国境沿いにバイロン国の軍隊が来たと報せを受けてから一日経たずに、トラビスとレナードが軍を率いて王城を出発した。
国境に着くまでの間に、各地からも兵が合流する予定だ。
トラビスとレナードに気をつけるようにと声をかけて皆で見送った。その時、僕は驚くべき光景を目にした。誰にも興味がなさそうなネロが、トラビスに執拗に声をかけていたのだ。
この城に来てからずっと、ネロはトラビスと一緒にいたから親しみの情が湧いたのかもしれない。
トラビスもネロとは気が合うのだろうか。今まで見たことのない柔らかい顔で、受け答えをしている。お互いにとって安らげる存在になっているならいいことだと、僕は二人を微笑ましく見ていた。
隣にいたラズールは「気を許しすぎだ…バカめ」とまた悪く言ってたけど。
軍の隊列が小さくなるまで見送って、僕やラズール、大宰相と大臣達は城内に入った。中に入る時に振り向くと、ネロがまだ軍隊が去った方角を見つめていた。
軍が出発してから三日経った。
出発してから二日後には国境に着いたが、バイロン国に動きはないと報告が来ている。
イヴァル帝国に攻め入るために国境に軍を配備したのではないのか?バイロン国が何を考えているのかわからなくて少し怖い。
しかし戦場に気を取られてばかりいられない。僕は姉上の身代わりではあるけど王なのだ。国をよくするために、やるべきことがたくさんある。
今日も朝から執務室の机の前で、民からの陳情が書かれた書類を読んでいた。時おり離れた場所で書き物をしているラズールを呼び、こういう場合はどうするのが最善かと助言をもらいながら、昼過ぎまで目を通していた。
そして唐突に、紙をめくる音しかしない静かな部屋の中に、僕のお腹の鳴る音が響き渡った。僕は慌ててお腹を押さえてラズールを見た。
当然聞こえていたらしく、ラズールがこちらを見て笑った。
「ふっ…ずいぶんとかわいらしい音が聞こえましたが」
「う…ごめん」
「よろしいのですよ。もうこんな時刻ですね。昼餉を運んで来てもらいましょう」
「あっ、じゃあ自室に運んでもらって。部屋で食べるから」
「かしこまりました」
ラズールが小さく頭を下げて出ていく。
扉が閉まると同時に、もう一度ぐぅ…と小さく鳴った。
「ラズールも朝から何も食べてないのに、僕だけ鳴って恥ずかしい…」
お腹を押さえて呟く。
「あ、でもそういえば…」と、以前ラズールが話していた内容を思い出した。
「腹が鳴るということは、たくさん食べたいという合図ですので、俺はあなたの腹の音を聞くと嬉しいのです。たくさん食べて体力をつけてください。前よりももっと、体力をつけて強くなって下さい」
聞いた時は変なことを言うなぁと思ってたけど、先ほどラズールが笑ったのは嬉しかったからなのかと、恥ずかしい気持ちが消えた。
手に持っていた書類を最後まで読み終えて立ち上がろうとした時に、部屋の外からネロの声がした。
僕は「どうぞ」と言ってもう一度腰を落とす。
ネロが小さく扉を開けると、素早く中に入って扉を閉めた。
「仕事終わった?」
「うん、一応…」
「アイツ…すぐ戻ってくる?」
「ふふっ、ラズールなら戻って来ないよ。昼餉の準備を頼みに行ったから」
「あ、まだ食べてなかったのか。ごめん、出直す…」
「いいよ。まだ準備できてないだろうから。どうしたの?」
ネロが、部屋の中央にあるソファーに座って「こっちに来いよ」と僕を手招きする。
仲良くなってからのネロは、弟みたいでかわいい。実際は僕より半年早く生まれているのだけど、甘え上手で言うことを聞いてやりたくなる。
僕は笑って再び席を立ち、ネロの隣に座った。
「どうしたの?トラビスのことが心配?」
「は?違うよ!俺はただっ、おまえのことが心配でっ…だから…」
ネロが勢いよく腰を浮かしかけたけど、ゴニョニョと口ごもりながら座り直す。
「ふふっ、僕を心配してくれたの?ありがとう。大丈夫、もう元気だよ」
「おまえ…三日前に熱を出しかけただろ」
「少しだけね。でもすぐに治ったよ」
「熱だけじゃない。ひんぱんに頭が痛くなってないか?」
「あー…うん。なんだろうね?死にかけたからかな?」
「あのとき以来ずっとなのか?」
「そうだね。薬は飲んでるんだけど、あまり効いてないなぁ」
ネロが僕の手に触れる。
どうしたのだろうと首を傾げると、ネロが真剣な顔で近づいてきた。
「…フィルはさ、ラズールのこと、どう思ってんの」
「ラズール?僕の最も信頼してる人だよ」
「ただの一家来じゃなくて?」
「うん。僕が生まれた時から、ずっと傍にいるからね」
「なるほどね…」
小さく息を吐き出して、ネロが顔を僕から離しソファーに深く沈む。
ネロの言動が気になって、今度は僕が身を乗り出した。
「ネロはトラビスのことが気になってると思ってたけど、ラズールのことも気になるの?僕がわかることなら何でも答えるよ!」
「…じゃあさ、教えて。フィルはバイロン国のリアム王子のこと、本当に覚えてない?」
「覚えてるもなにも、この前の戦で捕まった時に、顔を合わせただけでしょ?」
「違う。フィルはリアム王子と、半年前に出会っている」
「…え?」
僕は驚いて、ネロの顔を凝視した。
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