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より『ぼくの感情』
小学三年生のある日、ぼくの世界は音もなく途切れた。脳内出血。気がついたとき、季節がひとつ変わっていた。
一ヶ月ものあいだ、ぼくは昏睡状態だったらしい。でも、眠っていたあいだのことなんて、何ひとつ覚えていない。いや、覚えていないのはそれだけじゃない。目が覚めてからも、なんだかぼくはずっと空っぽだった。
笑いたい場面で笑えない。怒るはずのときに何も感じない。泣く理由が見つかっても、涙は出てこない。まるで、ぼくの「感情」がどこか遠くに置き忘れられてしまったみたいだった。
「前はどんな子だったの?」と先生に聞かれても、わからなかった。母に尋ねても「元気だったよ」と笑うだけ。でも、その“元気”が、どういう“元気”だったのか、ぼくにはもう思い出せなかった。
だから、ぼくは決めた。手当たり次第、自分の喜怒哀楽を探してみようって。
テレビのバラエティ番組を見て、面白くなかったらメモ。犬の動画でちょっと笑ったら「笑:たぶん3/10」。廊下ですれ違った子に急に「どけよ」と言われたとき、胸の奥がじんとした。それを「怒:たぶん5/10」と記録した。
ある日、学校で友達が転んだ。大げさに泣く彼を見て、ぼくはふいに吹き出した。お腹の奥が少し温かくなって、それを「楽:6/10」とノートに書いた。たったそれだけのことが、嬉しかった。
感情は、すぐには戻らなかった。でも、日々の中で少しずつ、音のしない引き出しが開くようにして、ぼくの中に積もっていった。
「前の自分」を取り戻すことは、たぶんできない。けど、「今の自分」はこうして、自分の気持ちを探して、毎日ちょっとずつ知っていける。
ある日の帰り道、クラスの誰かが笑っていた。誰かが泣いていた。風が強くて、空が赤くて、ぼくは歩いていた。だけど、胸の奥には何もなかった。
「感情を探す旅だ」なんて、最初はちょっとワクワクしていた。でも、何日経っても、本当にぼくの中にあるのかどうかもわからないまま、ただ「何も感じない」ってノートに書くばかりだった。
“悲しい”ってなんだったっけ。
“くやしい”って、どんな味だった?
“うれしい”って、体のどこが温かくなった?
思い出そうとしても、頭の中は霧みたいで、どうしても手が届かない。むかしの「ぼく」は、どこへ行ってしまったんだろう。
感情が戻ってくるどころか、逆に遠ざかっていく気がして、怖くなった。怖い、という言葉を書きながら、「これは本当に“こわい”なのか?」と疑っている自分がいる。
ある日、母が昔のビデオを見せてくれた。幼いぼくが、風船を持ってはしゃいでいる。笑って、転んで、泣いて、また笑っていた。
画面の中のぼくは、まるで他人だった。――でも、たしかに、それはぼくだった。
「…このとき、何を思ってたんだろう」
声に出した瞬間、涙が出た。理由はわからなかった。ただ、胸がギュッと痛くなって、もう一度あのときの自分に会いたくなった。声をかけたくなった。
「覚えてなくてごめん」って。
それは、悲しみかもしれないし、悔しさかもしれない。もしかすると、やっと“思い出しかけている”という兆しかもしれなかった。
苦しかった。でも、その苦しさが、今のぼくにとって確かに“生きてる感情”だった。
感情を思い出すって、ただ懐かしむことじゃない。忘れたままでも生きていけると知りながら、それでも思い出そうともがくこと――それが、ぼくの戦いだった。