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その変化は、とても静かに始まった。
まるで世界が、二人に気づかれないように息を吹き返していくみたいに。
夜。
いつもの屋上。
悠真が缶コーヒーを開けながら、ふと空を見る。
「……あれ」
蒼も顔を上げる。
空の端。
ほんの少しだけ。
暗闇が薄くなっていた。
最初は気のせいだと思った。
でも違う。
確かに、夜が“終わろうとしている色”だった。
深い黒じゃない。
夜明け前みたいな、淡い青。
二人とも、しばらく何も言えなかった。
風だけが静かに吹いている。
街灯の光。
遠くのビル。
そして空。
ゆっくり。
本当にゆっくり。
世界の色が変わっていく。
「……来る」
悠真が小さく呟く。
その声は少し震えていた。
数分後。
空の向こうから、薄い光が差し始めた。
朝焼け。
三年前。
初めて朝が戻った日のことを、蒼は思い出していた。
でも今は、あの時よりもっと現実味があった。
世界そのものが、ちゃんと動いている。
止まっていた時間が、再び進み始めている。
「撮る!」
悠真が急いでカメラを掴む。
手が少し震えている。
蒼はその様子を見て、少し笑った。
「落とすなよ」
「無理、今テンションやばい」
カメラを回す。
レンズの中。
夜が、朝に変わっていく。
静かな街。
誰もいない道路。
でも空だけが、生き返るみたいに色を変えていた。
「こんばんは――じゃない」
悠真が笑う。
「おはようございます」
その言葉を口にした瞬間。
二人とも少し止まった。
“おはよう”。
久しぶりだった。
普通の世界では当たり前の言葉。
でも二人には、ずっと遠かった言葉。
蒼が小さく笑う。
「なんか変な感じ」
「わかる」
悠真は空を見る。
朝焼けが少しずつ広がっていく。
「でも、ちゃんと朝だ」
コメント欄は、一瞬で埋まった。
『来た!!!』
『戻ってる!!!』
『鳥肌やばい』
『三年間見てきたから泣きそう』
『本当に終わるんだ』
『二人とも帰れるのかな』
世界中の人が、その瞬間を見ていた。
三年間。
夜しかない世界を歩いてきた二人。
その世界が今、終わろうとしている。
そして。
朝日が、街へ差し込んだ。
ビルの窓が光る。
雪の残った屋根が輝く。
道路がオレンジ色に染まる。
世界が、ちゃんと“朝”になった。
悠真はしばらく空を見上げていた。
それから、小さく笑う。
「……すげえな」
蒼も静かに頷く。
「うん」
その返事だけで十分だった。
その日から、世界は急速に変わり始めた。
朝が来る。
昼になる。
夕方になる。
夜になる。
当たり前だった時間が、戻ってくる。
雨も降る。
風も変わる。
雲が流れる。
世界が、“生きている”。
ある日。
二人は駅前へ行った。
昼。
ちゃんと昼だった。
太陽が高い。
空が青い。
悠真は眩しそうに目を細める。
「昼ってこんな明るかったっけ」
「夜に慣れすぎだろ」
でも蒼も少しわかる気がした。
世界に色が増えている。
三年間、止まっていた景色が動き始めている。
その帰り道。
悠真がぽつりと言った。
「……終わるんだな」
蒼は横を見る。
悠真は笑っていた。
でも少しだけ寂しそうだった。
「この世界」
風が吹く。
夕方の光が道路を照らす。
二人だけの世界。
静かな夜。
誰もいない街。
それが少しずつ、“過去”になろうとしていた。
蒼は空を見る。
動き続ける雲。
沈んでいく夕日。
そして静かに言った。
「でも、ちゃんとあった」
悠真は少し目を丸くする。
蒼は小さく笑った。
「俺らの三年間」
その言葉に、悠真も笑う。
「……うん」
世界は戻り始めていた。
でも。
この世界で過ごした時間だけは、消えなかった。