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#ファンタジー
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気が付くと、周囲は濃霧に包まれていた。視界が効かず、両手で前方の空気をかき混ぜる。
(どこなのここは? 私はゾノドコ新聞で研修を受けていたはず……)
突き出した袖に目をやると、自身の服装が日本で愛用していた部屋着だと気が付いた。
目前の霧が揺れ、人影が近づいてくる。その様子をどこか他人事のように見つめる。人影はふいに喋りかけてきた。
「あなたは誰なの? 突然意識を乗っ取るなんて。酷い魔法使いね」
録音した自分の声を聴いたことがあったが、まさにそれだった。
人影の正体はゲーム世界のユミヨだった。ブラウンの髪に民族衣装のチュニックは、ベッドで一体化した時そのままだ。
「私の体を返して! ママとも勝手に喋らないでよ。この乗っ取り屋!」
由実世の両肩を掴み、体を激しく揺さぶってくる。悲痛な表情に怒りを滲ませながら。
「もう少し待って。私がこの世界に来たのは、やるべきことがあるからなの」
由実世は怒れる分身の両頬を手のひらで包み込んだ。両眼に力を込めて真剣に見つめる。
「それは魔王に……」
突然、喉奥に違和感を感じ、由実世の言葉は尻切れとなった。出そうとする声は喘鳴となり吐き出される。喋れない症状、忌まわしき|場面緘黙《ばめんかんもく》の再発だった。
(お母さんが亡くなってから数カ月の地獄。私はまだ解放されていないのね……)
眩暈を覚えた由実世は、両膝に手を付いた体勢で硬直する。再来した絶望に打ちひしがれてしまったのだ。
「あ、あなた大丈夫なの?」
困惑した茶髪のユミヨが怪訝な顔を傾ける。と同時に、周囲を包む濃霧が暗色になる。それが視界を覆い、完全な闇が二人を包みこんだ。
ゆっくりと開く瞼から大粒の涙がこぼれ落ち、枕にしみ込んだ。
目覚めると、剥き出しの梁と土塁を朝日が照らしていた。ゾノドコ新聞本社の宿直室に寝泊りしたことを思い出し、ユミヨは胸をなでおろす。
(何の涙? 痛みも感じないし、夢でも見ていたのかしら……)
けだるさに身もだえしつつ半身を起こすと、ユミヨはサイドテーブルの竹筒に手を伸ばした。昨晩汲んできた水を一口すすると、口元を拭う。
(駄目だ、何も思い出せない。誰かと会っていたような……)
首を斜めに傾げつつ、ベッドから立ち上がる。
「ユミヨさん、そろそろ出発でっせ!」
外からドワーフのダミ声が聞こえてくると、ユミヨは窓を開いた。
「おはようございます。ロコモンさん、すぐ行くからちょっと待ってて!」
ユミヨが片手を上げると、ロコモンが大きな口をほころばせる。その奥では風車がのんびりと回っていた。
(今日から遠方への野外活動なんだ。頑張らなきゃ!)
ユミヨは大きく体を伸ばすと、束の間の日光浴を堪能した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
菜の花香る黄色の絨毯を横目に、街道を練り歩く。ユミヨとロコモンの新コンビはビヨグランデを後にし、新たな目的地へと向かっていた。
(こんなに歩くのは久しぶり。でも、体が喜んでいる)
ユミヨの足がスキップを踏む。七分袖のチュニックにショルダーバッグというカジュアルな出で立ちだった。スカートではなく、動きやすいチノパンを履いている。
「凄く平和な道行だけど、魔物が出たらどうしよう……」
「ユミヨさん、安心してくだせぇ。魔物なんざ、この斧の錆にしてやるよ!」
ロコモンが背中に背負った斧を握って豪語する。寸胴ボディには皮の鎧を纏っていた。ソフトモヒカン風の赤毛は短髪で、髭のボリュームには負けている。分厚い瞼に優し気な目元。先端が赤らんだ団子鼻も、愛嬌たっぷりのドワーフそのものだった。
(身長152センチの私より低いなんて……。だけど、ズングリしてるから頼りになりそう)
ユミヨがロコモンを見定めていると、街道がちょうど途切れるところだった。歩みを止めると、眼下の盆地を二人で見下ろす。
「あれがルパイヤ族の集落よね」
ユミヨが指さす低地に、ゲルのようなテントが乱立していた。その近辺では白色の家畜がたむろしている。
「ゾノドコ新聞の先遣隊も出張ってるはずですぜ。だども、こんな僻地にニュースのネタなんてあるのかなぁ」
腕を組んだロコモンが、太ましい首を傾げる。
「ロコモンさん、とりあえず行ってみましょう」
二人は揃ってなだらかな坂を下り始めた。
***
集落に到着したユミヨたちが、テントの周囲を散策する。バンダナを巻いた遊牧民らがまばらにたむろし、彼らは穏やかな笑みでユミヨたちを歓待する。
「そっちは牧草地だから、家畜に気を付けてねぇ」
腰が曲がったおばあちゃんが注意を促す。着物のような民族衣装が似合っていた。
「ええ、気を付けます」
老婆に会釈するユミヨの前に一人の男が歩み寄る。
「よくぞこんな僻地まで来てくれた。お疲れだったねぇ」
男爵風の中年男がチョビ髭をつまみつつ述べる。撫でつけられた黒髪とサスペンダーシャツという風体が場違い感を醸す。
「モズルフさん、約束通り連れてきやした。御社の新人さんでっせ」
ロコモンが露骨にへりくだる。おそらく、ゾノドコ新聞の上席だろう。
「新人のユミヨと申します。宜しくお願いします!」
ユミヨが90度まで腰を折ると、口をへの字に曲げたモズルフが仰々しく頷く。
「君の指導を担当する、現場監督のモズルフだ。まずは水分補給をしたまえ」
「あ、ありがとうございます」
不意に差し出されたティーカップをユミヨが受け取る。
(チャイに近い甘さね。けど、疲れた体に染みるわぁ)
カップに口を付けたユミヨの顔がとろける。
「早速今から突撃取材を行う。付いてきたまえ」
「はい! って……どこに突撃するんですか?」
「見れば分かるさ。楽しみにしたまえ」
チョビ髭の下の口がニヤリと微笑んだ。
***
一旦ロコモンと別れたユミヨは、モズルフと連れ立って集落の端へ移動していた。そこには、丈の高い植物に隠されたように小さなテントがぽつねんと佇んでいる。
「君は余計なことをせずに、後ろに突っ立っていていなさい」
モズルフが顔だけ振り返ると、ユミヨは生唾を飲み込みつつ頷く。
「お待たせしました、モズルフです」
「……どうぞ」
か細い声が返り、二人は連れ立ってテントに入る。中の簡易ベッドに童顔の青年が腰かけている。胸部に巻かれた十字型の包帯が痛々しい。
「まさか……勇者レカーディオ?」
ユミヨのつぶやきを聞いたモズルフが横目で牽制する。そして、突然その場でしゃがみ込んだ。
「この度は、大変申し訳ありませんでした」
先ほどまで居丈高だったモズルフが、地を舐めるような低姿勢で土下座する。事情が分からぬユミヨは、その場で茫然と立ちすくんだ。