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「なにか声かけてやらなくてよかったのか?」
見送るのどかに、泰親が言ってきた。
「え?」
「貴弘、ちょっと寂しそうだったぞ、帰り際」
「そうでしたか?」
「お前に家に来て欲しかったんじゃないのか?」
と言われるが、
「いえいえ、もう遅いですし、ご迷惑かと」
と言って、のどかは足許の草を見た。
……こんな夜遅くに成瀬社長の家に行くとか、なんだか緊張してしまいそうだし。
恥ずかしいではないですか、と思いながら、泰親に言う。
「あ、マツバウンランも咲きましたね」
月光の下、見えるのは、背が高くほっそりとした草だ。
薄紫の小さく可憐な花を幾つもつけている。
「これ、あまり人気のない荒地なんかに、よく群生してるらしいですよ」
「……まさに、此処が人気のない荒地だから生えてるんだろうな」
と泰親が手痛い真実を突いてくる。
「庭の美観を保つのと、材料の確保を両立させるの、大変ですよね~」
とのどかは月夜の庭を眺める。
荒れ果てた庭に荒れ果てた古民家。
「ある意味、風情がありますよね」
「あるか?」
と言ったあとで、泰親は、
「それにしても、此処を社員寮にしたら、社員が逃げ出しそうだが、大丈夫なのか?
貴弘の会社は」
と言ってくる。
「そういえば、さっき猫耳の話が聞こえてきたんですが。
今、猫耳、ちょっぴり外を向いて倒れていますが。
リラックスしてるんですか?」
うーん、と泰親は首をひねり、
「どちらかといえば、楽しい、かな?
お前たちと居ると、なんだか楽しいんだ」
と言う。
「そうなんですか。
難しいですね、猫耳」
と言いながらも、そう言ってもらえてなんだか嬉しいな、と思っていた。
「ずっとひとりで待ってたんだ。
あそこでひとり、誰かが呪われるの待ってた――」
と泰親は言う。
「いや、そういう言い方すると、呪われるのを心待ちにしてたみたいなんですけど……」
呪いが発動したときのために、見張っていたのだろう。
「でも、今はひとりじゃなくて、楽しいぞ。
私は生きているときは、別に、ひとりでも構わないと思っていたんだが。
長くひとりで居て、お前たちと出会って。
やっぱり、他の人間と共にあるのは、刺激があっていいなと思った。
特に、お前たちは次々、阿呆なことばかりするから、生きてるときより楽しい気がするぞ。
――なんだ、のどか。
お前も楽しいのか」
リラックスしてるのか?
と微笑んでいるのどかに泰親が問う。
いや、私の耳は倒れてませんけどね、と思いながらも、のどかは言った。
「猫耳、読み取れなくても関係ないですね。
泰親さん、そうして思ってること、しゃべってくれるから」
「まあ、一応、人間だからな。
猫のようにあまり動かないが、表情筋もあるし」
と自らの顎を撫でて言う。
そういえば、猫がとり憑いているのなら、猫のように撫でてみたら、ゴロゴロとかいうのだろうか……と思い、つい、じっと泰親の顎を見つめていると、
「いや、ゴロゴロ言わないからな……」
と泰親が言ってくる。
「何故わかりました……」
「お前の考えてることは、大抵の人間はわかる。
わからないのは、貴弘くらいだ」
と何故か言う。
そうなのか。
まあ、私も成瀬社長の考えてることは、さっぱりわからないが、と思いながら、のどかは言った。
「もう入りましょうか。
夜はまだ寒いです」
そうだな、と泰親も言う。
今――
もう入りましょう、と言ったそのとき、ふと、ああ、此処が私の家なんだなと初めて思った。
貴弘が聞いていたら、
「此処に永住する気かっ!?」
と言ってきそうだが……。
ふかふかの猫になった泰親が、のどかの腕に飛びついてきた。
抱っこしろと言うのだろう。
のどかは泰親の背を撫でながら、玄関に向かい、歩き出す。
「泰親さん、私の布団の隣に、座布団と毛布出してあげますから、上には乗らないでくださいね~。
重くて、金縛りみたいになるんで」
泰親さんだから、リアル金縛りだな、と思いながら――。
「どうした、中原」
月曜日、社長室で綾太にいきなりそう言われ、今日のスケジュールの報告をしていた中原は、思わず、
「は?」
と訊き返す。
「いや、珍しく心此処にあらずのようだが」
と言われ、いえ……と言いはしたが。
内心、困ったな。
社長に秘密ができてしまった……と思っていた。
怪しい呪いでのどかの家に連れ込まれ、のどかが向かいのビルの成瀬社長と結婚していることを知ってしまったからだ。
いやいや、胡桃沢が結婚したことは、まだ、黙っておくべきだ。
社長の心を乱さないために――
と中原は思う。
呑気な胡桃沢は気づいていないようだが、社長は何故か、あのマヌケな幼なじみが好きらしい。
しかし、見た目はともかく、あの頓狂さでは、ちょっと社長夫人にはふさわしくないと思い、社長から遠ざけようとしてきたのに。
何故、切れ者の成瀬社長があれを妻に……?
一緒に居ると、一気に気が抜けそうな気がするから、仕事の緊張が解けていいのだろうか……?
というようなことを失ったイタリア製の靴よりに気にしていた中原だったが。
うっかり、社食で、のどかと出会ってしまった。
そういえば、こいつ、まだ会社に居たな……と思う。
うっ、中原さんと向かいの席になってしまった、とのどかは固まっていた。
月曜日の社食はいつになく混み合っていて、他に席が空いていなかったのだ。
窓際に中原がひとり座っていたのを見つけ、風子が、
「あそこにハーレムがっ。
行くわよっ」
と言い出した。
いや、あそこにみんなで行ったら、ハーレムなのは中原さんの方では?
と思いはしたが、なんだか言いたいことはわかる気がした。
日当たりのいい窓際の席にクールな美形がひとり座っている。
中原ひとりで、風子的には、ハーレムな感じなのだろう。
それなら、うちに住めばいいのに、とのどかは思う。
なにせ、『若く美しい男が次々と投げ込まれる』呪いがかかっているらしいからな。
大抵、わーっ、と悲鳴を上げて、走り去っていくだけなんだけど……。
そんなことを考えている間に、風子が、
「中原さん、此処いいですか?」
ともう訊いていた。
顔を上げた中原は、のどかに気づき、微妙な間を作ったが。
他に席も空いてないからだろう。
「どうぞ」
と言った。
きゃーっ、と言った女子たちだったが、中原はあまり親しみやすいタイプではないので、みんな中原の目の前の席は遠慮して座らない。
ちなみに風子は遠慮なく隣に座っていた。
なにか押し付けられる形で、のどかが中原の前に座ったわけなのだが……。
うう、中原さんが正面に居て食事とか。
なにも喉を通らないような、と思いながら、栄養豊富でカラフルな定食を食べる。
やはり、ヨモギ雑炊とは一味違うな、と思いながら。
料理は、やっぱり、見た目の綺麗さが大事だよなー。
食欲をそそる感じのカラフルさっていうか。
その点、雑草は地味だろうか。
いやいや、やり方によっては……。
などと考えているのどかを気がつけば、中原がじっと見つめている。
ななな、なんなのですか、中原さんっ。
さては、イタリア製の靴を弁償しろとかっ?
そうして差し上げたいのはやまやまなのですが。
給料と退職金が出るまで、お金ありませんっ。
あっ、そうだっ。
失業保険も出るんだった。
「そうだ、ラッキー」
と中原の顔を見たまま、思わず言って、
「なにがだ……?」
と言われてしまう。