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「……BL、映画?」
リハーサル後のスタジオ、少し湿った空気の中で、仁人は渡された資料を二度見した。
隣で同じく資料を眺めていた勇斗が、「おー、まじか」と声を上げる。
「そう。ダブル主演。二人には『運命に翻弄される幼馴染』を演じてもらう」
マネージャーの言葉は淡々としていたが、その内容は劇薬だった。
結成から長い年月を共にし、阿吽の呼吸でM!LKを引っ張ってきた二人。最年長の勇斗と、リーダーの仁人。信頼は厚く、背中を預け合える「戦友」であることは間違いない。だが、演じるのは「恋愛対象」としての相手だ。
「俺と仁人で、恋愛……。なんか、想像つかねーな」
勇斗がガシガシと頭を掻きながら笑う。その屈託のない笑顔に、仁人は少しだけ胸の奥がざわつくのを感じた。
「……勇斗は、抵抗ないの? 俳優として、その、男同士っていうのは」
「ん? 全然。むしろ仁人とだったらやりやすいじゃん。気心知れてるし。なあ?」
勇斗が仁人の肩をポンと叩く。その手のひらの熱が、薄いTシャツ越しに伝わってきた。
仁人は「まあ、確かにね」と苦笑いして誤魔化した。
勇斗は数々のドラマや映画で経験を積んでいる。一方、仁人も舞台や映像の経験はあるが、ここまで濃密な「愛」を表現する役どころは初めてだった。しかも、相手は「佐野勇斗」なのだ。
その夜、仁人は自宅のソファで、配られたばかりの台本と格闘していた。
物語は、地方の大学に通う幼馴染の二人、航平(勇斗)と直実(仁人)を軸に進む。いつも一緒にいるのが当たり前だった二人の間に、ある夜を境に「友情」とは呼べない熱が生まれていく過程が、痛いほど繊細な筆致で描かれていた。
読み進めるうちに、仁人の指先が小刻みに震え始める。
俳優として、どんな役でもこなすつもりでいた。しかし、文字として綴られた「航平が直実を押し倒す」「深い口づけを交わす」といった描写が、どうしても自分と勇斗の姿に上書きされてしまう。
(勇斗が、俺にキスをする……?)
想像しただけで、心臓の鼓動が耳元まで響いてくるようだった。
勇斗はこれまでも多くの作品で恋愛シーンを演じてきたプロだ。彼にとっては、相手が誰であれ「仕事」として完遂すべきタスクの一つに過ぎないのかもしれない。
けれど、仁人にとって「佐野勇斗」という存在は、あまりにも日常に溶け込みすぎていた。
その時、スマホが震えた。勇斗からのLINEだった。
『仁人、台本読んだ? めっちゃ切ないけど、いい話だな。特にラストのシーン、俺好きだわ』
いつも通りの、飾らないメッセージ。勇斗はもう、役としての「航平」に歩み寄ろうとしている。
仁人は乱れた呼吸を整えながら、震える指で返信を打った。
『……うん、そうだね。すごく繊細な話だと思う。でも、俺にちゃんと演じられるか、少し不安だよ』
『何言ってんだよ、仁人なら大丈夫。俺がついてる。……明日からの本読み、楽しみにしてるわ。おやすみ』
「俺がついてる」
その言葉は、いつだって仁人の救いだった。M!LKの活動で壁にぶつかった時も、心が折れそうになった時も、勇斗はそう言って隣にいてくれた。
けれど、今回の「隣」は、今までとは意味が違う。
仁人は台本を胸に抱きしめ、天井を見上げた。まだ「恋愛感情」なんてどこにもないはずなのに、勇斗の言葉一つで揺れ動く自分の心が、ひどく頼りなく感じられた。
数日後、都内某所の会議室で、主要キャストとスタッフによる本読みが行われた。
パイプ椅子が並ぶ殺風景な部屋だが、監督やプロデューサーが放つオーラで、独特の重圧が漂っている。
「では、24ページのシーンから始めてみましょう。航平と直実が、お互いの気持ちに気づきそうになる場面です」
監督の合図で、空気が一変した。
隣に座る勇斗が、深く息を吐く。その瞬間、彼の纏う雰囲気が「佐野勇斗」から、どこか危うげで情熱を秘めた「航平」へと切り替わったのがわかった。
「……なぁ、直実。お前さ、最近俺のこと避けてるだろ」
勇斗の声が、普段より低く、湿り気を帯びて響く。
「……避けてなんかないよ。ただ、ちょっと忙しいだけで」
仁人も、必死に「直実」の声を絞り出す。内向的で、航平への想いを隠しきれずに戸惑う青年。
「嘘つけ。お前、俺と目が合うとすぐ逸らすじゃん。……俺、なんかしたか?」
勇斗の手が、不意にテーブルの下で仁人の膝に触れた。
もちろん、これは演技の延長だ。台本には「直実の手を握る」とあるが、本読みの段階でどこまで動くかは役者に委ねられている。
仁人はビクッと肩を揺らした。勇斗の指先が、ジーンズ越しに熱を持って食い込む。
「してない……。何も、してないから……」
「じゃあ、こっち見ろよ。……直実」
名前を呼ばれ、仁人は吸い寄せられるように勇斗の方を向いた。
そこには、今までに見たこともないような、切なさと渇望が入り混じった瞳があった。勇斗の瞳の中に、自分だけが映っている。
その視線の強さに、仁人の喉の奥が熱くなった。セリフを言わなければならないのに、声が出ない。ただの芝居だとわかっているのに、勇斗の表情があまりにも真実味を帯びていて、境界線が曖昧になっていく。
「……はい、そこまで。素晴らしいね」
監督の声で、魔法が解けた。
勇斗はパッと手を離し、「ふぅ、緊張したー!」といつもの太陽のような笑顔に戻る。
「仁人、今の間すごく良かったわ、直実の戸惑いが伝わってきた」
「あ、ありがとう……」
仁人は、激しく脈打つ胸を押さえるのが精一杯だった。
勇斗は、すごい。瞬時に役に入り込み、相手をその世界に引き込んでしまう。
けれど、仁人の心に残ったのは、演技の達成感ではなかった。
触れられた膝の感触と、あの熱を帯びた瞳。
それが「仕事」として向けられたものだと理解すればするほど、胸の奥にチリリとした痛みが走るのを、仁人は無視することができなかった。
「仁人、顔赤いぞ? 暖房効きすぎかな」
勇斗が無邪気に顔を覗き込んでくる。
「……うるさい。勇斗の演技が暑苦しいんだよ」
照れ隠しで吐いた毒づきも、今の仁人にとっては精一杯の防御反応だった。
撮影開始まで、あと一週間。
クランクインの朝は、抜けるような青空だった。
ロケ地となったのは、都心から少し離れた静かな大学キャンパス。歴史を感じさせる赤レンガの建物と、風に揺れる銀杏の並木が、物語の舞台にふさわしい情緒を醸し出している。
「吉田さん、入ります!」
スタッフの威勢のいい声に、俺は「よろしくお願いします」と短く応えて現場に足を踏み入れた。
すでに衣装に着替えた勇斗が、学食のテラス席に座っているのが見えた。緩めのカーディガンを羽織り、台本に目を落とすその姿は、いつもM!LKとしてステージに立つ時の「佐野勇斗」とは違う。どこか掴みどころのない、それでいて周囲を惹きつける「航平」そのものだった。
「お、仁人。準備万端?」
俺の姿を認めると、勇斗はひらひらと手を振った。その仕草一つで、俺の緊張は少しだけ解け、同時にまた別の、ざわついた感情が胸をかすめる。
「……勇斗は、相変わらず落ち着いてるな」
「そう見える? これでも結構心臓バクバクだよ。だって、今日から三ヶ月、俺らは『親友』じゃなくて『恋人』になるんだからさ」
勇斗はニカッと笑って、俺の肩を軽く小突いた。
その「恋人」という単語に、俺の心臓はさらに大きく跳ねる。勇斗にとっては何気ない確認の言葉だろうが、俺にとっては、これからの日々を支配する重い鎖のように感じられた。
撮影は、二人が何気ない日常を過ごすシーンから始まった。
講義をサボってベンチで語り合ったり、課題のレポートを巡って言い合ったり。M!LKとして何年も共に過ごしてきた俺たちにとって、そうしたやり取りは造作もないことだった。アドリブで交わす軽口も、お互いの反応を熟知しているからこそ、監督からは「長年連れ添った空気感が出ている」と絶賛された。
だが、夕暮れ時。撮影のトーンが変わった。
航平が、自分の気持ちに無自覚なまま、直実との距離を縮めてしまう。そんな、境界線が揺らぎ始めるシーンだ。
「シーン28、本番。……スタート!」
カチンコの音が、静まり返った図書室の片隅に響く。
放課後の図書室。並んで座る航平と直実。
俺はノートを広げ、必死に文字を書き連ねる「直実」を演じる。その横で、勇斗演じる「航平」は、頬杖をついて俺の顔をじっと眺めていた。
(……見すぎなんだよ、勇斗……)
役としての意識か、それとも俺自身の動揺か。視線が突き刺さるようで、指先が強張る。
「なぁ、直実」
勇斗が、囁くような低い声で俺を呼んだ。
「……何。俺、これ今日中に終わらせなきゃいけないんだけど」
「お前のまつ毛、長いなと思って」
セリフと共に、勇斗の手が伸びてくる。
大きな、節くれだった男らしい手。その指先が、俺の目尻をかすめるように、そっと髪をかき上げた。
台本では「髪に触れる」とだけあった。けれど、勇斗の指はそのまま俺の耳の裏をなぞり、首筋にまで滑り落ちてきた。
「っ……」
思わず息を呑む。首筋は、俺が昔から弱い場所だ。
勇斗はそれを知っているはずなのに。いや、知っているからこそ、あえてそこを選んだのか。
勇斗の瞳が、至近距離で俺を捕らえて離さない。そこにあるのは、友情を超えた熱。何かを求めて、彷徨うような視線。
「……航平、近い」
俺の声が、想定よりも震えてしまった。
「ダメか?」
勇斗の顔が、さらに数センチ近づく。
彼の放つ体温が、皮膚を通して伝わってくる。鼻先が触れそうな距離。勇斗の、少し甘い香水の匂いと、男らしい肌の匂いが混ざり合って、俺の思考を麻痺させる。
「はい、カット! オッケー!」
監督の声がかかった瞬間、勇斗はパッと手を離し、「あー、今のいい感じだったんじゃない?」と晴れやかな表情に戻った。
「仁人のリアクション、まじでリアルだったわ。びっくりした顔、最高」
「……お前、やりすぎ。首とか触るなんて台本に書いてなかっただろ」
俺は乱れた呼吸を悟られないよう、必死にノートに目を落として文句を言った。
「あはは、ごめん。なんか、反応が面白くてつい」
勇斗は悪びれる様子もなく、スタッフと談笑しに席を立つ。
残された俺は、まだ指先が触れていた首筋の熱を、持て余していた。
勇斗は「役」として俺を翻弄している。けれど、俺の方はどうだ。今の動揺は、演技だったのか。それとも——。
撮影が終わる頃には、街はすっかり夜の帳に包まれていた。
控室に戻る途中、俺は一人で廊下を歩きながら、今後の撮影スケジュールを確認した。
明日は、雨の中での告白シーン。そしてついに「最初のキスシーン」が控えている。
「はぁ……」
重いため息が漏れる。
俺には、勇斗のような器用さはない。彼が演じる航平に対して、どう振る舞えばいいのか。どうすれば「仕事」として割り切れるのか。
特に、キス。そしてその先に待ち構えている、肌を重ねるシーン。
俺には、そういう経験が乏しい。ましてや、相手は家族よりも長い時間を過ごしてきた勇斗だ。
「仁人、まだいたの?」
背後から声がして振り返ると、私服に着替えた勇斗が立っていた。
「今帰るとこ。勇斗も?」
「おう。あ、ねぇ、もしよかったらさ、この後飯でも行かない? 明日のシーンの相談もしたいし」
勇斗の提案は、いつもなら大歓迎だ。けれど、今の俺には、彼と二人きりで向き合うのが少しだけ怖かった。
「……ごめん、今日はちょっと疲れてて。台本も読み込みたいし」
「そっか。まぁ、無理はすんなよ」
勇斗は少し意外そうな顔をしたが、すぐに「じゃあ、明日な」と背中を向けた。
その背中を見送る俺の胸に、ちくりとした罪悪感が走る。
勇斗は、いつも通りだ。作品を良くしようと、パートナーである俺に歩み寄ろうとしてくれている。
避けているのは、俺の方だ。
俺の、自分でも説明がつかない「戸惑い」が、二人の間に見えない壁を作り始めていた。
帰りの車中、俺は窓の外を流れる街灯を眺めながら、自分の唇に触れた。
まだ誰も、ここには触れていない。
数日後、ここには勇斗の唇が重なる。
その時、俺はどんな顔をすればいいのだろう。どんな声を、漏らしてしまうのだろう。
不安と、正体不明の期待。
それが混ざり合った感情を「恐怖」と呼びたかったが、俺の心臓は、残酷なまでに期待に寄ったリズムを刻んでいた。
撮影三日目の夜。宿泊先のホテルの部屋は、街の喧騒から切り離されたように静まり返っていた。
俺はベッドの上であぐらをかき、明日撮影予定の「シーン50」の台本を睨みつけていた。
【シーン50】
雨音の中、航平が直実の肩を掴む。
航平「……もう、逃がさないから」
直実が答える前に、航平の唇が重なる。
(……逃がさないから、か)
そのセリフを勇斗がどんな風に言うのか、容易に想像できてしまう。それが余計に俺を追い詰めた。俺は俳優として、この「直実」の感情を表現しなきゃいけない。驚き、戸惑い、そして心のどこかで待ち望んでいた、という複雑な感情を。
けれど、今の俺にあるのは、ただ純粋に「勇斗とキスをする」という事実に対する、制御不能な動揺だけだった。
その時、コンコン、と控えめなノックの音が部屋に響いた。
時計を見ると、夜の22時を回っている。マネージャーなら電話が来るはずだ。ということは、相手は一人しかいない。
「……はい」
ドアを開けると、そこにはパーカーのフードを浅く被った勇斗が立っていた。手にはコンビニの袋と、見慣れた台本。
「よっ。起きてた?」
「……勇斗。どうしたの、こんな時間に」
「いや、明日のシーンさ。仁人、絶対一人で悩んでるだろうなと思って」
勇斗は俺の返事も待たずに、するりと脇を抜けて部屋に入ってきた。
「ちょっとお邪魔するわ」
「おい、勝手に……」
文句を言おうとしたが、勇斗がベッドの脇の椅子にどっかりと座り、袋からお茶を取り出すのを見て、言葉を飲み込んだ。こいつは昔からこうだ。俺の領域に、土足で、けれど一番心地よいタイミングで踏み込んでくる。
「仁人、ここ。どう動くかイメージできてる?」
勇斗が指差したのは、例のキスシーンのページだった。
「……いや、まだ。監督からは『その場の感情を大事に』って言われてるし」
「それもそうだけどさ。角度とか、鼻が当たらないようにとか、技術的なこともあるじゃん。一回、やっとかない?」
勇斗の言葉に、俺の心臓がドクリと跳ねた。
「やっとくって……練習を?」
「そう。俺ら、経験ないわけじゃないけど、男同士は初めてだろ? 現場でモタついて何度もやり直す方が、お互い気まずいじゃん」
勇斗の言い分は、正論だった。仕事として、プロとして、事前のシミュレーションは欠かせない。
けれど、勇斗の瞳の奥に宿る熱が、ただの「仕事」ではない何かを孕んでいるように見えて、俺は喉の奥がカラカラに乾くのを感じた。
「じゃあ、立ち位置から」
勇斗が立ち上がり、俺を促す。俺は操り人形のように、ゆっくりとベッドの淵から立ち上がった。
ホテルの狭いシングルルーム。二人が向かい合って立つと、逃げ場なんてどこにもなかった。窓の外では予報通り雨が降り始め、窓ガラスを叩く音が、部屋の沈黙をよりいっそう深いものにする。
「航平が、直実の肩を掴む。……こうだな」
勇斗の大きな手が、俺の肩を包み込んだ。
分厚い手のひらから、彼の体温がダイレクトに伝わってくる。普段、ダンスの練習やふざけ合いで触れるのとは、明らかに違う触れ方。指先に力がこもっているのがわかる。
「……もう、逃がさないから」
勇斗の声が、部屋の空気を震わせた。
それは昼間の撮影で見せた「航平」の声よりも、さらに低く、どこか湿り気を帯びた、剥き出しの響き。
俺は勇斗の胸元を見つめたまま、言葉を失った。台本にある「直実」の戸惑いは、そのまま俺のリアルな感情にすり替わっていた。
「仁人、顔上げて」
命令に近い、けれど甘い囁き。
抗えずに顔を上げると、そこには至近距離で俺を見つめる勇斗の瞳があった。
黒目がちなその瞳が、じっと俺を観察している。勇斗の吐息が俺の鼻先に触れ、混じり合う。
勇斗の顔が、ゆっくりと傾きながら近づいてきた。
(来る——)
俺は反射的に目を閉じた。
まぶたの裏で、心臓の音が激しく打ち鳴らされる。勇斗の香水の匂いと、微かな清涼菓子の香りが鼻腔をくすぐる。
唇に、柔らかい感触が触れた。
それは、触れるか触れないかというほど、繊細で静かなものだった。
勇斗の唇の、吸い付くような質感が伝わってくる。ほんの数秒。けれど、俺にとっては永遠にも感じられる時間だった。
勇斗の顔がゆっくりと離れていく。
俺が恐る恐る目を開けると、勇斗は俺の肩に手を置いたまま、どこか呆然とした表情で俺を見つめていた。
「…………」
「…………」
沈黙が痛い。雨音だけが、やけに大きく聞こえる。
先に動いたのは勇斗だった。彼はパッと手を離し、不自然なほど明るい声を出した。
「……お、おう。こんな感じか。角度、大丈夫そうだな」
「……あ、ああ。そうだね。鼻、当たらなかった」
俺は自分の声が、情けないほど震えているのを自覚した。
唇に残った感触が、じわじわと熱に変わっていく。勇斗は「練習」だと言った。けれど、今のは本当に、ただの練習だったのか。
勇斗は逃げるように台本をカバンに詰め込むと、「じゃ、明日な。おやすみ!」と足早に部屋を出ていった。
扉が閉まる音が、静かな部屋に空虚に響く。
一人残された俺は、その場に力なく座り込んだ。
指先で、自分の唇に触れる。
そこにはまだ、勇斗の温度が残っているような気がした。
今まで、勇斗は俺にとって最高の相棒だった。
一緒にバカなことをして笑い、辛い時は支え合い、同じ夢を追いかけてきた。そこに「性的」な意識なんて、一ミリも入り込む余地はなかったはずだ。
けれど、今。
勇斗に触れられた場所が、心臓の鼓動に合わせて疼いている。
(俺、どうしちゃったんだよ……)
勇斗はプロだ。きっと、明日からの過激なシーンも、彼は俳優として完璧にこなすだろう。
対して俺は、たった一回の「練習のキス」で、こんなにも足元が揺らいでいる。
これから撮影はもっと過酷になる。キスだけじゃない。もっと深い、肌の触れ合いも待っている。
「仕事だから」という免罪符が、いつまで俺を守ってくれるだろうか。
窓の外では、雨が激しさを増していた。
明日になれば、カメラの前で俺たちは再び「恋人」になる。
世界中に晒される、偽物の恋。
けれど、今この部屋に残された熱だけは、紛れもない本物のように感じられて、俺は一人、震える肩を抱きしめることしかできなかった。