テラーノベル
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第3話『二人の過去』
公園にこれでもかと植えられているポプラやブナの木々が、6月末の涼しい風を受けて騒ぎ立てる。
そんな中で私は、何故リスクを負ってまでアルトラと関わろうとしたのかを考えた。
しかし、理由はすぐにはわからなかった。
正義感だったのか、怒りだったのか——あるいは、私はただ、あの日の自分を救おうとしているだけなのか。
——そうだ。きっと私は、彼の痛みに寄り添うことで、あの日から胸に刺さったままの棘を抜こうとしているんだ。
だから、痛みを耐える誰かの胸に、事情も知らないまま棘を刺す側の人間には、なれなかったのだろう。
「——私は、クラスメイトの子がアルトラ君を避けて、関わるなって——いじめに加担しろって言ったから、アルトラ君が本当にそんな悪い人なのか気になって……」
「悪い人だよ」
「でも、そんな風には見えなかった。アルトラ君、すごい寂しそうで……」
誰にも気付かれないように、遠くを眺めていたあの日の彼は、私と同じで——何かが変わるのを待ち、助けを求めているように見えた。
冷たかった石のベンチが、少しずつ私の体温を受け入れていくなか、石の机の上にカバンを置きその上に肘を付いたアルトラは、質問を重ねた。
「噂を知っていたんだろう。怖くはなかったの?」
「……正直、少し怖かった。暴力は——苦手で」
「じゃあなんで、怖いのにわざわざ構おうと思ったんだ」
「それは……」
身動ぎした私のスカートが、石のベンチに引っ掛かり、腰のあたりが引っ張られる。
——それで一瞬、私は自分が受けてきた暴力を思い出す。
……怖くて、痛くて、辛くて、悲しかった。
誰かに助けを求めることも出来ずに、ただ耐えて、終わる日を待っていた。
だから私は、同じ痛みから、同じ悲しみから、誰かを救って、自分を救いたいと思った。
——あの日、その正義感らしきものは、恐怖心を捨てさせて、アルトラに手を差し伸べる勇気をくれた。
何かを変える勇気、自分を正しいと信じるための勇気を。
「アルトラ君がもし、私と同じような寂しさを感じているのなら、助けてあげなきゃって思ったの」
「……それで自分が苦しむ羽目になっても?」
「うん」
小さな風が小屋の中を抜けていき、アルトラと真っ直ぐ向き合う私の前髪を揺らす。
——私は、正しさに従いたい。
間違っていると言うみんなの方が、間違っていることだってある——ずっとそう感じながら、ずっと耐えてきたのだ。
だから私はきっと、自分の正しさを、自分自身で証明したかったんだ。
「ねえ、アルトラ君」
「アルトラでいいよ、同級生なんだし」
「えっと、アルトラ——くん」
「……なに?」
「アルトラ君は、みんなが正しいと思う?」
彼は、私の漠然とした質問の意味を捉えかねていたが、「正しい?」と呟いた後で少し考えてから、ゆっくり話し始める。
「正しいんじゃないかな。そりゃ、君……リンみたいに、みんなが自分を犠牲にしてまで正しくありたいわけじゃないだろうから、面倒事に巻き込まれたくないのなら、関わらないのが正しいよ」
口もとを隠すように、顎に手を置いて話す彼は、自分を悪人として扱う人たちの『正しさ』を認めた。
——アルトラの言う『正しさ』は、私の思う理想的なそれとは違って、『仕方のなさ』だったり『最適解としての正解』という意味を含んでいるようだった。
見捨てることを『正当化』して、見て見ぬふりすることを『合理的』と考える——それが『正しい』ことなんだ、と。
「そっか……。でも、アルトラ君だってさっき、私のことを助けてくれた」
「スカートをたくし上げようとするまで、放っておいて見てたから、みんなとそう大して変わらないよ」
「それでも助けてくれた。だから……」
——きっと彼の中には、私が理想とする『正義』がある。
見捨てないことを『正当化』し、『不合理』な選択をする、誰にも理解されない『正義』を、彼は持っている。
だから私は『アルトラ君は私にとっては、正義のヒーローだよ』なんて言おうとしたが——なぜだか恥ずかしくなって、言えなくなってしまった。
二人の間に静かな時間が流れ始めると、テニス部のラリーの声や、公園を走る野球部の掛け声、遊びに来ている小学生たちの声が、校舎や公園裏にある山で反響しながら、次第に賑やかになって行った。
そんな中で、アルトラは次の話題を切り出した。
「リン——答えたくなければいいんだけど、君はどうしてあいつらにいじめられてたんだ?」
彼は、私がいじめられた原因について、気になったようだった。
しかし『どうして』というのは、いじめられる側としてはなかなか嫌な質問で、『お前は何かを間違えたんだ』と言われたようなものだった。
それでも私は、彼に——同じ境遇に立つアルトラに、知ってほしいと思った。
「私が間違えたのは―—いじめの原因になったのは、多分私が五年生の頃、みんなより……その、下着をつけ始めるのが遅かったりとか、えっと……気にせずに見えちゃうような姿勢をしたりすることがあったから……」
「……そんなことで、か」
アルトラは申し訳なさそうに、少し恥ずかしそうに視線をそらし、それでも真剣に私の話を聞いてくれた。
——彼は、私をからかったりしない。
私の悩みを笑ったり、胸をジロジロ見つめたりしない。
「最初はあいつらにからかわれてただけなんだけど、そのうちに中学生の人のところに連れて行かれるようになって、それで……」
「……もういい」
アルトラは突然遮るようにそう言うと、いつの間にかうつむいていた私の方に目線を戻した。
——彼に、私が何をされたのかを話すのは、それでも少し躊躇いがあった。
全部聞いてほしい、でも知られたくない。
私が汚れてしまった経緯を——
「私は——あなたに知ってほしい」
「……それで、知らせて僕を利用したいの? 暴力を、君の正しさの為に?」
少し強情に語ろうとした私を止めるために、アルトラは突き放すように、見透かすように、冷たい言葉で私を咎める。
——本当は、そうなのかもしれない。
私は、彼を味方に引き入れ、またいつ起きるか分からないいじめから守ってもらおうとしているだけなのかも知れない。
彼を助けるふりをして——本当は彼に助けられようとしているだけなのかも知れない。
「……ごめんなさい」
「謝るなよ。無理やりされたのも……知ってるし、動画売られたのも、バカヒロがそれを買ってたことも知ってる——話すだけ辛いだろ」
震え始めた肩をなんとか下げて、ゆっくりと目線を上げるとそこには、優しい表情をした彼がいた。
彼は私と目が合うと、大きく息を吸い込んで、ため息を吐いて、少し体を動かしてから座りなおした。
「じゃあ、なんで僕が暴力を振るうようになったのか、教えてやる」
公園の遊歩道を走る野球部の姿を眺めながら、アルトラはそのきっかけを話したが——ちょうどその瞬間に、彼らの『押忍!』という声が重なって、よく聞こえなかった。
……あるいは、私はあまりの衝撃で、聞こえないふりをしたのかもしれない。
「——ごめん、聞き取れなかった」
「だから、原因は君だったんだ、リン」
今度はしっかりと目を合わせ、彼の口から放たれた言葉は、私自身の耳に対する疑いを解いた。
——しかし、どういうことなのだろう。
私とアルトラが会ったのはあの夏祭りの日が初めてで、彼の暴力が始まったのは、五年生の時の担任を殴ったのが始まりだ、という噂を聞いている。
「まあ、原因って言い方は悪かったかな……。でも、あの日、バカヒロのケータイが教室に置いてあったから、悪戯というか、嫌がらせのつもりで勝手にあいつのケータイを見てたら、たぶん君の——動画があって……それで『逆パカ』したのが始まりなのかな」
アルトラは先程も、バカヒロ——彼の小学五年生の頃の担任が私の写真や動画を買っていたのを知っていると言っていた。
つまり、彼を暴力に導いたのは——私が受けていたいじめだった、ということだろうか。
「その後でプールの中に放り込んだから、結果として僕がその証拠を消したことになるんだけどね——でも、あの時はそれが正解だと思ったんだ」
アルトラは自嘲気味に笑いながら、また私の身体から目を逸らした。
——合点がいったが、彼に対して申し訳ない気持ちになった私は、またうつむいてしまう。
最初から、私は彼を助ける立場にはいなかった——どころか、間接的にとはいえ彼を貶めたのは、私自身だったのだ。
「——だから、アルトラは夏祭りの日、最後に私の身体を見たんだね……」
「そんなつもりでは……」
アルトラは弁明するように言ったが、私もそんなことは分かっていた。
ただ、出来すぎた話——まるで運命のような巡り合わせに、私たちはお互いを、知らないうちから引き寄せあっていたのだと感じた。
そう思うと、アルトラを悪い噂から救いたいと思った私も、目の前でたじろぎながら話をする彼と、本質的には同じ存在のように見えて、少し面白いと思ってしまった。
「それで、バカヒロが水泳の授業で女子更衣室を覗いたタイミングで、大喧嘩になって、ボコボコにしちゃったってのが始まりかな」
「……その上で車のタイヤに、文字通り釘を刺した、と」
真面目な顔をしていたアルトラは、一瞬私の言葉の意味を考えて、それを理解すると吹き出すように笑った。
うつむいたままだった私から放たれたジョークに、アルトラは自分のカバンに顔を|埋《うず》めてバンバンと叩きながら、頑張って呼吸を整えようとして、失敗した。
「ち、ちが、釘を刺したのは僕じゃない、いきなり笑わすなよ!」
ツボに入ったのか、爆笑するアルトラに、思わず私も釣られて笑ってしまう。
暗い雰囲気は一瞬で霧散し、私たちは涙が出るほど笑ってしまった。
「あはは。やっぱり、アルトラって面白いよ。こんなにちゃんと笑ったの、久しぶりかも」
「面白いこと言って、笑わせてきたのはそっちじゃん!」
大笑いしながら抗議をするアルトラと私は、しばらく二人で笑い合うことになった。
そして、ひとしきり笑い転げたのち、二人ともなんとか息を整えてから、ようやく元の話題に戻ることが出来た。
「アルトラ。あなたも自分の正義を信じただけで、やっぱりみんなにいじめられるようなことは、何もしてないんじゃないかな」
「……でも、バカヒロの作った噂もあるし、顧客を潰されたあいつらは、中学に入るなり僕にちょっかいをかけ始めたし、巻き込まれたくないってのは仕方がないよ」
アルトラはそう言いながら、小屋の中に設置された時計を見ると「そろそろ道場行く準備しなきゃいけないから、また明日」と言って、帰って行った。
——また明日。運命か宿命か、巡り合った私たちはこの日、お互いを友人として認め合ったのだった。
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