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「さて、ではお別れだ」
唐突にそう言ったシャリーはまだ麺麭を握ったままのユカリの腕を無理に取り、素早く後ろ手に縛る。そしてユカリは抵抗する間もなく柱に固定された。気のせいか、たまたまか、暖炉が見える方に体を向けて戒められる。
「まだ食べてないのに!」ユカリは後ろ手に麺麭を握りしめて訴え嘆く。「いくら何でも唐突過ぎやしませんか? 一体何なんです?」
「前にも言ったが貴様を機構に引き渡す。そろそろ来る頃だから私は去る」
「それにしたって何も食事の途中で……ん? お金の受け渡しはもう済んだんですか?」
「金?」シャリーは首をかしげるがすぐに思い当たる。「ああ、懸賞金の話か。あんなもの嘘に決まってるだろう。いや、私ではなく機構の嘘だ。この場にいる者など皆殺しに決まってる。何せ相手はいくつ魔導書を持っているか知れない魔法少女だ。今頃救済機構の僧兵たちがここに向かっているだろう。救済機構が見誤っていなければ一国に攻め入る兵力でも物足りないと見積もるはずだ」
魔導書を封印していなければ、あるいは封印しても触媒として使える魔術師が相手ならば、それほどの兵力が必要なのだろうが、魔法少女ユカリ相手では過剰としか思えない。ユカリは恐ろしいような悔しいような気持でため息をつく。
「私、何か恨まれるようなことしましたっけ? 魔導書を奪われるのはともかく、わざわざ救済機構の僧兵を呼び寄せて……」と言ってユカリははっと気づく。
シャリーを含め、盗賊たちが救済機構に攻め入って魔導書を盗み出す大仕事が近々行われるのだ。事前に救済機構総本山の兵力を減らし、その仕事を成功させやすくするのが狙いに違いない。まんまと利用されるわけだ。
「でも、魔導書を持って離れれば私の手元に戻るんですよ。私はまんまと逃げ果せることでしょう」
「この魔導書だな」と言ってシャリーは『我が奥義書』を示す。
それだけとは限らない、というはったりをユカリは思いつくが効かなそうなので飲み込む。
ユカリが何も言わないのでシャリーが続ける。「離れればと言ったな。つまり自在に引き寄せることはできないというわけだ。距離もおおよそ察しが付く。私が初めに街に出かけた時、魔導書が消えた地点は把握している」
後ろ手に縛られていなかったら自分を殴っていたに違いない、とユカリは心の中で愚痴る。
「しかし逃げるか。この魔導書だけでは勝てないのか?」
その質問にもユカリは答えない。何を喋っても意図せず何かを知られそう、そんな気分になる。ベルニージュと喋っている時と同じだ。
「私は魔術における触媒について詳しくはないが、噂が本当なら暖炉に浸かった火付けの呪文でもシグニカ全体を焼き尽くせるはずだ」
さすがに過大評価だ、たぶん。ユカリは改めて魔導書が世間では恐ろしくも謎めいた存在であることを思い知る。
「お喋りは嫌いだったか? まあいい。せめてお前の行く末に幸があることを神に祈ろう」
シャリーは手を組み、まるで眩い光でも見たかのように強く目を瞑る。その祈る仕草はまるで。
「レモニカみたい」とユカリが呟くとシャリーはかっと目を見開き、重装鎧をも貫きかねない眼光でユカリを睨む。
ユカリの体が野獣を前にした時のように竦むが、縛り付けられた柱から逃れられない。
「その名をどこで聞いた!?」シャリーがユカリの肩をつかんで顔を近づける。「レモニカさまを知っているのか!? いま、どこにおられるのか知っているのか!?」
その叫ぶでも怒鳴るでもない声はしかしとても力強く、答えることを強いる響きがある。
しかし、だからといって人攫いに友人のことを話すわけにはいかない。ユカリは目を瞑り、歯を食いしばり、唇をよく結んで沈黙に努める。殺されたって話さない。
シャリーはおもむろに剣を抜く。ユカリは真っ暗な心の中で義父母につよく祈る。すると、ユカリの拘束が解かれた、シャリーの剣によって。
レモニカを求める女シャリーは剣を鞘に納め、腰帯から解き放って床に放る。それと肩にかけたユカリの合切袋を、中身の魔導書もそのままにユカリの足元へ置き、数歩下がり、王のためならどのような犠牲も厭わない忠臣がするように跪く。
「頼む」と一言、シャリーは切実な響きで言った。
それ以上何も言わなくても、それは心の底からの頼みだと、すでにユカリに伝わっている。
ユカリは剣を抜かれた時よりも、魔導書を全て奪われたことに気づいた時よりも怯んでしまった。目の前にいる剣士はユカリと同じか、それ以上にレモニカのことを強く想っている、と見せつけられてしまった。
ユカリは合切袋だけ拾い上げて肩にかける。
「とにかく、まずは事情を聞かせてください。それで話せるかは分からないけど。たとえ魔導書を返しても武装を解除しても、信用には足りません」
これもまた間違いだ。これではまるでレモニカを直接知っているみたいだ。しかし今となっては、話すべきではないと分かっていても、|シ《・》|ャ《・》|リ《・》|ー《・》|の《・》|た《・》|め《・》|に《・》レモニカのことを話すべきかもしれない、とユカリは思っていた。それだけシャリーの想いに当てられてしまった。
シャリーが控えめに応じると二人は再びぱちぱちと呟く暖炉の前へと移る。
シャリーの口調はあまり変わらないが、うってかわって礼儀正しく聞こえる声音で話す。「レモニカさまは、ライゼン大王国の王女であらせられる」
ユカリは早速口を挟みたくなったが、何とか堪える。
「私はその親衛隊の隊長だ。政治的な事情で、親衛隊も隊長も名ばかりの存在だが。レモニカさまは、簡単に言えば家出をしたのだ。置手紙もあった。もちろん親衛隊の総力を尽くして捜索したが、ついに見つからなかった。呪いを利用したのか、あるいは何者かの手引きがあったのか」
「それで探してるってわけですね。はるかシグニカまで」
ユカリにはとても今考えた嘘とは思えなかった。以前から考えていた嘘だとしても、レモニカの情報を集めるための嘘としては出来が悪い。
ユカリは覚悟を決める。もしもこれがレモニカにとって悪いことであれば、どのように詫びればいいのか想像もつかないが、シャリーは嘘をついていないと信じる。
ユカリはレモニカと出会ったサンヴィア地方から、ここシグニカ地方までの旅の出来事をほとんど詳らかに明かす。
シャリーはまるで高僧の有り難い話を聞くように、ただただ熱心に耳を傾けていた。
「ありがとう」全てを聞き終えたシャリーはまず最初にそう言った。「君は何度も殿下を助けてくれたのだな」
「友達ですから。前半は成り行きですけど」とユカリは応じる。
「そして殿下は、私が君と共に発ったビンガの港街にいたのだな」と言ってシャリーは自嘲的に微笑み、何かの覚悟を決めたらしい精悍な顔つきで立ち上がる。「ではな」
シャリーが剣を置いて立ち去るので、ユカリは剣を拾って追いかける。廃屋の外の色濃い夜、黄色い月明りがぼうとガミルトンの草原を照らしている。廃墟があるばかりの草原はまるで人の世の滅んだ後のようだ。
「どこへ行くんですか? レモニカのところですか? もう大仕事は終わりですか?」と言ってユカリは呼び止める。
シャリーは半身を振り返って言う。「殿下の元へ向かうが、それとこれとは別だ。本国、ライゼン大王国から与えられた任務だ。全うしなくてはならない。元より殿下探しはもののついでだ」
「私には、とてもそうは思えませんけど。ともかく、一人では行かせませんよ」
そう言ってユカリは剣を差し出す。
シャリューレは問いに答えず剣を受け取り、再びユカリに背を向ける。