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少し離れた縁側で、涼太と目黒が並んで座っていた。
二人の前には酒と小さな盃。
庭には秋の色。
目黒が阿部のために変えた季節は、そのままだった。
部屋の中から翔太と阿部の声が聞こえる。
目黒は盃を口へ運びながら、襖の向こうを見る。
「人間って難しいんだね」
涼太が少し笑った。
「今さら気付いたの?」
「うん」
「遅いね」
「だって」
目黒は不思議そうな顔をする。
「一緒にいたら、好きになるんじゃないの?」
「ならない人もいるよ」
「なんで?」
「嫌いな相手と一緒にいたら、もっと嫌いになることだってある」
目黒は少し考える。
「じゃあ俺、あべちゃんに嫌われてる?」
「今のところ、かなり怖がられてるんじゃない?」
目黒が眉を下げる。
「嫌われてる?」
「そこまでは知らない」
「怖いと嫌いは違うの?」
「違う」
「どう違う?」
「……そこから?」
涼太は小さくため息をついた。
部屋の中から、阿部の声。
「犬を食べさせようとした人を好きになるなんて無理ですよ」
「めめは悪気なかったんだって」
「悪気がなければ何してもいいわけじゃないでしょう」
「それはそう」
目黒が盃を持ったまま固まる。
「まだ犬のこと怒ってる」
「そりゃ怒るでしょ」
「犬、生きてるのに」
「そういう問題じゃないんだよ」
「分からない」
「だろうね」
涼太は少し笑う。
目黒は庭を見る。
「あの時」
「自分も寒かったのに、犬を抱いてた」
「ずっと自分の身体で温めてた」
「死にそうなのに、犬のことばっかり気にしてた」
「不思議?」
「うん」
「自分が先に死ぬかもしれないのに」
「そういう人もいるんだよ」
「人間はみんな?」
「違う」
「じゃあ、あべちゃんだけ?」
「そういう性格なんじゃない?」
目黒は少し嬉しそうに見えた。
「優しいんだね」
「多分ね」
「かわいいし」
「それは最初から言ってるね」
「うん」
涼太が目黒を見る。
「それで飼いたいって?」
「うん」
「まだ飼うって思ってる?」
目黒は少し考えた。
「……駄目なの?」
「駄目」
即答。
「なんで?」
「翔太が何回も説明してるでしょ」
「人間は飼うものじゃない」
「そう」
「じゃあ、どうすればいいの?」
涼太は思わず笑った。
「まず名前で呼んで」
「呼んでる」
「あべちゃんって?」
「うん」
「それ翔太が勝手につけた呼び方だけどね」
「かわいいからいいでしょ」
「まあね」
涼太は盃を置く。
「それから」
「何をしたら喜ぶのか」
「何をしたら怖がるのか」
「ちゃんと見る」
「自分がしたいことじゃなくて」
「阿部がどう思うかを考える」
目黒は少し難しい顔をした。
「それが人間?」
「それが関係を作るってこと」
「舘さんも翔太くんにそうした?」
涼太の手が少し止まる。
「最初は、してなかったよ」
「そうなの?」
「俺も気に入ったから連れてきただけだった」
目黒が涼太を見る。
「同じじゃん」
「似てるね」
「じゃあ俺も大丈夫?」
「そこは知らない」
「なんで」
涼太は部屋へ視線を向ける。
「翔太は最初、俺のこと大嫌いだったから」
「……え」
目黒が本気で驚く。
「嫌われてたの?」
「生贄にされて、知らない神に連れてこられたんだよ」
「怖いし、帰りたいし。当たり前でしょ」
「でも今は一緒にいるじゃん」
「うん」
「なんで?」
涼太は少し考える。
「長かったから」
「何が?」
「時間」
「俺が翔太のことを知って」
「翔太も俺のことを知った」
「それだけ」
目黒はしばらく黙る。
「じゃあ」
「あべちゃんも時間があれば、俺のこと好きになる?」
涼太が横を見る。
期待している顔。
人間に何一つ興味を持たなかった神が。
「それは」
涼太が少し笑う。
「目黒次第じゃない?」
「俺次第?」
「うん」
その時。
部屋の中から阿部の大きな声。
「絶対無理です!」
目黒の顔が一瞬で沈む。
涼太が吹き出した。
「今はかなり遠そうだけど」
「……笑わないで」
「ごめん」
「全然ごめんって顔してない」
「だって」
涼太は肩を揺らす。
「目黒が人間一人にこんなに悩んでるの、初めて見たから」
目黒は不満そうに酒を飲む。
「人間って面倒だね」
「うん」
「寒いと死ぬし」
「普通」
「食べないと死ぬし」
「普通」
「怖いと泣くし」
「うん」
「嫌なことされたら嫌いになる」
「当たり前」
目黒は少し考えて呟く。
「……でも」
「うん?」
「面白い」
「何が?」
「あべちゃん」
涼太は少し笑った。
「なら、今度は死なせないようにね」
目黒は真面目な顔で頷く。
「分かった」
「食事」
「用意する」
「水」
「用意する」
「布団」
「用意する」
「犬は?」
目黒が少し考える。
「……食べさせない」
「よくできました」
目黒は不満そうに涼太を見る。
「子ども扱いしてる?」
「人間に関しては子ども以下だからね」
「神様なのに」
「神様だからでしょ」
庭へ風が吹く。
赤い葉が一枚、落ちる。
部屋の中ではまだ翔太と阿部が話している。
そして縁側では。
人間を知らなかった神様が。
初めて一人の人間を知ろうとしていた。
しばらく二人で静かに酒を飲む。
目黒が盃を見つめながら口を開いた。
「舘さん」
「何?」
「翔太くんが言ってること」
「あべちゃんと俺が縁を結んだら」
「俺の力を、あべちゃんも使えるようになるって」
「そうだね」
「どうやって?」
涼太が目黒を見る。
「知らないの?」
「知らない」
「……神様なのに?」
「今まで必要なかったから」
「本当に何も知らないね」
目黒は不満そうに酒を飲む。
「俺、一人で困ったことないもん」
「そうだろうね」
「欲しいものもなかったし」
「人間助けたいって思ったこともない」
「知ってる」
涼太は盃を置く。
「じゃあ、ちょうどいいから教えようか」
「何を?」
「神様の力」
目黒が涼太を見る。
「俺たちの力?」
「そう」
涼太は庭へ手を伸ばす。
指先がわずかに動く。
すると赤い葉が一枚、風もないのに枝を離れ。
ゆっくり涼太の掌へ落ちた。
「神様の力って」
「何でもできるように見えるけど」
「本当は何でもできるわけじゃない」
「そうなの?」
目黒は本気で知らなかったらしい。
「俺たちは、それぞれ強く干渉できるものが違う」
「得意なものがあるってこと」
涼太が葉を撫でる。
「俺は水とか植物とか食べ物とか」
「人が生きるために必要なものに力を使いやすい」
「だから人間好きなの?」
「それは関係ないと思う」
「翔太くんは?」
「翔太は俺たちとは少し違う」
「違う?」
「人の感情に近い力が強い」
「気持ちを落ち着かせたり」
「誰かの感情を強く感じ取ったり」
「人と人の縁を見つけたり」
目黒が襖の向こうを見る。
「だから縁のこと詳しいんだ」
「そう」
「俺は?」
涼太は少し黙る。
「目黒は境界」
「……境界?」
「ここ、今秋でしょ」
「結界の外は冬」
「普通の神様なら、こんな簡単にはできないよ」
目黒が庭を見る。
阿部を死なせないために。
何となく変えた季節。
「季節を変えるのが得意ってこと?」
「それだけじゃない」
涼太は指を折る。
「内と外」
「昼と夜」
「暑さと寒さ」
「近いと遠い」
「人と神」
「生と死」
「そういう二つのものの境目に力を使える」
「それが目黒の力」
「……俺、そんなことできるの?」
「できるよ」
「知らなかった」
「でしょうね」
目黒は少し考える。
「じゃあ、村の冬を夏にすればいい?」
「できなくはない」
涼太はすぐに答える。
「でも、おすすめしない」
「なんで?」
「季節には順番があるから」
「無理矢理ひっくり返すと、別の場所に歪みが出る」
「歪み?」
「例えば一つの村だけ真冬を夏にしたら」
「その分、近くの土地から季節を奪うかもしれない」
目黒が眉を寄せる。
「じゃあ駄目なんだ」
「結界の中みたいな小さい場所なら問題ない」
「でも、人間が暮らす土地全部となれば別」
目黒は少し真剣な顔になる。
「力って、使えばいいだけじゃないんだね」
「そう」
「強い神ほどできることは多い」
「でも大きなことをすれば、それだけ世界のどこかに影響が出る」
「じゃあ雨を降らせるのは?」
「雲があるなら呼べる」
「なかったら?」
「遠くから持ってくる」
「その分、元々その雲が行くはずだった場所に雨が降らなくなる」
「作物を育てるのは?」
「土地に力が残っていれば、少し手を貸すくらいなら問題ない」
「全部枯れてたら?」
「無理に生やすことはできる」
「でも土そのものはもっと弱る」
目黒が黙る。
村を救う。
ただ雨を降らせればいい。
実りを増やせばいい。
そんな単純なことではないらしい。
「じゃあ」
目黒が聞く。
「どうしたら、あべちゃんの村は助かる?」
涼太が目黒を見る。
「気になる?」
目黒は一瞬黙る。
「あべちゃん、ずっと気にしてるから」
「村がなくなったら、悲しむと思う」
涼太の表情が少し柔らかくなる。
「なるほど」
「何?」
「少し人間らしいこと考えるようになったなって」
「俺、神様だけど」
「そういう意味じゃないよ」
涼太は庭を見る。
「村を助けるなら」
「一つの大きな奇跡じゃなくて」
「小さいものをいくつも重ねる方がいい」
「小さいもの?」
「春の雨を少し増やす」
「川の流れを戻す」
「土が回復しやすい季節にする」
「虫や獣が作物を荒らしすぎないようにする」
「病気になりにくくする」
「それだけ?」
「それを何年か続ける」
目黒が驚く。
「時間かかる」
「自然を戻すって、そういうことだよ」
「神様なのに」
「神様だからこそ」
涼太が言う。
「何でも一度に変えたら駄目なんだよ」
目黒は少し考え込む。
「それで縁を結んだら」
「あべちゃんに何ができるの?」
「目黒と同じこと」
「全部?」
「最初は無理」
「神様と人が縁を結ぶと、人間側に神様の力が流れる」
「でも最初はほんの少し」
「どれくらい?」
「寒い日に自分の周りだけ暖かくするとか」
「遠くにいる目黒の気配が分かるとか」
「小さな結界を作るとか」
目黒が少し嬉しそうになる。
「あべちゃんも結界作れる?」
「縁が強くなればね」
「強くするには?」
「翔太が説明してるでしょ」
「愛し合う」
「それだけじゃない」
涼太が目黒を見る。
「毎日、互いのことを知る」
「信じる」
「守る」
「一緒にいたいと思う」
「相手のために、自分の力を使いたいと思う」
目黒は黙って聞く。
「縁は夫婦の真似をしたらできるものじゃない」
「気持ちが形になったものだから」
「じゃあ」
目黒が小さく言う。
「俺があべちゃんに力をあげたいって思っても」
「あべちゃんが俺を怖がってたら駄目?」
「駄目」
目黒の顔が沈む。
「難しい」
「だから言ったでしょ」
「人間は難しいって」
しばらく沈黙。
目黒は酒を飲む。
そして、ぽつり。
「でも」
「うん?」
「あべちゃんに、力あげたい」
涼太が目黒を見る。
「なんで?」
「村、助けたいから?」
目黒は少し考え、首を横に振った。
「村は別にどうでもいい」
涼太が苦笑する。
「目黒らしいね」
「でも」
目黒は襖の向こうを見る。
「村がなくなったら」
「あべちゃんが泣くんでしょ」
「多分」
「じゃあ、嫌だ」
涼太は何も言わなかった。
あべちゃんが泣くの嫌。
目黒自身も、その感情がよく分からないようだった。
「だから」
「力、あげてもいい」
涼太はゆっくり笑う。
「それ、大事にしなよ」
「?」
目黒は意味が分からず首を傾げる。
涼太はそれ以上、説明しなかった。
人間なんてどうでもいい。
そう言っていた神様が。
たった一人。
泣かせたくない人間を見つけた。
それが神様と人間を繋ぐ。
最初の一歩なのだと。
涼太はもう知っていた。
コメント
1件
ああ、めちゃくちゃ良かったです……。目黒が「あべちゃんが泣くの嫌」って言うところ、心臓ぎゅってなりました。神様なのに人間の気持ちを必死に理解しようとしてる感じが愛おしくて。涼太の「それ、大事にしなよ」って台詞も優しくてじんわり来ました。阿部ちゃんにまだまだ怖がられてるけど、これからどう変わっていくのかすごく気になります。次の話も楽しみにしてますね🌷
kaede🍁
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七瀬⛄️
1,551