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今日も今日とてお粥が美味しい。
そう思えるのは、なんて幸福なんだろうと大我はしみじみする。
昨日の夕食もとても美味しかったのだ。いや、ここの食事は毎日美味しいのが当たり前くらいの味なのだが、昨夜のご飯はトマトパスタだった。
無類のトマト好きの大我にとっては、朝のお粥よりも嬉しいくらいだ。
百合根粥を頬張り、しっかり手を合わせてごちそうさまでしたと言ってから、大我は部屋へ戻る。
最近は、手すりに頼らないと足元がおぼつかない。そろそろ動けなくなるのかなあ、嫌だなあ、なんて少し他人事のように独り言をつぶやいた。
ベッドに腰を落ち着けると、休憩がてら音楽を聴こう、と愛用している音楽プレーヤーとイヤホンを取り出した。
少し前は自分たちの曲を聞くのも億劫だったが、今では聴ける。
その中でも1番好きな楽曲、「Lifetime」。
懐かしいレコーディングやパフォーマンスの記憶が去来する。
このバンドでは珍しいバラード。丹精込めて作ったサウンド。メンバーと一緒に書いた詞。ふたりの人生をテーマにした、壮大で荘厳な作品に仕上げた。
レコーディングのとき、スタッフが感動して泣いてくれたのも思い出だ。
一曲が終わると、愛用品を大切に仕舞ってゆっくりと立ち上がってテラスから外へ出た。
感傷に浸ったあとは、海で心を落ち着けたくなった。
今日は、少しばかり薄い雲がかかっている。でも真っ青でなくても白っぽい水色でも、全部美しく見えてしまうのがここという土地のすごいところだ。
海の表情だって毎日違う。
今朝はいつもより波が高い。と言っても、ほかの地域の海に比べたら穏やかなほうだろう。
規則的に聴こえるさざ波に合わせて深呼吸する。いくら吸っても吸い足りないくらい、ずっと包まれていたくなる空気が、大我は昔から好きだった。
大我はこの島の出だ。
ここの海、空、山、全てがふるさと。慣れ親しんだ場所を懐かしみたくて、帰ってきた。
大我は波のかからない所にサンダルを脱ぎ、裸足で海水に触れる。
冷たい、でも気持ちいい。
手で水をすくうと、ひんやりとした感触がする。
周りを見ても誰もいない。それはそうだ。夏なら海がぴったりだが、今は秋も終わるころ。そんな季節にビーチに出る物好きはいないだろう。
ふいに、小さい頃の夏休み、瀬戸内海で海水浴をしたことを思い出す。
ビーチボールで父とキャッチボールをした。
母と砂浜でお城を作った。
浮き輪で浮かび、バカンス気分を味わった。
その記憶のどれもが、眩しくて明るかった。家族の笑顔で溢れていた。平和な家庭の象徴だった。
そんな景色を作りたかった。将来のパートナーと、将来の子供と家庭を築き、仕事も全部謳歌したかった。
でも、今自分はホスピスにいる。それが現実だ。半分諦め、半分受け入れた。そんな心境だった。
だけど、自分はこれで良かったんだ。そう思えたのは、他でもないあの5人のおかげだった。一人ひとりが自分に向き合ってくれた。だから、今が「楽しい」と思えたのだ。
いい人たちに出会えてよかった、とほほ笑みを浮かべる大我。
そのまま、膝を折り座り込む。ズボンが濡れたが、この際気にしない。
そして、顔に水がかからない位置に上体をゆっくり倒す。まるで砂のベッドに身体を委ねるように。海の布団に潜り込むように。
大我は、瀬戸内の海に還っていった。
続く