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それからヒミコとトモエは事務所に戻り、夕方まで表の商売の書類整理などをこなした。午後五時を回ったところでちょうど外回りから戻ってきたトワノと三人で、あるはずのない地下へのエレベーターに乗り、旧万世橋駅跡の中に作られた、ホワイト・リズムの秘密の基地空間へ降りた。
やがて十分ほどの間隔で、イオン、マユキ、ナミネの順で地下へ集まって来た。最後にウルハが入って来て皆に言った。
「わりい、わりい、遅くなっちまった」
ヒミコが特に表情を変えずにウルハに尋ねた。
「何かあったんかいな?」
ネイビーブルーにモスグリーンのストライプという派手な男物のスーツを着たウルハは、被っていた茶色のサファリハットを頭から外しながら答えた。
「いや、大した事じゃねえよ。メイド喫茶の女の子にストーカーが付いちまったてんで、ちょっと締めて来たんだ。警察沙汰になる前に片づけてくれってんで、ちょっと手間食っちまった。ま、二度とあの店にゃ現れねえだろ」
何の事だか分からず、トモエが怪訝そうな顔をしていると、トワノが耳打ちした。
「表の会社としてのホワイト・リズムは、メイド喫茶とかそういう店のための何でも屋みたいな事もしてるの。ウルハさんの表の仕事は、メイドやキャストの女の子たちのための用心棒なんだ」
全員が畳に座ったところで、ヒミコがあの茶封筒を持ち出して皆に告げた。
「新しい依頼や。今回の関係者はこの二人」
そう言ってヒミコが、車座になって座っている皆の真ん中に写真を二枚置いた。一つは眼鏡をかけた、三十代ぐらいの男、もう一つはやや派手な化粧をした若い女の写真だった。ヒミコが言った。
「その男は神州化学工業ちゅう企業の技術主任。で、その女が、その男から不同意性交等罪の被害を受けた言うて、警察に被害届を出した、まあ本人が言うには、その被害者」
トモエが首を傾げながら訊いた。
「その、不同意なんとかって何ですか?」
おしゃれなワンピースを着て優雅に横座りの姿勢を取っているマユキが、聞こえよがしなため息をついてトモエに言った。
「トモエさん、あなたもう成人なんだからニュースぐらいチェックしておきなさい。2023年7月に施行された、改正刑法177条の事よ」
トワノがマユキに向かって「まあ、まあ」と言いながら掌を上下に振って、トモエに言った。
「要するに、女性の同意なくセックスしたら罰せられるって法律だよ。以前は強姦罪、準強姦、強制わいせつとかもっと細かく分かれてて、有罪になる要件も暴力とか脅迫とか、もっとややこしかったんだ。改正された177条では、男女関係なく相手の同意がなかったら罪になる。網を広げたわけね」
トモエはまだ首を傾げながら言った。
「だったら何も蔭(おん)の白拍子が出なくてもいいんじゃないですか?」
イオンがにやっと笑いながら言った。
「女性にとっては、性被害にあったら警察の訴え易くなった。それはいい事なんだけど、これ、同意があったかどうかの判断が女性側の証言に頼る面が大きいから美人局(つつもたせ)に悪用出来ちゃうんだよね」
「ツツモタセ?」
初めて聞いた言葉なので、トモエがオウム返しに言う。ナミネがソバージュの髪の先を指でいじりながら言った。
「女が男と寝て、その後に、それをネタにしてゆする行為の事。男に、訴えられたくなかったら金寄こせって要求するわけ」
トモエが少しだけ腑に落ちたという表情になったので、ヒミコが言葉を続けた。
「仮に美人局やとしても、それだけならスケベ心に負けた男の自業自得や。せやけど、その女が被害届を取り下げる示談条件の内容が金やのうて、日本企業の最先端半導体技術やと言うなら、話は違ってくる」
トモエはさらに首を傾げた。
「日本に半導体の、そんな陰謀の対象になるような最先端技術なんてあります? 半導体って確か、韓国や台湾の方がずっと進んでるんじゃ?」
ヒミコは相変わらず能面のような無表情な顔で答えた。
「完成品としての半導体チップならその通りや。けど、半導体チップ作るには、精密な製造装置とか特殊な原材料が要る。その分野では世界でも一二を争う市場シェア持ってる日本企業がけっこうある。神州化学工業は超高純度フッ化水素ちゅうもんの製造大手や。パーセントで言うと、99コンマの後ろに9が十個ぐらい並ぶらしい。こういう物は韓国や台湾にもまだ作れん。外国の半導体メーカーにとって、その会社のフッ化水素の製造ノウハウは喉から手が出るほど欲しいやろな」
トモエはやっと合点がいったという表情で言った。
「じゃ、その写真の女の人は産業スパイって事ですか?」
ヒミコが答えた。
「ただの産業スパイやないやろな。それだけやったら公安警察の仕事や。ウチら蔭(おん)の白拍子に依頼が来るちゅうことは、背後にいるのはかなりの大物や。例えば、韓国の財閥が抱えとる非合法組織とかな」
これにはウルハが疑問を口にした。
「けどよ、アネゴ。だったらその男をヘッドハンティングすりゃいいんじゃねえか? 美人局なんて手の込んだ真似をする必要がどこにある?」
ヒミコが封筒から出した書類を見ながら答えた。
「2019年やったかいな、日本が韓国向けの半導体関連の製品の輸出の規制を厳格化して、韓国を慌てさせた事があった。技術的な企業機密の漏洩という形になるのは、あちらさんも避けたいんやろ。それがばれて、他の半導体製造装置や原材料の日本からの輸入をまた規制されたら嫌やろうからな」
トモエが感心したという口調で言った。
「皆さん、すごく詳しいんですね。裏の仕事に必要なんですか?」
ヒミコがトモエに視線を向けて言った。
「蔭(おん)の白拍子は、スパイ、殺し屋ちゅうても、金さえもらえば何でも引き受けるわけやない。引き受けん方がいい危ない話かどうか見極めるには、世間の動きをよう知っておかんとな。最悪の場合、いいように利用されて、命ごと使い捨てにされる危険もあるんやで」
コメント
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**美月ゆめか🌸の感想** 第29話、めっちゃおもしろかった〜!!😭💕 不同意性交罪とか美人局とか、法律の裏を突く産業スパイものって新鮮!トモエが「ツツモタセ?」ってオウム返ししてるところ、初心者な感じが可愛かったし、ヒミコの「世間の動きを知らんと命ごと使い捨てにされる」って台詞が重くて染みた…。半導体の高純度フッ化水素って現実にもある技術なんだよね?そういうリアル要素が効いてて、世界観に引き込まれたよ!次回も楽しみにしてる✨