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線上のウルフィエナ

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第十四章 シンギュラー・ポイント

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3

2023年11月11日

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ウイル・ヴィエン。十六歳の若き傭兵の名だ。偽名ではあるが、家族とは縁を切ったことから本名を名乗ることは許されない。

 十二歳で全てを手放すも、引き換えにかけがえのない日常を手にすることが出来た。

 まさに宝物だ。

 魔物退治という生き方も。

 自由奔放な毎日も。

 そして、エルディア・リンゼーという相棒も。

 そのどれもが、貴族でいる内は手に入らないものばかりだ。

 代償として暖かな寝床と美味な食事、帰るべき我が家を失ってしまったが、そうであろうと後悔だけはしない。そうすることを選んだのは紛れもなく自身なのだから、その足は迷うことなく前へ進める。

 一歩を踏み出したその瞬間だった。左頬に鈍痛が走り、前進は一時中断を余儀なくされる。

 顔面を殴られた。

 その一撃は想像以上に速く、ズシリと重い。

 だからこそ、避けられなかった。先ほどとは別人のような身体能力だ。

 眼前には、当然ながら対戦相手。仕返しの拳を打ち込むことに成功し、鼻息荒く喜んでいる。

 しかし、そんな表情は一瞬だけだ。

 殴った者と殴られた者が、それぞれの感想を抱き始める。


(ぶっ飛ばせない⁉)

(イタタ……。確かに、以前とは別人のようなスピード)


 魔眼の秘めたる力を解放し、一回り上の実力を宿したエルディア。

 前回の敗北をバネに、己の壁を乗り越えたウイル。

 その第二ラウンドは彼女の右手がゴングを鳴らした。

 そのはずだが、戦況は傾かない。

 少年の想定を上回る速度で全身を稼働させ、殴りかかることに成功するも、魔女は引きつった笑みを浮かべる。


「手は抜いてないんだけどなー……」


 嘘偽りのない発言だ。真の全力には程遠いが、この打撃に手心を加えておらず、彼女としては殴り飛ばせる算段だった。


「痛いですよ。でも、踏ん張れなくはないです」


 当然ながら、顔面を殴られたのだからウイルは痛みを感じている。それでも、わずかに仰け反るだけで済んでいる理由は、この少年がそれほどに頑丈だからだ。

 四方を森に囲まれた、本来ならば静かなはずの原野で、腕試しを始めてしまった傭兵と魔女。

 頭上の空は青さを失いつつあるが、陽が沈むにはもう少しかかるだろう。

 観客達が見守る中、二人は戦闘を継続する。彼らにとっては日常の延長でしかないのだから、どちらかが満足するまで終わることはない。


「んでもスピードだけなら追いついたかも!」


 そのはずだ。エルディアの拳がウイルに届いたことから、天秤は釣り合おうとしている。

 ならば怯むにはまだ早い。右腕を引き戻し、その反動で左腕を突き出す。一撃でだめなら二発目を打ち込むのみ。エルディアが導き出した結論だ。

 彼女の打撃が痛いと気づかされたのだから、ウイルは防御の姿勢へ移行する。両腕で顔や胸部を覆えば、痛打だけは回避出来る算段だ。


「僕もそういうパワーアップが欲しいです!」


 サンドバッグのように殴られながら、少年は訴えるように叫ぶ。

 子供なら、誰もが魔眼第二形態のような急成長に憧れてしまう。もっとも、大人であろうと変わりないはずだ。

 戦技や魔法の中にも、身体能力をグンと高めるものが存在する。

 強化系が習得する脚力向上。

 技能系の明鏡止水。

 それらは発動させるだけで、使用者を別人のように強くしてくれる。時間制限等の縛りは存在するものの、使い勝手はすこぶる優秀だ。

 残念ながら、ウイルはそういったものを何一つ身につけてはいない。天技の習得と引き換えに、新たな戦技や魔法を手放すことになったためだが、己の意志ではどうすることも出来ないため、羨望のまなざしで対戦相手を見つめてしまう。


「なくても! すごいじゃん! とりゃりゃりゃあー!」


 エルディアの両腕は休むことなく、拳を打ち付け続ける。そのついでに口も動かすが、その感想は紛れもない本心だ。


「それはどうも!」


 鳴り止まぬ打撃音。繰り返し響く騒音を食い破るようにウイルは礼を述べるが、殴られ続けるつもりはない。豪雨のように拳が降り注ぐ中、この少年は反撃の糸口をあっさりと見つけてみせる。

 えぐるように右腕が迫った瞬間だった。身長差を利用するようにその下を潜り抜け、勢いそのままに体当たりを命中させる。

 その結果、エルディアは押し倒され、ウイルは覆いかぶさるように彼女の太もも付近で馬乗りを成立させる。


「つぅ、頭打ったー。やるじゃん」

「エルさんこそ。いやはや、なかなかの連打でした。おかげで腕が痺れてますもん」


 地面で後頭部を殴打した彼女だが、その表情はどこか嬉しそうだ。

 一方、少年は仕返しとばかりに見下ろすも、発言通り、盾代わりだった両腕はジンジンと痛む。

 何はともあれ、形勢逆転だ。

 ウイルは馬乗りを維持したまま、反撃を開始する。拳を握りしめ、右腕を突き上げた理由は、眼下の美しい顔に一撃を叩きこむためだ。

 もしも当たるようならば、鼻骨が折れるばかりか顔そのものが陥没してしまうかもしれない。そうであろうと今の二人に手加減など出来るはずもなく、その証拠に握り拳はやる気に満ち溢れている。


「お、おお、こわい……」

「いきます」


 怯むエルディアをよそに、ウイルは闘志を隠そうともせず、溜め込んだ力を振り下ろす。

 命に係わる痛打ゆえ、彼女もそれを受けるわけにはいかない。慌てふためきながらも首から上を左へずらすことで、寸でのタイミングではあったが避けてみせる。長い髪がわずかに巻き込まれたが、気にしている場合ではない。

 ドシンと響いた爆音は、少年の右腕が大地に突き刺さったことで生じた。空振りに終わったのだから、行き場を失った破壊力が八つ当たりに興じたとしても仕方ない。

 腕を引き抜きながらウイルが対戦相手を見つめると、その顔はしたり顔を浮かべており、劣勢を覆せてはいないのだがどこか満足気だ。


「ギリギリセーフ。相変わらず容赦ないねー。命がいくつあっても足りないよー」

「ハナから侮ってなんかいませんが、第二形態ってやつは伊達じゃないようで……。だけど」


 攻撃の手は緩めない。顔面への攻撃が外れたのだから、ためらうことなく方向転換だ。

 言い終えるや否や、視線を顔から腹部へずらす。セーターのような黒いニットは防具ではないのだから、そこは無防備と言えよう。

 傭兵は愚直に拳を打ち込み始める。

 判断の早さが彼女を驚かせるも、呆けている場合ではない。先ほど痛めた部位への追い打ちなど許容出来るはずもなく、慌てながらも両腕で壁を作り対応する。

 ドシン、ドシンと重低音が続く理由は、打撃が一呼吸おきに繰り出されるためだ。一打一打、しっかりと力を籠めることを重視しており、常軌を逸した破壊力がエルディアを確実に追い込む。


「い! た! い!」


 屈強な彼女をもってしても、叫ばずにはいられない。腹ではなく、そこを守る両腕が殴られているのだが、それでも耐え難い痛みだ。

 ウイルの殴打がいかに破壊的かを裏付けるように、大地が彼女ごしにミシミシとくぼんでいく。その結果、二人はわずかに沈むも、そんなことは些末な問題だ。


「死! ん! じゃ! う!」

「おお! げさ! な!」


 どちらの主張が正しいのか、それは二人にもわからない。

 殴られ続ける魔女と、右手をリズム良く打ち込む傭兵。立ち位置は対極ながら、どちらも全力だ。

 倒すか、倒されるか。

 勝つか、負けるか。

 それらを競っている以上、両者は譲るつもりなどない。

 ゆえに、エルディアは奥の手を披露する。出し惜しみはもはや厳禁だ。それほどまでに、追い詰められてしまった以上、苦悶の表情を浮かべながら、その両眼を青く光らせる。


「どうだ!」

「う⁉ これは、まさか……」


 それを合図に、ウイルは攻撃の手を止めてしまう。自身に起きた変化を、受け入れることが最優先だからだ。


「私の魔眼! ドーンブルー!」

(な、なにぃー⁉)


 こうなってしまっては、抗うことなど出来ない。少年は柔らかな太ももの上から飛び跳ね、その後もじわりじわりと後ずさる。


「反則だと、思います。いや、ほんとに……」


 ウイルとしても愚痴らずにはいられない。同時にくいっと臀部を突き出し、腰を折り曲げる理由は男ゆえのさがだ。


「おぉ、ウイル君にもきくんだぁ」

「あ、当たり前です。僕を何だと思ってるんですか……。あのう、そろそろ止めてもらってもいいですか?」


 ドーンブルー。エルディアの魔眼がもたらす特殊能力。効果は男性を強制的に発情させるものゆえ、本来ならば戦闘に役立つことはないのだが、それが殺し合いでなければ、そして男側が馬乗りならば、効果は絶大だ。


「ごめんごめん。いやー、自分の魔眼ながら、恐ろしい」


 立ち上がり、ケラケラ笑う魔女に悪気は感じられない。それを裏付けるように、瞳の発光現象が鎮まる。


(エルさんの魔眼、しょうもない能力だと思ってたけど、いざ使われると想像以上にやばいなぁ。心の持ちようでどうにかなりそうだけど……。というか、さっさと鎮まって、お願いだから……)


 このままでは戦闘など不可能だ。

 そうでなくとも、エルディアのふくよかな胸や太い脚を日常的に眺めていたのだから、そういう意味でも以前から劣情を抱いていた。ドーンブルーによって背中を押されようものなら、興奮度合いは当然のように最高潮だ。


「でも、あれだねー。使う相手がいなかったら、なんかその……、癖になっちゃうゼ」

「勘弁してください。いたいけな男の子を弄ばないでください」

「びかー」

「うわっ! ちょっ⁉ 使わないでって言ってるでしょうに!」


 いたずらっぽく笑いながら、魔女が両眼を再度青く光らせる。

 呼応するように傭兵の腰も曲がってしまうが、その反応は彼女にとって最上級の幸せだ。


「ねーねー、そのポーズって何ー?」

「いや、わかってて訊いてるでしょ。くぅ、とんでもない魔眼……」


 二人の間に緊張感など見当たらない。エルディアの行為はある意味で暴力かもしれないが、傷つくのは少年の羞恥心だけゆえ、雰囲気だけなら朗らかだ。


「ウイル君が私のおっぱいや太ももを盗み見てたら、こうやって反撃すればいいのか……なるほど」

「なるほど、じゃないです。み、見てませんし、仮にそうであってもほっといてください」

「しっかしあれだ。ウイル君のあれ、こっそり見たことあるけど、そんなにしないといけないくらいには大きくなるんだねー。膨張率がすごいってことなのかな? 不思議! あれ、どうしたの? 急に倒れちゃって」


 もはやギブアップと叫びたいほどの傷心具合だ。長年連れ添ってきたのだから、水浴びの最中に見られてしまう機会もあっただろうが、問題はそこではない。

 遠まわしに小さいと指摘された以上、男としてのアイデンティティーが脆くも崩壊する。


「そういうことは思っても口にしなくていいんです……」

「そかー。男の子には色々あるんだねー」

「エルさんだって、足太すぎてキモイとか言われたらショックでしょ……」

「う……、そういう、ことか」


 ウイルに続き、エルディアもよろめきながら倒れ込む。互いの発言が相手の傷をえぐったがゆえの必然だ。


「さて、アホなことしてないで、仕切り直しましょう」

「そだねー。私も準備は万端だゼ」


 今更取り繕う必要もなく、両者はむくりと立ち上がると手足の土汚れを振り払うことから始める。

 じゃれ合うような対談もそれはそれで楽しめるが、二人の欲求はそれだけでは満たされない。この時間は磨いた腕を披露する場であり、それをわかっているからこそ、彼らは見つめ合うように歩み寄る。


「エルさんとしては、ここらで力比べとかをご所望だったり?」

「お、いいねー。やっぱ傭兵だったらそうでなくちゃ。あ、私はもう魔女だった!」

「そんなの関係ないと思いますけど。んじゃ……」


 十分近づいたタイミングで立ち止まり、ウイルは両腕を万歳するように持ち上げる。

 それを合図に、エルディアが左右の手のひらを眼前のそれらにそっと合わせれば準備は完了、ニ十本の指がすっと絡まり合う。

 こうなってしまえば、言葉など不要だ。どちらの力が上か、白黒つけるために全身の筋肉を稼働させて相手を押し込まねばならない。


「ぐぐぐ……!」

「うーおー!」


 小さな少年が押し上げ、長身の女性が抑え込む。

 前へ一歩踏み出せた方の勝利なのだが、両者はその場から微動だにしない。筋力が拮抗してるがゆえの膠着状態であり、どちらも譲るつもりがない以上、プルプルと震えながら時間だけが過ぎ去っていく。

 その様子を、三人の観客達は静かに眺める。遠方の彼女らは客観的にこの戦いを眺めることが可能ゆえ、その内の一人は笑みを浮かべずにはいられなかった。


「里長、やっぱりエルディア様で決まりですね!」


 勝ち誇る魔女の名はサンドラ。エルディアよりも年上ながら、彼女のことは長の娘であることを差し引いても尊敬しており、だからこそ、自分のことのように喜んでいる。

 普段は男勝りな口調だが、ハバネやエルディアの前では礼儀正しい。それでも返事も待たずに鼻息荒く持論を述べずにはいられない。


「第二をわずかに発動させてこれですよ! 今は五分五分っぽいですが、もう少しだけ解放すれば絶対勝利! いや~、さすがだなぁ」


 彼女の魔眼には現状がそう見えている。その憶測はほとんど正しいのだが、戦闘中の娘を眺めながら、母親は表情を変えずに訂正する。


「互角という点は否定しないけど、残念ながら私もあなたも間違っていたようね」

「え、それはどういう……」


 ハバネ・リンゼー。この地の遥か西に隠れ住んでいる魔女達の長であり、長い茶髪はふわりとウェーブしている。全身を赤い衣服でコーディネートしており、本来ならば派手な服装だが落ち着きを払うことで中和している。


「あの子、第二形態を既に限界まで引き出しているの。それで互角なのよ、あの小さな傭兵さんは……。正直、ここまでとは思っていなかった。耳にタコができるくらい話は聞かされていたけど、それでもこれは……」


 想像以上だ。ロングスカートの中で右足を半歩踏み出しつつ、女は戦場を凝視する。


「おにいちゃん、かってる?」


 小さな声の発生源はパオラだ。魔女二人に挟まれるような位置取りをしており、ここまでウイル達の攻防を眺めるも理解には至っていない。


「うーん、同じくらいかしら? お兄ちゃんもすごいんだけど、お姉ちゃんもすごいから」

「そうなんだ」


 年長者として、なにより今だけは保護者として、ハバネが予想を交えて答えるも、この先の展開まではわかるはずもなく、現状の優劣を伝えることがやっとだ。

 一方、黄色い短髪をかきむしながら、サンドラは表情をこわばらせる。


「第二を目一杯使ってるなんて……。そんなの! あ、あるんですか……? だって、エルディア様って里長の次に強いくらいの天才なんですよ⁉ あんな子供が食い下がれるなんて……」

「落ち着きなさい。娘が天才かどうかはさておき、第二形態に至った数少ない魔女であることは間違いない。だけど、そのこととウイル君の強さに因果関係なんてない。そこは切り離して考えなさい。そして、導き出される答えは一つ」

「それは、いったい?」

「王国の傭兵は、一部だと思いたいけれど、私達に匹敵する実力を持ち合わせている。あそこで戦っているウイル君もその内の一人。覆せない事実として、先ずはそれを受け入れましょう」


 彼女らにとって、イダンリネア王国は味方ではない。無干渉を決め込んでいようと、いつ攻め込んでくるかわからない相手ゆえ、むしろ警戒が必要なほどだ。地理的には限りなく離れていることから巨人族ほど脅威ではないものの、ハバネ達の選択肢に王国への歩み寄りだけは提示されない。


「わ、わかりました。あ、もしかして……、あの傭兵って超越者だったりしますか?」


 むき出しの太ももで手汗を拭いながら、サンドラがパッとわいた疑問を口にするも、年長者はどこまでも冷静だ。


「超越者なんて、単なるものさしでしかないの。それでいて、ここまで強くなれたら、という定義付けさえされていない曖昧なもの。少なくとも、私は超越者と呼ばれる人と出会えたことがないわ。そもそも、私自身が当てはまるかどうかも定かじゃない。だから、そんな単語に意味なんて、ない。私はそう思って生きてきたわ」

「確かに……、そうっすね。あ、そうですね」


 そして沈黙が訪れるも、その少女にとっては馴染みのある言葉ゆえ、反応せずにはいられなかった。


「おにいちゃん、ゆってた。わたし、ちょうえちゅしゃだって」

「は? おいおい、そんなわけあるかって。こんなガリガリな癖に……。ですよねー、里長」


 パオラの発言が隣の魔女を呆れさせる。病弱で非力で今にも死にそうな少女とは真逆の意味を成すのが超越者であり、サンドラとしても困り顔で年長者に視線を向けてしまう。


「お兄ちゃんって、あそこで戦ってるお兄ちゃんよね?」

「うん」

「何を根拠に超越者って?」

「……こんきょってなに?」

「あー、理由ってところかな。お兄ちゃんはどうしてあなたのことを超越者だと言い当てたの?」


 ハバネとしても信じがたい。それでも、部下とは異なり当人に尋ねることから始める。


「いきてるから。あと、おかあさんがわたしをうんでしんじゃったから……。おにいちゃん、そうゆってた」

「そう……。サンドラ、意味わかった?」

「いえ……。なあなあ、生きるなんてそんなの当たり前のことで超越者ってどういうこと? もう少し、わかるように教えてくれって」


 パオラの説明は不十分だ。しかし、それ以上を求めても無駄に終わる。この少女自身が何も理解出来ていないのだから、自分達だけで予想するか、遠くでじゃれ合う二人に教えを乞うしかない。


「わかんない……」


 そうつぶやき、パオラはゆっくりと俯く。事実そうなのだから、答えようがなかった。


「ウイル君が言うには、この子は虐待を受けていた。ん~……、それでもこうして生き長らえていられるからこそ、超越者ってことなのかしら? だとしたら、私達は本物と出会えたのかもしれないわね」

「えぇ⁉ 里長も信じちゃうんですか? こんな骨しかないようなガキなのに?」

「逆に考えるの。普通、ここまで痩せこけてて生きていられる? 本当ならその前に死んでしまうわ。病気なのか、飢えなのか、そこまではわからないけど」

「あ、言われてみれば、確かに。そう……ですよね、いくらなんでも痩せすぎ、てる……。こんなのありえない。うん、ありえないんだ……。うわ、ほんと骨を触ってるような感触……。なぁ、腹減ってないの?」

「いまはだいじょぶ」


 決めつけているだけかもしれないが、魔女達はパオラのことを超越者だと納得する。そう区分することに意味などないが、ミイラのような姿でありながら生き長らえていることに説明はついた。


「あ、だったら、この子を里に連れてっちゃうってのはありなんですか? いや、戦力になるかもだし……」


 サンドラの提案は合理的だ。

 超越者という事実が本当なら、パオラは超常的な実力者に至る可能性がある。少数精鋭の魔女にとって、喉から手が出るほどの逸材ゆえ、スカウトせずにはいられない。

 だが、その案は却下される。


「もし、そんなことをすれば、娘と戦ってるウイル君に何をされるか。最悪、半殺しにされてしまうかも」

「はは、里長の敵じゃないですって。ましてや、エルディア様にだって勝てるかどうか……」

「さっきも言ったでしょう。思い込みで物事を見ないようにって。ほら、戦況が動き出すわ」


 物騒なやり取りを他所に、視線の先では力比べが終わろうとしている。

 ウイルとエルディア。

 傭兵と魔女。

 二人は身長差を無視して互いを押し合っていたのだが、優劣と背丈は比例しないことが証明される。

 押し潰そうとするも、逆に仰け反り始める敗者。

 一方、ウイルは両腕を完全に伸ばしきり、万歳のような構えへ移行し終える。


「これでぇ!」

「ぬおー、なんてパワー! 私が押されてる!」


 拮抗状態が崩れた以上、戦闘は次のステージへ移行しなければならない。

 ウイルはもはや踏ん張る必要のない右足で、眼下の胴体を突き放つように蹴飛ばす。

 エルディアの体は伸び切っており、踏ん張ることなど不可能だ。成す術なく後方へ吹き飛ぶも、傭兵の追撃は止まらない。

 即座に追い付き、彼女の右脇腹に回し蹴りを食い込ませれば、その長身は軌道を変えて大砲玉のようにどこまでも飛んでいく。


「まだだ!」


 もはや一方的だ。対戦相手はかつての相棒だが、少年は手心を加えない。

 ウイルは追い抜く勢いでエルディアに到達すると、地面と挟み込むようにかかと落としで撃墜する。

 ドスンと地鳴りが響く中、蹴られた方は苦悶の表情と共に体内の空気を吐き出すことしか出来ない。


「がっ⁉」


 その瞬間、少年は過ちを犯す。

 苦しそうな顔がそうさせたのか、悲痛な声に勘違いしたのか。どちらにせよ、さらなる追撃が必要か、緩めるべきか、一瞬だが迷ってしまった。

 この模擬戦において、そのような遅延はただただ悪手だ。

 それを裏付けるように、ウイルは自身の足に違和感を覚える。

 仰向けのまま地に伏せるエルディア。そんな彼女の右手が細い足首を掴んでおり、それが何を意味するのか、悟った時点で手遅れだ。

 少年の体が数十センチほど浮かび上がると、即座に大地へ叩きつけられる。元傭兵の右腕が、逸脱した腕力だけでウイルの破壊を開始した瞬間だ。


「うぐ!」

「仕返しの時間だよー」


 立場が逆転したことは、誰の目から見ても明らかだ。

 受け身すらとれず、地面に打ち付けられた少年。

 右手はその足を掴んだまま、この隙に難なく立ち上がった魔女。

 ゆえに、反撃はまだまだ継続する。

 ドガン、ドギャンと爆音を響かせながら、エルディアは自身を支点としつつ挑戦者を前後左右へ叩きつける。

 持ち上げ、投げるように大地へ。

 再度持ち上げ、潰すように地面へ。

 もはや戦闘というよりは殺戮だ。それでも攻撃の手を緩めない理由は、そうしなければ勝てないからだ。

 せっかくの好機を見逃せば、勝率は低下してしまう。それをわかっているからこそ、残虐な行為かもしれないが、その悲鳴に耳を傾けない。

 それどころか、エルディアは満面の笑みを浮かべている。

 楽しくて仕方がない。そう思える理由は戦っている相手がこの程度では壊れないことを知っているからだ。

 二人にとっては、じゃれ合っているに他ならない。少々行き過ぎた暴力ではあるが、今は戦いの最中ゆえ、互いが互いを認め合っているからこそ、手加減こそが無礼だ。

 そういった心情と事情は他者には理解出来るはずもなく、それゆえに、事態は魔女達にとって最悪の方向へ揺れ動いてしまう。


「あ、さ、里長! やばいです!」

「そのようね。残念ながら、賭けは私達の負けだわ」


 サンドラが戸惑い、ハバネが眉をひそめる理由は、この地に別の勢力が現れてしまったためだ。

 焦茶色の軍服をまとった集団。人数だけを見れば六人ゆえにそれほど多くはないのだが、それでもたった三人の彼女らにとっては脅威となりうる物量と言えよう。

 彼らはズボンだけが軍服であり、上半身側は灰色の軽鎧を身に着けている。それに加えて各々の得意とする武器を携えているのだから、ここへは散歩の類で訪れたわけではない。


「隊長、あれは……いったい……」


 紅一点の軍人が、目を細めながら前方を睨む。騒音に引き寄せられ、木々を避けながらここに足を運ぶも、その光景は理解の範疇を越えていた。今はただ、口ごもりながらその男の顔色を窺うことしか出来ない。


「ウイル君と……、もしや魔女か?」


 盛られた茶髪の持ち主は、ガダム・アルエ。ジレット監視哨に常駐している第三先制部隊の最大戦力であり、直感を信じてパトロールに向かうも、その結果がこれだ。

 わけありの傭兵が、魔女に殺されかけている。悔しさのあまりバットを叩きつけるように、もしくは癇癪を起した子供が八つ当たりするように、長身の女がウイルを何度も地面に打ち付けている。

 もちろん、事実とは異なる解釈だ。二人は普段通りに腕を競っているだけであり、殺意の類は持ち合わせてはいない。本気ゆえに、そういった黒い意思が多少なりとも混ざってはしまうが、負けたくないというやる気の裏返しに他ならない。

 とは言え、ここに至る過程を知らぬ者達からすれば、眼前のそれは目を背けたくなるような光景だ。

 助けなければならない。彼らは当然のようにそう考えるも、反射的に動こうとはしなかった。

 軍人らしく身勝手な行動を慎んでおり、なにより、この状況では迂闊な行動は危険だと察している。

 ウイルはただの傭兵ではない。隊長すらも上回る、希少な実力者だ。小さな体にそのような力が秘められているとは到底思えないが、実証は既に済まされており、それゆえに疑う者はここにはいない。

 だからこそ、飛び出すことなど不可能だ。魔女の力量は未知数だが、少なくとも自分達の敵う相手ではない。数で攻めれば話は変わるだろうが、その結果、その程度の被害を被るかは想像すらも困難だ。


「パオラが人質に取られているのか? だとしたら、迂闊に動けないぞ……」


 ガダムの早とちりでしかないのだが、そう結論付けてしまうのも無理はない。

 傭兵がいたぶられる様子を眺めながら、死体のような少女を手元に置く、二人の魔女。ウイルとエルディアの関係性を知らぬ者には、そのように見えて当然だ。

 ゆえに、駆け付けたものの、状況としては詰んでいる。。

 傭兵を救おうとすれば、パオラが殺されてしまうかもしれない。

 先にパオラを救出しに行こうとしても、大人しく人質を解放するとは思えない。

 悔しいが、現状把握に努めるのが彼らの限界だ。それ以上の行動は、誰かの命を奪いかねない。

 一方、観客が増えたことに気づかぬウイルだったが、今すべきことは別にある。このままでは負けてしまうため、意識が途切れるよりも先に脱出を図ることから始める。

 数え切れないほど大地に叩きつけられ、体はもはや限界だ。激痛の正体は、骨折か、はたまた内臓が損傷したのか、もしくは両方か。知る術はないが、手足が動く以上、反撃の機会を作り出す。

 背中と地面の衝突によってドシンと騒音が鳴り響いた直後、エルディアの右腕がウイルをひょいと持ち上げるも、同時に彼女の顔が苦痛に歪む。少年のもう片方の足が、足首を掴むその腕を蹴り上げたからだ。

 その瞬間、傭兵は解放され自由を取り戻したばかりか、全身の痛みを一旦無視し、わずかに後退しながら瞬く間に起き上がってみせる。


「いたた……、意識が飛ぶかと思いました。さっすがエルさん」

「くぅ、やりきれなかったかー。こりゃあ、まいったね。でも、昂っちゃうゼ」

「そうですね、と言いたいところですが、僕はもうボロボロです。口の中は鉄の味しかしませんし、あっちこっちが生暖かいのは、きっと出血のせいなんでしょう」

「私だってお腹痛いよー。多分、何本か骨にヒビはいっちゃったかも……。はたしてどっちが追いつめられているのやらって感じ」


 どちらも五体満足とは言い難い。外傷だけならウイルの方が重症だが、頭部や上半身からの出血が大袈裟に見せており、その実、戦闘の継続に支障はない。


「ん、降参ですか? 僕はそれでも構いませんよ」

「まさかー。私は戦技すら使ってないんだよ? ほらほら、もっと本気出させてよ」

「確かに。そういうことでしたら……、ってあれ?」


 煽るような問答は一旦中断だ。ウイルが視界の端に異物のような集団を捉えた以上、無視するわけにはいかなかった。


「どしたのー? お、あの軍服は……、何だろう?」

「元軍人なのに、なんでそんなこともわからないんですか……。監視哨に派遣される先制部隊です。あ、知り合いみたいなものなので、ちょっと行ってきます」


 そう言い残し、傭兵は足早に彼らの元へ向かう。

 距離は離れていたが、駆け足ならあっという間だ。ウイルは驚いた様子で小さく頭を下げる。


「こんにちは。皆さんお揃いで、ってわけでもなさそうですが、パトロールですか?」


 気さくな挨拶が繰り出されるも、軍人達の反応は鈍い。当然だろう、魔女と思われる女に殺されかけていたはずだが、抜け出すと同時にこうして挨拶に出向いてくれたのだから、彼らとしてもただただ困惑だ。

 ゆえに、質問を質問で返してしまうも、今はその無礼を百も承知で隊長が問いかける。


「いったいどういう状況なんだ? 魔女と……、戦っていたようだったが……」

「はい。戦いと言っても模擬戦みたいなもので……。あ、魔女ではあるのですが、あの人は王国の傭兵で、今はわけあって魔女になっちゃっただけなんです。あっちの二人も魔女ですが、ここへは人探しもとい魔女探しで訪れたとかなんとか……」


 足早な状況説明だが、全て真実だ。そうであろうとなかろうと、六人の軍人達は目を丸くしながら耳を傾ける。


「皆さんもご存じだと思いますが、魔女は人間です。目がちょっと違うだけの、同じ人間です。だから、頼めばパオラを預かってもらえますし、決着がつくまでは見守っててもらえます。あ、僕が戦ってる相手とあっちのおばさ……、背が高い長髪のお姉さんは親子でして、こんなに遠いとわからないと思いますが、顔も似てますよ」


 不必要な情報もかなり混じってしまったが、それでも伝えるべき事柄は話し終えた。

 ゆえにウイルは満足げだが、軍人達は未だ首を傾げている。


「魔女が人間うんぬんはさておき、ウイル君はなぜあれと戦う? 模擬戦とはいったい……」


 ガダム達の最大の関心はそれだ。

 殺し合いならまだわかる。魔女は魔物であり、人間を襲うと教わってきたためだ。

 しかし、先ほどまで繰り広げられていた物騒な戦闘のお題目は、模擬戦。つまりは腕試しや練習試合がそれに該当する。

 意味がわからない。わかるはずがない。


「あの人……、って言い方もあれですね。名前はエルさんで、先ほども言いましたが、傭兵です。つい三か月前まで。いえ、今もそうですね。ですが、母親が魔女だったようで、わけあって三か月前に瞳が魔眼に変わってしまいました。エルさんと僕はずっと二人で活動していましたが、それを機に離れ離れになってしまって、でも、ついさっき偶然にも再会出来たから、こうして久しぶりに日課の手合わせを……」

「ちょ、ちょっと待て……」


 やはり嘘は何一つ言っていない。そうであろうと、その男が戸惑うのは必然であり、情報の整理を求めてしまう。


「あの魔女は……、王国の民だったのか?」

「はい。決して魔物ではありません。軍人さんは軍学校で色々教わったと思いますが、魔女に関してだけはデタラメを吹聴されたと断言出来ます」


 イダンリネア王国で暮らす人々にとって、魔女は魔物の一種だと誰もが知っている。常識であり、親から子へそう伝えられるのだから、疑いようがない。文献や絵本の類にも、そのように記載されている。

 しかし、真実は異なる。ウイルもそれまでは信じて疑わなかったが、白紙大典という摩訶不思議な古書との出会いが、凝り固まった思い込みを粉砕してくれた。

 魔女は人間だ。眼球の瞳孔部分に赤線の円が浮かび上がっており、外見的違いはせいぜいそれだけだ。

 たったそれだけのはずだが、王国は彼女らを魔物と仕立て上げ、建国以降、排除し続けてきた。


「なぜ、そう断言出来る? 俺達の使命の一つは、魔女の討伐なんだぞ」


 ガダムは悪びれもなく言ってのける。そう教わり、そう信じてきたのだから、遠方の三人も本来ならば討伐対象だ。


「僕はこの四年間で、あの人達以外の魔女に出会ってきました。髪の毛があまりに長くてトイレが大変そうな魔女。見るだけで相手の戦闘系統を見抜ける魔女。姉は魔女だけど自身は魔眼持ちじゃなくて、無実の罪で僕を殴っておきながら未だにそのことを謝罪しないチビ。そして、あそこであくびしてるエルさん。みんな、普通に人間なんです。ここにはいませんが、残念ながら王国を敵視してる派閥もあるようですが、それはまぁ、お互い様なんだと思います。そういう歴史を歩んできましたし……」


 ウイルの演説が、周囲に沈黙をもたらす。軍人達を黙らせるには十分な重みがあり、反論はおろか口を挟むことさえ困難だ。

 そんな中、隊長はゆっくりと言葉を絞り出す。


「今は、君の話を信じよう。もちろん、全てとはいかんが……。少なくとも、戦いの邪魔はしない。ここで眺めていよう」

「はい。そうして頂けると助かります。その後のことは……、う~ん、どうするのかな? 僕もわかっていないのでエルさんをぶっ飛ばしてから話し合います」

「勝てるのか? どちらかと言えば負けそうだが……」


 嫌味のないその反応は、少年にとって言葉の暴力だ。エルディアよりも遥かに負傷しており、そう思われても仕方がないのだから、反論は結果で示すしかない。


「だ、ダイジョウブ……です。僕はまだ腹八分ですから……」


 言いたいことはわかるが、同時に混乱ぶりも見て取れる。軍人達はそのことをわかっていながら、小さな背中を黙って見送る。それこそが大人のやさしさだからだ。

 傷だらけの傭兵。衣服が滲むほどには出血しており、頭部から滴る赤い糸は、左目の泣きボクロを避けるように顎先へ向かう。小さな体は一見すると満身創痍だが、裏腹に気力の方は満ち足りており、その様子は足取りにも表れている。

 負けるつもりは、ない。

 負けたくない。

 勝ってその実力を彼女に見せなければ、肩を並べることなど不可能だからだ。


「お待たせしました、再開しましょう」

「おっけー。あの人達は?」

「ひとまず見学してくようです」


 休憩が終わったのだから、二人は笑みを浮かべながらも闘志をみなぎらせる。

 そうでなくともエルディアの体からは息苦しい重圧が漏れ出ており、嵐のような突風が吹いたとしてもそれが緩和されることはない。


「そういえば、この後はどうされるんですか? って、今考えることじゃなかったですね」

「ん~、もちろんミケットさんを探すんだけど、あの人達に見つかっちゃった以上、お母さん次第かなー」

「一応、説得はしておきました。だから、いきなり攻撃してきたりはないはずです」

「おー、ありがたーい。里の方針に沿うなら、王国には干渉せずって感じなんだけど、今回はこのまま手ぶらで帰るわけにもいかないから、私達としても譲れないのよねー」


 エルディア達は、仲間を探して連れ帰りたい。

 王国軍は魔女を掃討したい。

 立ち位置も思惑も異なるのだから、本来ならば殺し合いに発展するはずだ。今回はこの傭兵が介入したことで避けられるかもしれないが、この先に何が待ち受けているかなど誰にもわからない。

 状況がどう転ぶかは、神のみぞ知る。

 否、神達でさえ、この遭遇を予想することなど出来なかったはずだ。


「……来る」

「え? 何がー?」


 ウイルはそれの存在に気づいていた。しかし、その場から動かなかったことから、ジレットタイガーか何かだろうと考え、今まで見逃していた。

 しかし、何者かが接近を始めた以上、警戒せざるをえない。

 大森林を構成する針葉樹の隙間から、黒一色の人影が威風同党と姿を現す。

 人間のようで、そうではない。

 二本の脚はむっちりと太く、対して両腕はすらりと細い。

 腹回りは引き締まっており、骨盤付近は大きな臀部も相まって肉付きが良い。

 乳房が二つ、わずかに膨らんでおり、顔の作りも人間の女性そのもの。美人と呼べるほどの造形だ。

 毛髪の類は見当たらず、当然ながら衣服を身に着けてすらない。全身を覆う黒色のそれは皮膚か鱗か、見た目には判断不能だ。


「ニンゲンとニンゲンが、なんで戦ってるの~?」


 刺々しくも妖艶な声が、草原地帯を走り抜ける。知りたいことを尋ねただけなのだが、彼らの警戒心を高めるには十分だった。


(言葉を話す、全身真っ黒な……魔物。こいつだ。こいつで間違いない)


 ウイルはこれを知っている。

 そして、魔女や軍人達も同様だ。

 見下すように、嘲笑うように、魔物は人間達に話しかける。


「共食いでもしてるの~? それとも、ニンゲンってバカしかいないの? コイツもそうだったし」


 それはウイル達に歩み寄りながら、心底楽しそうに笑いだす。右手は緑色の何かをぶら下げており、荷物の正体を知る者はこの場に居合わせた三人の魔女だけだ。

 ゆえに、エルディアの顔色が青ざめる。


「そ、それってまさか……」


 黒い魔物の登場には怯まなかった彼女だが、見覚えのある若葉色には驚きを隠せない。

 その手が握っているそれは、随分と長い頭髪だ。網で運ぶスイカのように黒い右手は髪を掴み、その最下部では人間の頭部が宙に浮いている。


「この世界って本当に最高。あそこにいるニンゲン共には一杯食わされたけど。んで、さすがに腹が立ったけど。まぁ、でも? 油断しただけだし、そういう意味では学べたって感じかな~。コイツのおかげで暇もつぶせたしね」


 女のような魔物は歩みを止めない。それどころか、ほくそ笑み、右手の荷物をブンブンと振り回す。

 その行為は決して許せず、温厚なエルディアをもってしても叫ばずにはいられなかった。


「返して! 今すぐに! な、なんでそんなことに……」


 激昂と同時に、落胆する。感情が浮き沈みした理由は、取り返しのつかない状況に陥ったと判明したためだ。エルディアは悔しそうに体を震わせるも、何かを我慢するようにその場に立ち尽くす。

 一方、ウイルは彼女の言動によって今更ながらに状況把握を完了させる。

 つまりは、魔物が何を持参したかを理解したということだ。


「返せ……? ま、まさか⁉」


 傭兵の関心は魔物そのものに向けらえていたが、その瞬間、手荷物にも注視する。

 髪の長い、女性の頭部だ。緑色のそれには見覚えがあり、ウイルにとってはほとんど他人だが、エルディアにとっては同郷の仲間ゆえ、彼女が悔しそうに悲しむのは当然だった。


「コレのこと~? ねえ、コイツって結局何がしたかったの? ワタシがニンゲンを四つ殺した後、な~んか大慌てで逃げたっぽいけど、あんな足音たてて走っちゃったらさ~、見つけてくださいって言ってるようなものじゃん? だ・か・ら~、とっつかまえて、手足引きちぎって、次のニンゲン見つかるまでのオモチャにしたってわけ~。まぁ、でも、気が付いたら勝手に死んじゃってて、ほんとつまんない」


 女性の姿にも似通った魔物が、表情をコロコロ変えながら演説する。人間を蔑みながらも愛着を示しており、今が楽しくて仕方ない。だからこそ、不必要とわかっていてもなお、エルディア達からの問いかけに答えてしまう。

 そんな中、ウイルだけは冷静だ。


(こいつが殺した人間ってのは、ネイグリングで間違いない。正確には三人止まりだったけど、そんなことはどうでも良くて……。言ってることが本当だとしたら、ロストン達だけでなく、右手の魔女もついでに殺して、その次の日に監視哨を襲撃したってことか)


 その推察は正しい。

 ネイグリングの四人が謎の魔物に襲われたのは、今から一週間以上も前のことになる。

 さらには、この魔物がジレット監視哨を襲撃したのがその翌日であり、ガダム達の活躍もあって追い払うことに成功するも、眼前の魔物を仕留めるには至らなかった。


「おまえは、あそこの人達に負けた後、どこで何をしていた?」


 予想は出来ている。それでも、ウイルとしてもそう訊ねずにはいられなかった。


「森の中で休んでたけど~? 貸し与えられた連中を吹っ掛けたり、この死体で遊んだりしてね~。斬られた腕も完治して、ニンゲンをどう殺そうか考えてたら、ドンパチうるさいからこうして出向いてあげたってわけ。ねえ、なんでニンゲン同士で殺し合ってたの? 教えて教えて」

(そういうことか、合点がいった)


 その説明によって少年はおおよそを把握する。

 つまりは、ガダムの予想した通りだ。

 眼前の魔物は負傷後も大森林の中に潜んでおり、次の機会を虎視眈々と目論んでいた。巨人族の襲撃は様子を伺うための手段であり、そういった戦法を練ってしまえる程度には知能を持った存在だということだ。

 当然ながら魔物らしい残虐性も持ち合わせており、こうして出会ってしまった以上、死闘は避けられそうにない。


「返してくれないなら、力づくでも!」


 脅すように、エルディアが吠える。それはもはや人質ですらないのだから、返却されないのなら奪い取るまでだ。


「うるさいわね~。こんなんが欲しいの? はい、ど~ぞ」


 三人は既に十分近づいている。叫ばずとも声が届く距離だ。

 それゆえに、魔物がポイと下投げで放れば、それは楕円軌道を描いてエルディアの元へ向かう。

 探していた仲間の残骸でしかなかろうと、そして既に干からびていようと、彼女は両腕を伸ばして包み込むように受け入れ態勢を整える。

 その姿は当然ながら隙だらけだ。取り損なわないよう、それだけに集中しているためだが、魔物にとっては好機でしかない。

 不敵に笑うと自らが放り投げた生首を追い越す勢いで、真正面の魔女に襲い掛かる。

 警戒心を手放したエルディアに迎え撃つことなど不可能だ。もとよりそのつもりなどないのだから、魔物の指先が彼女の心臓を貫くか否かは他者の介入にかかっている。

 だからこそ、その結果は必然だ。


「ふっ!」

「ウギッ!」


 ウイルがそれを許すはずもなく、駆け出した化け物との距離を一瞬で詰め終え、叩き落とすように全力で蹴り飛ばす。


「そんなことはさせない。エルさん、予定変更のようです。ここからどうしま……」


 模擬戦は邪魔者の出現により中断だ。謎の魔物を排除しなければ自分達の命が危うい状況ゆえ、戦うのか、逃げるのか、全員で力を合わせるのか、そういった方針を決定しなければならない。

 しかし、言い終えるよりも先に気づかされる。

 エルディアが悔しそうに顔をしかめながら、首だけになったかつての同胞をギュッと抱きしめている。その光景は少年から言葉を奪うには十分だった。


「ごめん、お母さんにミケットさん届けてくる。少しの間だけ、あれを足止めしてて欲しいな」


 消え去りそうな声で要件だけを伝え、長身の魔女は踵を返すと同時に歩き出す。その方角にはパオラを含む三人が立っているのだが、エルディアの後ろ姿は彼女ら以上に小さく見えた。

 トボトボと歩みを進める魔女。

 茫然と立ち尽くす少年。

 そして、ステップを踏むように獲物の元へ舞い戻る化け物。当然のように無傷だが、その表情もまたどこか楽しそうに見える。


「ニンゲンのくせにやるじゃん。まぁ、でも、次はないと思ってね~。ワタシは狩る側、アンタ達は狩られる側。それがこの世界の真理なの。だから無駄な足掻きは……」


 今度はこの魔物が言葉を飲み込む番だ。その光景を見せられたなら、そうなってしまっても無理はない。


「……殺す。おまえは必ず殺す」


 エルディアの瞳から流れた雫が、ウイルの思考を塗り替えていた。普段は冷静な傭兵だが、今だけは殺意に飲み込まれ、別人のように昂っている。

 そうであることを証明するように、小さな体は熱風のような闘気をまき散らすばかりか、周囲に力場のような何かを発生させ、ぐにゃりと景色を歪ませる。


「命乞いをしたってもう無駄だ。絶対に許さない。おまえの行いは、万死に値する」

「はん。な~に吠えてんだか。それに、死ぬのはアンタ。殺すのはワタシ。ニンゲン如きに何が出来るっていうの? っていうか、それって何なの? かっこつけてるだけ?」


 この魔物をもってしても、少年が引き起こす現象は理解の外だ。起源は魔法とも戦技とも異なるのだから、知らない方が自然であり、実際のところ、当人すらもわかっていない。

 見せかけだけのハッタリなのか。

 何かが起こる前触れなのか。

 どちらにせよ、観客を喜ばせるには十分な演出だ。天高い特等席にて、聴衆は両手を叩きながら満面の笑顔で大地を見下ろす。

 見込んだ通りの立ち振る舞いだ。用意した台本は最初の一か月分だけだったが、以降のアドリブには目を輝かせずにはいられない。

 他者を引き寄せ、近寄った者を二度と手放さないその中心点。

 そこに立つ少年の名は、ウイル・ヴィエン。

 力を持たぬまま、舞台の上に立たされた十二歳の子供。

 しかし、それは四年前のことであり、今は立派な傭兵だ。

 守るために。

 破壊するために。

 殺意を沸騰させて、立ち向かう。

 王国と魔女を揺るがす、数奇な戦いはこうして幕を上げる。

 仕組まれていようと、偶然であろうと、何もかもを打ち砕いてみせる。

 傭兵とは、そういう人種だ。

線上のウルフィエナ

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