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「どうしたの? 何かあった?」
「阿部ちゃん」
聞いた途端ぎゅっと抱き着かれて、阿部は一瞬後ろへ倒れるかと思いながら何とか体勢を整えた。声も上げないで涙を流しながら阿部の腰に抱き着いた渡辺は鼻をすすると、ぐりぐりと脇腹に頭を押し付けてくる。
「あは、くすぐったいって」
「……どこにも行かないでよ」
そっと顔を上げてこちらを見上げる瞳は、涙で濡れてゆらゆらと揺れている。吸い込まれるような円らな瞳。そこから視線を逸らせないまま、阿部は右手で渡辺の前髪をかきあげた。
大勢の人のいる前では、何を言われたって平気そうな、タフな振りをしているけど、実は泣き虫で寂しがりや。そんなところが可愛いと思うし、守ってあげたくなる。潤んだ瞳を見ていると、彼が願うことならなんだって叶えてあげたいと思ってしまう。
「俺は、どこにも行かないよ」
阿部は優しく微笑んで言った。渡辺の瞳から零れ落ちる涙をそっと舐めとってやる。そして頬を両手で包み込み、身を屈めて唇を重ねる。くぐもった喘ぎを飲み込むように、唇を合わせて舌を差し入れると、こちらの動きに従順に応えるそれ。キスをしながら、阿部は渡辺のシャツのボタンに手をかけた。
空はどんよりと淀んで今にも泣き出しそうな色。ブラインドを降ろした部屋は昼間とは思えないほど真っ暗だ。まさか、天気が悪くてぐずってるだけなんて言わないで欲しいものだと思う。
「翔太、ベッド行こう」
「やだ、ここが良い」
「俺の身にもなれよ…」
「……今すぐ、阿部ちゃんが欲しいんだよ」
そんな風に、再び泣き出してしまいそうな顔でこちらを見られると堪らない気持ちになる。シャツのボタンを外す前に、ベッドへ行くのを促すべきだったと阿部は小さく後悔した。が、結局それは後悔だけで終わり、諦めるように阿部は、ソファに渡辺を押し倒してその唇を塞ぎにいったのだった。
どちらのものかもわからない喘ぎが部屋の中に溶けていく。既に熱くなっている渡辺の身体をゆっくり指で辿りながら唇を離すと、唾液が透明な糸を引いてぽたりと渡辺の赤い唇の上に落ちた。
「翔太…」
「阿部ちゃ、…ぁ」
首筋に顔を埋めて、そこに舌を這わせると渡辺は小さく震えて阿部の背中にしがみつく。阿部はそのまま渡辺の肌を啄みながら、胸の奥が熱くなっていくのを感じた。一旦愛撫を止めて渡辺の身体を見下ろすと、潤んだ瞳に見つめられる。澄んだ瞳は薄暗い部屋の中でキラキラと光っていて、そのまま宝石箱の中に仕舞ってしまいたくなる。
「ん、翔太」
「阿部ちゃんも、脱いで」
暫くじっと見つめたままでいると、不意に唇を尖らせた渡辺が阿部のシャツを捲し上げた。
「待って待って、脱ぐから」
不貞腐れた顔でぐいぐいシャツをひっぱる渡辺に思わず笑ってしまう。手早くシャツを脱ぎ捨てて、スラックスの前を緩め、阿部は渡辺の上にのしかかった。そして渡辺のジーンズの前を開き、硬く熱を持った欲望を取り出す。
「翔太…」
「阿部ちゃん、好き」
「俺も、好きだよ」
再び吸い寄せられるように唇を重ね合わせながら、阿部は取り出した渡辺の欲望をそっと指で挟んで愛撫した。途端に、渡辺がピクリと震える。
「あ、あ…阿部ちゃん」
「翔太、好き…好きだよ」
ちゅ、ちゅ、と音を立てて耳元に口付けを落としながら手の動きを早める。
「…んっ、ぁ…ん 」
渡辺は切なく喘ぎ声を上げながら阿部の髪を引いた。阿部が顔を上げると、奇跡のようなその瞳は阿部を真っ直ぐに捉えていた。どうしたって、逸らせない瞳。
「阿部ちゃん…もう、挿れたい…」
「あ…翔太」
今度は渡辺の手が阿部のスラックスへとかけられた。阿部は足を上げて、渡辺にされるがままにスラックスと下着を脱いだ。まだ片足にそれが絡まっている状態で、渡辺の手が欲望を包み込み、そのまま上下に扱かれる。
「ん……翔、太っ 」
「阿部ちゃん…あっ、ん」
渡辺に愛撫されながら、阿部も渡辺の欲望へと指を絡め直す。二人で熱を高め合うその行為に、阿部は小さく幸せを感じていた。
渡辺のことが好きだった。これ以上ないくらい愛していた。そして渡辺も、自分をこれ以上ないほどに愛しているのだと、阿部は確信していた。
「翔太…、一緒、に…」
「んん…っ」
同時に弾けた熱が飛沫を上げて渡辺の腹に落ちる。渡辺は混ざり合った白濁を指で掬って、その指を阿部の閉ざされている蕾へと運んだ。
「阿部ちゃんの中、熱…」
ぐぐ、っと指を押し込まれる感覚に、阿部は吐息とともに声にならない声を上げて震えた。次第に指を受け入れていたそこは柔らかくなって、頭の芯もぼうとぼやける。
ただ、愛してると思って、それを口に出しているのかそれとも心の中で呟いているのか阿部にはわからなかった。
指を引き抜かれて、はっと自我を取り戻す。唇を噛んで渡辺を見ると、また泣き出しそうな顔をしているので、いい加減こちらまで泣きたくなってしまった。
「俺がいるだろ…? 翔太、泣かないで。ん…好き、だから…」
「ん…っ」
宙を仰いでいる渡辺のそれを自分の中へ収めながら言う。渡辺の悲しむ顔を見るのは嫌だった。それなら自分は、渡辺のためになんだってすると阿部は心の底から思っていた。渡辺の手に自分の手を重ねて、腰を揺すりながら渡辺を見つめる。快楽で翻弄されはじめた渡辺の瞳はやっぱり綺麗で、目が逸らせなかった。
「あっ…翔太、寂しくないでしょ? 俺が、いるよ…」
自分たち以外、この世から消えてなくなってもいい。渡辺がいればいい。きっと渡辺だって、自分だけが必要なはず。
窓の外からざわざわと風の音がする。絶頂を感じ、崩れ落ちながら渡辺を抱き締めた瞬間に、雨粒が窓を叩く音が聞こえた。
「なぁ…俺、阿部ちゃんと住みたいな」
「そうだね。俺は、構わないよ…」
二人だけでいれば、幸せだった。阿部は、どんより暗い空も、雨や風の音も、何もかも怖くなかった。それらすべてのものから、渡辺を守ることだってできた。
それから暫く経ったある日、久し振りの洗濯日和のこと。
あんなに淀んでいた空がきれいに晴れ渡って、柔らかい日差しが降りそそぐ。溜まっていたシャツを一掃して、ジーンズも何本か、ついでにシーツも洗ってしまおう。
「めちゃくちゃ洗うじゃん、干すの大変だぞ」
「大丈夫、今日は天気がいいから」
「言っとくけど、俺は手伝わないから」
「頼まないって」
脱水をかけた洗濯物をかごに詰められるだけ詰めてバルコニーへと運ぶ。目の前が塞がって、首を伸ばさないと足元が見えないというのは、やっぱり入れすぎだということだろうか。
渡辺はソファに腰掛けてにこにこしながらこちらを見ている。どうしようもなく、幸せな気分になる。
「翔太、機嫌いいね。なにか良いことでもあった?」
「まあな 」
「何? 恋人でも出来たの?」
まさか。冗談のつもりで投げた質問。そんなわけないじゃん、阿部ちゃんがいるだろ。そう言ってくれるのを願っていた。否、それは確信すらなかった。阿部にとって、それはただの事実だった。渡辺はにこにこ笑ったままで、そんなわけないじゃん、そう言うに決まっているのだ。
「ん。こないだやっと、付き合えることになったの」
「わ……っ 」
渡辺の陽気な声は、真っ直ぐに阿部を突き刺した。
がたがたんと音を立てて、洗濯物でいっぱいだったかごがバルコニーに転がる。シャツもシーツも何もかも、埃まみれの床に散らばってしまった。それでも、太陽はきらきら白い光を降らせていて、顔を上げると眩しさに目が眩んだ。
「あーあ、阿部ちゃん何やってんの」
入れすぎだって、言いながら渡辺が声を上げて笑っている。阿部はそっと瞼を伏せて俯いた。外を行き交う車の音が生ぬるい風にのって耳を撫でた。
「これ、もう一回、洗わないと… 」
幸せだったのに。二人だけでいれば、それで幸せだったのに。
耳に入ってくる音がすべて歪んで聞こえた。周囲の色が褪せ、風景が灰色になる。阿部を突然襲った、小さな、氷の刃のかけらたち。
ああ、心が、凍っていく。
コメント
10件
すごい、💚が捨てられまくっている。 🖤も💙も優しいのに非情で、読んでてゾクゾクしました🥺
わあ🥺🥺
推しを虐めるの私も好きだけど、阿部ちゃんが不幸になるのびっくりだなぁ。