明け方。
身体の痛みで、慎太郎は目覚めた。
カーテンの閉められていない窓からは、まだ朝日は見えない。
上体を起こそうと思っても、全身がズキズキとする。膵臓が発端かと思ったが、身体中が同じくらいに痛んでいた。
腕を動かすだけで激痛が走るのを何とか我慢し、ベッドの柵に取り付けられたボタンを押した。
これはいわばナースコールと同じで、押すとスタッフが駆けつけてくれる。
すぐにやってきたのは、マスターだった。「大丈夫ですか」
返事をしようとしても、声が上手く出せない。顔を歪めた慎太郎を見て、
「いいですよ、そのままで」
と言うと、マスターは持っていた小さな瓶を開け、手のひらに中身を垂らした。
「瀬戸内の柑橘類をブレンドしたアロマオイルです。アロママッサージと言って、身体を撫でることで痛みが取れるというものです」
低くて優しい声を掛けた。
パジャマのシャツを脱ぐと、マスターの大きな手が肩に触れる。
直接伝わる温かな手のぬくもりと爽やかなレモンの香りが、身体にはびこっていた痛みをだんだんと消しとっていく。
強ばっていた心も、ほろほろと溶けていくようだった。
「きっと、仲良くしていた方を立て続けに亡くしたからでしょう。心が辛いと、身体も辛くなってしまうものです」
いつしか、ジェシーと夕食を共にしたときに言われた言葉と一緒だった。
寝返りを打つと、今度は背中に手が添えられ、つーっと滑らかにすべっていく。
「…気持ちいいです」
やっと喉が開き、声が出た。少しかすれた声ではあったが、本心だった。
「…今まではがんになったことって悪としか思ってなくて、良いことなんてひとつもないと考えてました。なんで俺だけ、こんな早くにって悔やんでばかりで…」
マスターは黙って慎太郎の話にうなずいている。
「あのときは、ただ消えてしまいたいと思ってました。どうせ苦しんだ末に逝くのなら、今がいい…と」
その当時のことを思い出したのか、目頭に涙の蕾が咲き、やがて一筋、咲きほころんだ。
「でも実際には、ここに来たことで初めて出会えた人たちがいるし、ご飯もすごく美味しい。今までで一番綺麗な生活を送らせてもらってるな…って感じます」
「そう思ってもらえてるとは、嬉しいです」
「…なんか、人生終わり良ければ全て良しだなって、今本当に思うんです。こうやってマスターにマッサージしてもらってるのも、すごく最高です」
少し泣き声も混じりながら、笑って言った。
「それは良かった」
マスターは優しい笑みを浮かべた。
「もし眠たくなったら、いつでも寝ちゃっていいですからね」
それからは、自分がいつ眠りに落ちたのかも覚えていないくらい安心しきっていた。
目が覚めると、朝食の時間から少し過ぎていた。痛みに起きたのが5時くらいだったから、2時間とちょっとアロマセラピーを受けて眠っていたらしい。
今日は部屋にお盆を持ってきてもらう。メニューは小豆粥だ。
あたたかい幸せの味が、さっきまで痛みが走っていた身体に染みる。
毎回思うが、こんなに美味しいお粥は初めて食べた。もっと食べたい、毎日食べたいと思うから明日が楽しみになる。明日に向かって生きよう、と思える。
それこそが、このホスピスの計らいなのではないかといった印象を受けた。
最後まで湯気が立ち上る真っ白なお粥を楽しみ、また布団に潜り込んだ。
続く
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