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出張二日目、私も拓真も各自順調に支社での役目を終えて、夕方一緒に帰路についた。新幹線の座席に落ち着くと、早速拓真が心配そうに訊ねる。
「太田さんから連絡は入ってた?」
「今朝とお昼ごろに、メッセージがたくさん入ってた。何時に帰って来るのかって。適当に返信はしておいたけど……。今夜会いに行くって、やっぱり書いてあったわ」
「そうか……。とりあえず、向こうに着いたら、真っすぐリッコに行くってことでいいんだね?」
「そうだけど、疲れているでしょう?私一人で大丈夫だから、拓真君は帰っていいのよ」
「いや、一緒に行くよ。だって、万が一だめってことになったら、困るでしょ?仮にホテルを探すことになったとしても、俺も一緒に手伝えるからさ。本当は、真っすぐうちに来てほしいんだけどね」
拓真はため息をついた。
私は首をすくめる。
「ごめんね。それに、色々とありがとう」
「気にしないで。この後のことも一緒に考えたいしね。ところでさ……」
拓真は言葉を切り、私の手を握る。
「拓真君、手……」
どきりとして彼を見上げる。
瞳を柔らかく緩めて彼は囁く。
「向こうに着くまでの間だけでいいから、こうしていて」
「……うん」
私はためらいながら彼の手を握り返した。
私たちは寄り添うようにくっついて、駅に到着するまでの間、ずっと手をつないでいた。
到着を知らせるアナウンスが流れた時は、彼の手を離しがたい気持ちになっていた。のろのろと彼の手を解く。ふと見上げた彼の目にも、私と同じ名残惜しげな色が浮かんでいた。互いにそれに気づき、私たちは笑みを交わし合う。
ホームに降り、私たちは並んで改札に向かった。
梨都子には今朝も連絡を入れておいた。彼女からは、仕事が終わり次第店に行くとの返信があった。恐らく彼女は九時過ぎには姿を現すはずだが、それまではまだ時間がある。
「ご飯はリッコで食べようか」
「そうだね」
私たちは荷物を手にリッコに向かった。何度か拓真が荷物を持つと申し出てくれたが、たいして重くもないからと断りながら歩いた。
店に着いてドアを開けると、池上の声に出迎えられた。
彼は私たちを見た途端、驚いたように目を瞬かせた。
「梨都子から、碧ちゃんが誰かと一緒に行くって話を聞いてたけど、その誰かっていうのは拓真君のことだったのか。そう言えば、同じ会社だって言ってたもんな」
納得したように頷いてから、池上は私たちの手元を見て首を傾げた。
「あれ?二人で出張にでも行ってたの?」
拓真が笑いながら答える。
「そうなんです。ただの旅行だったら良かったんですけどね」
「ははは、それはお疲れ様。荷物はこっちに置いておこうか?ほら、碧ちゃんのも貸して」
「ありがとうございます。お願いします」
池上は私たちの荷物を受け取ってから、拓真に苦笑を向けた。
「拓真君さぁ、一緒だったなら女の子の荷物くらい持ってやりなよ」
拓真が恨めしそうに私を見た。
「ほら、碧ちゃん。やっぱり俺が怒られた」
「だって、拓真君だって荷物持ってるし、そんなに重くもなかったし……」
「んんっ?」
私と拓真を交互に見て、不思議そうな顔をする。
「今の二人の名前呼びは、何なの?いつの間にそんなに仲良くなったんだ?この前来た時はそんな感じじゃなかったよな」
拓真は私の顔をちらと見てから答える。
「それはですね……。実は俺たち、学生時代、付き合ってたんです」
「えっ?それで、またつき合い出したってこと?」
拓真は確かめるような言い方で私に訊ねる。
「そういうことでいいのかな」
「なんだか曖昧な言い方だな」
池上は、ふむ、と考えるような目をしている。
私は彼に訊ねた。
「梨都子さんから、もう聞いていますか?私が泊めてほしいって言ってるってこと」
「泊める話?いや、まだ聞いてなかったけど……。なんかあったの?」
「えぇ、まぁ……。詳しい事情は梨都子さんが来たら話そうと思ってて。その時、改めて池上さんにもお願いしたいなって思ってるんですけど」
「何か困ったことでも起きたのか?分かった、その話は後で聞かせてもらおう。それならテーブル席の方が落ち着くかな。今日はこの通り混んでいないから、好きな場所に座って。ところで二人とも、晩飯は食べてきたのか?」
「いえ、まだです」
「腹減ってます」
「それじゃあ、適当になんか出そうか。ちょっと待ってて」
言いおいて、池上はカウンターの奥に入っていった。
拓真は私を促し窓際のテーブル席へと足を向ける。わざわざ椅子を引いて私を先に座らせてから、当然のようにすぐ隣の席に腰を下ろした。
新幹線の中でずっとくっついて手をつなぎ合っていたくせに、いや、余韻なのか、彼と肩が軽く触れ合っただけでどきどきする。
そわそわと落ち着かなげな様子を見せる私に、拓真は不思議そうに訊ねる。
「どうかした?」
「ね、もう少し離れてくれないかな」
「なんで?」
「だって、狭いから……」
拓真はにっと笑ってテーブルに肘をつき、私の顔をのぞき込んだ。
「近すぎて嫌?夕べは一緒にくっついて寝たっていうのに。新幹線の中でだってずっと……」
私の反応を面白がっているのが分かる。恥ずかしくなって私はぷいっと顔を背けた。
「だから、緊張するのよ」
「今さらなのにな」
拓真は苦笑しながら椅子の位置をずらした。しかしよく見れば、たいして離れたわけではない。
「拓真君、もうちょっとそっちに……」
「これくらいで我慢して?」
「もう……」
拓真の笑顔に、これ以上離れてもらうことを諦める。これ以上鼓動がうるさくなるのは困るわとため息をついたところに、池上が料理を運んできた。
「さっき聞き忘れたけど、飲み物はどうする?」
私は迷わずウーロン茶を注文した。この後に梨都子へのお願いが控えているし、お酒を飲みたいような気分でもない。
「俺もウーロン茶で」
「拓真君は飲んでもいいのよ」
「今日はそんな場合じゃないでしょ」
「別に少しくらい……」
「気にしなくていいって」
「でも……」
私たちの会話に笑いを含んだ池上の声が割り込んでくる。
「それで?どうするのかな?」
はっとして見上げた池上はにやにやしていた。
「仲いいねぇ」
「ふ、普通ですよ、普通。とにかく、飲み物はそれでお願いします」
照れ隠しに早口で言う私に、池上は愉快そうに笑った。
「オッケー。二人仲良くウーロン茶ね」
戻って行く池上の背中を見ながら苦笑する。
「からかわれちゃった」
「あはは。仲のいい恋人同士だって思ってくれたかな」
「それはそれで、なんだか恥ずかしいなぁ」
「そう?傍からもそう見えてるんだって思うと、俺は嬉しいけどね。さ、冷めないうちに頂こうか」
拓真は笑いながら、カトラリーを手に取って料理を小皿に手早く取り分ける。
「はい、どうぞ」
目の前に置かれた料理にはっとする。
「ご、ごめんなさい。気が利かなくて……」
「これくらいのこと、なんてことないよ。ほら、あったかいうちに食べよう」
「うん」
拓真の傍で大口を開けるのは恥ずかしいと思う。しかし、空腹を感じていた私はパスタをぱくりと口に入れる。見た目もそうだったが、味も懐かしさを感じるようなナポリタンスパゲッティだ。
「おいしい」
しみじみと言う私を拓真はにこにこしながら見ていた。
「あとでデザートも頼もうか」
「うん、いいね」
拓真とこんな風に他愛のない会話をしていると、今自分が置かれている状況をふと忘れそうになる。気づいた時にはこの問題が自然に解決されていればいいのにと、現実逃避に走りそうになる。
私の表情の陰りに気づき、拓真は眉根を寄せる。
「碧ちゃん、大丈夫?」
彼の心配を払うように私は急いで明るい笑顔を作る。
「なんでもないよ。あ、このサラダも美味しいね。アスパラガスと生ハムなのね。自分でも作れるかしら。ね、拓真君、ローストビーフかスペアリブも食べない?」
拓真が苦笑する。
「そんなに食べられるの?」
「大丈夫だよ。だって、拓真君も食べるでしょ?後で梨都子さんも来るし」
「それなら追加しようか。あ、その前に、碧ちゃん。ソースがついてる」
「え、どこ?」
私が自分の指を伸ばすより早く、拓真の指が私の口元に伸びる。
そっと撫でられてどきりとした。
「ん、綺麗になった」
動揺する私の前で、彼はソースを拭い取った指先をなめる。
「き、綺麗になったって、言ってくれれば自分でやれたよ……。そ、それに、そんなのわざわざ舐めなくても……」
拓真はにっと笑う。
「だって味見したかったから」
「あ、味見って……。まだたくさんあるんだから、こっちを食べればいいでしょ」
恥ずかしくなった私は拓真から目をそらした。次のスパゲッティを口に入れるために、黙々とフォークを動かす。
「ごめんごめん。なんだか碧ちゃんに触れ足りなくて、つい。そんなに怒らないでよ」
「べ、別に怒ってるわけじゃないから」
「本当に?」
「本当だってば」
傍からは、恋人同士がいちゃついているように見えたかもしれない。それを照れ臭く思いながらサラダを口に入れた時、ドアベルの音が聞こえた。