それ以上に私の心を蝕んでいたのは、自分が何のためにここにいるのかという問いだった。
時間が経つにつれ、私は勉強に対する熱意を失い、講義にも足を運ばなくなっていった。最初は図書館で一人、参考書に向かう日々が続いていたが、次第にそのルーチンも崩れ、空いた時間は虚無的に過ごすようになった。部屋に閉じこもって、何をするでもなく時間が過ぎていく感覚が、ますます私を孤独に追い詰めていった。
その孤独感は、友人たちとの距離感にも現れていた。最初は一緒に切磋琢磨し、勉強や大学生活について語り合っていた友人たちも、次第に私の変化を感じ取ったのか、疎遠になっていった。彼らが未来に向かって進んでいる中で、私は何かに取り残されているように感じていた。焦りや不安が募る一方で、それをどう解消すべきかが全く分からなかった。
そして、卒業が近づく頃になっても、私は自分の進むべき道が見つからなかった。周囲の友人たちはそれぞれの進路を決め、社会に出る準備をしていたが、私は東大に入った意味すら見失っていた。東大合格という目標を達成した後、私の心には空っぽの穴が残っていたのだ。
卒業式が迫る中で、私は決定的な選択を迫られることになった。果たしてこのまま卒業して、同じように社会に出るべきなのか、それとも…。
結局、私は卒業式の前日、自ら退学届けを提出した。
退学という選択は、まるで自分自身を裏切るような行為だった。これまで積み重ねてきた努力や、周囲の期待、そして自分自身が掲げてきた目標すべてを捨てることになるのだから。だが、それ以上に私は、何かに縛られ続ける自分自身に耐えられなくなっていた。東大に合格したという「成功」は、私にとって一つのゴールであると同時に、重荷でもあった。成功の後に何を求めるべきなのか、その答えが見えないまま進み続けることができなかったのだ。
退学届けを提出したその日、私は校内を静かに歩き回った。思い出深いキャンパス、共に学んだ仲間たちとの思い出が蘇る。だが、心の中は不思議なほど静かで、恐れや後悔はなかった。これが自分の選んだ道だという確信があった。
卒業式の前日、東京大学の門を最後にくぐり、私は一人、世界へと歩き出した。それは、失敗のようであり、同時に新しい始まりでもあった。
その日、私が見上げた空は、これまで見たどの景色よりも広く、自由な空に感じられた。