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#和風
雷神の刺客を退けてから数日
江戸を襲っていた異常な日照りは
瑞樹さんが奪われた神気の一部を取り戻したことで、ようやくひと段落していた。
けれど、八百万堂に流れる空気は、どこか以前とは違っていた。
「……瑞樹さん、お茶を淹れましたよ」
縁側に座る背中に声をかける。
瑞樹さんは、取り戻した「青い宝玉」を慈しむように見つめていた。
その横顔は、雨上がりの空のように澄んでいて、けれどどこか遠い。
「ありがとう、さよ」
彼が振り返り、茶碗を受け取ろうとしたその瞬間。
指先が触れ、小さな静電気のような衝撃が走った。
(……温かいな。このまま、この穏やかな時間が続けばいいのに……)
「え……?」
私は思わず息を呑んだ。
瑞樹さんの唇は動いていない。
なのに、彼の声が、水が岩を穿つような静かな響きで、私の頭の中に直接流れ込んできたのだ。
「どうした、さよ。顔が赤いぞ」
「い、いえ!なんでもありません!」
慌てて手を引く。
物の声を聞く私の耳が、ついに「人の心」まで拾い始めてしまったのだろうか。
それとも、瑞樹さんが人ではないからこそ、響いてしまったのか。
その日の午後
私は店番をしながら棚に並ぶ古道具たちの声を聞いていた。
「お小夜ちゃん、最近耳が良くなりすぎじゃないかい?」
長年愛用されている『古びた櫛』が、心配そうに囁く。
「物の想いだけじゃなく、持ち主の残り香まで色濃く聞こえるようになってる……あんまり深入りしちゃいけないよ、心っていうのは、道具よりもずっと複雑なんだから」
わかっている。
でも、一度聞こえてしまったものは、もう無視できない。
◆◇◆◇
夕暮れ時
茜色の空が、瑞樹さんの瞳を琥珀色に染め上げていた。
彼は立ち上がり、空を見上げて独り言をつぶやく。
「雨の匂いが変わったな。……江戸の八百万の神々が、俺を呼び始めている気がする」
その時、また聞こえた。
彼の深い、深い場所から湧き上がるような無自覚な独白。
(……だが、それよりも。なぜだろうな。理屈ではなく、魂が叫んでいるようだ)
(この娘を。さよを、何があっても守らねばならない気がする……と)
「……っ」
胸が、大きく跳ねた。
それは慈悲や義務感ではない。
もっと古く、もっと重い
何千年も積み重ねられたような切実な祈りに似た響き。
(……かつて、守れなかった。今度こそは、たとえこの身が枯れ果てても…)
瑞樹さんは、自分がそんなことを考えているとは微塵も思っていない様子で
「さよ?どうした、そんなに震えて」と、心配そうに私の頬に手を伸ばした。
ひんやりとした指先が触れる。
でも、聞こえてくる心音は、火照るように熱い。
「瑞樹さん、あの、私……」
「ん?」
「……なんでも、ありません。ただ、瑞樹さんの雨が、すごく優しい音がした気がして」
私は俯き、動揺を隠すのが精一杯だった。
「守らなければならない」という彼の想い。
それは、単なる用心棒としての言葉なのか。
それとも、過去に私と彼の「何らかの繋がり」があるのか。
物の声は真実を語る。
けれど、聞こえすぎてしまう心は、時としてどんな怪異よりも残酷に、私の胸を締め付ける。
「お前は不思議な娘だ。俺の力を、ただの『雨』だと言って笑ってくれる」
瑞樹さんは優しく目を細め、私の髪を一房、指で弄んだ。
その無垢な微笑みの裏側で、彼の魂が泣きながら私を求めている。
その「心の声」を知ってしまった私は
もう、ただの居候として彼を見ることはできなかった。