テラーノベル
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この物語にはキャラクターの死や心の揺れを含む描写があります。読む際はご自身の心の状態にご配慮ください。
二人は、とある機関について調べるため、壊れた街を歩いていた。
その街は、かつて“音”を信仰する民たちが暮らしていた。
古都タネクス。
今はただ、崩れた石畳とひび割れた鐘楼(しょうろう)が風に軋み、かすかな残響だけを残している。
誰の声も響かない廃墟の広場。
その中を、レンとイロハがゆっくりと歩いていた。
「……ずっと持ってるよな、それ」
レンの視線が、イロハの腕に抱かれた猫のぬいぐるみに向けられる。
「……これは、レンから貰った大事なプレゼントです。絶対手放しません」
「……そうか。壊れないように、気をつけろよ?」
イロハは静かに微笑んだ。
「はい。絶対に壊しません」
そのやりとりも、どこか風に溶けていくようだった。
「……にしても、本当に誰もいないんだな」
レンの呟きに、イロハは黙ったまま前を見つめる。
「……この街に、’’観測機関’’のかつての研究所があるのです。」
「聞いたことないな、そんな組織。観測機関って、なんなんだ?」
レンが問うと、イロハは一度目を閉じて、静かに語り出した。
それはまだ、世界が“静寂”を忘れていなかった時代――
因果の流れは今よりも緩やかで、人々は“未来”というものを、ただ信じて生きていた。
けれどある時、幾つかの“ありえたはずの選択”が歪み、世界は音を失いはじめる。
そのとき、静かに現れたのが「観測機関」だった。
彼らの使命はただ一つ。
あらゆる“可能性”を記録し、因果の乱れを観測するこし、正しい未来を選ぶこと。
その存在は表の歴史には現れず、国家にも組織にも属さず、虚構とされる影の組織。
「……へえ〜、じゃあ、いい組織なんだな。」
レンがそう答えるとイロハは
「ええ。私が小さな頃から存在する。良い人達です。」
と小さく微笑んだ。
レンは驚愕の表情を浮かべる。
「……え?イロハ確か、千年以上生きてるんだよな?そんな前から存在する組織なのか?」
イロハはきょとん、とした顔を浮かべ、少し首を傾ける。
「ええと、私が七百四十二年と九十六日生きてた時に現れたので……古い、のでしょうか。」
レンは呆れた顔をする。
「……やっぱり、因果に関わるものって、色々すごいんだな……。」
「……?ありがとうございます。」
「褒めてねぇよ……」
そして、二人は。この地で研究されていた「因果音」の記憶装置を探るために、観測機関のかつての研究所に足を踏み入れる。
けれど――それは、罠だった。
広場に足を踏み入れた瞬間、風の音さえ消え、黒い影が音もなく周囲を囲んでいた。
「ようこそ、イロハ=オウヅキ。観測機関より、勧告だ…君には、消えてもらう」
仮面をかぶり、全身を黒衣で包んだ者たち。
名も姿も記録されない、観測機関の暗殺部隊。
咄嗟にレンが一歩前へ出る。
「観測機関……?どうしてイロハを狙う!」
イロハは敵を冷ややかに見据え、ぬいぐるみをそっと懐にしまった。
そして、剣を抜く。
一瞬の静寂。そして戦いは、音もなく始まった。
エージェントたちの動きは精密で殺意に満ちていた。
銃撃、斬撃、因果干渉型の術式が折り重なるように放たれ、イロハとレンを囲い込む。
イロハが刃を一閃すると、空気が裂け、静寂が奔る。
その一撃で一人が消え、さらに三人が即座に気絶した。
「レン、下がって」
「いや、下がらない」
レンが笑う。その背後に、異質な気配が立っていた。
仮面をつけた男。
他のエージェントとは明らかに違う空気をまとい、鋭い視線は、どこかレンと似た色を宿していた。
「……君か。“未来を歪ませた因子”。……その目、見覚えがある。……お前も、誰か一人の未来を守ろうとして、壊したんだろう?」
「……っ、お前は……誰だ」
「名乗るほどの者じゃない。俺はただの道具。“未来を揺らす者”を排除するためのな」
男は手にした大剣を地面に叩きつける。
波紋のような因果干渉が地を裂き、周囲の空間が軋む。
だがその中心に立つレンは、目を細めて微動だにしなかった。
「どんなに強い攻撃でも——因果で潰す」
次の瞬間、レンの剣が閃き、“記憶を逆転させる”因果操作が発動する。
「なにっ……!? 因果逆位!? そんな干渉強度……!」
敵の一撃は、“まだ撃たれていなかった”ことに書き換えられ、無効化された。
――それが、因果逆位。過去を再定義する、観測者に許された禁術。
「俺は、ただ守るだけだ。イロハと……俺自身の意思を」
激突。
レンと仮面の男の因果が衝突し、空間が波打つように揺れる。
その一方で、イロハは静かに刃を掲げた。
月光が差し込む。
その光に照らされた彼女の姿は、薄く滲んで見えた。
まるで、存在そのものが刃となって、静かに詠っているかのように――
そして刹那。すべての音が止まった。
戦いが終わったとき、広場には倒れた影だけが残されていた。
イロハの白い刃は鞘に戻され、彼女の腕の中には、あの猫のぬいぐるみが握られていた。
「……ぬいぐるみ、壊れなかったな」
レンが小さく呟く。
「大切なものは、案外強いんです」
その声に、レンは振り返る。
「さっきの奴ら……観測機関の人間だよな? どうしてお前を……?」
「……分かりません。ただ……あれは、“私たちの知る観測機関”ではなかったように思います。少し、調べてみましょうか。」
イロハの視線は、遠くの瓦礫の先に向けられていた。
レンは恐る恐る問う。
「イロハ、おまえさっき。……殺した人と、生かした人がいたよな? あれは、どうしてだ?」
イロハは少しだけ沈黙し、それから静かに答える。
「……死を選ぶ目には、静かな眠りを。生を望む目には、少しの時間を。……それだけです」
レンは言葉を失った。
やはり、イロハは自分とは違う世界を見ている。
「……どうやって、そんなの見分けるんだ?」
「目を見れば、分かります。死を望む者の目には、光がないのです」
そう言ってイロハは、静かにレンを見つめた。
「……あなたの目が、もし光を失う日が来たら――そのとき、分かります」
沈黙が降りる。
風が吹く。誰もいない、音の眠る都に。
そして二人はまた歩き出す。
壊れた都市を越えて、まだ誰も辿り着いたことのない“真実”の方へ――
第八の月夜「静けさの境界線」 ―紅の微笑み―へ続く
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