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午前五時、ピピピ、ピピピとアラームが鳴る。パティシエの朝はまあまあ早い。
「ん……起きないと」
珍しいこともあるもんで、なにも夢を見ずに起きたのはいつぶりだろう。分からないほどはるか昔だ。
「あいつ、どうしたんだろう」
夢に出なくてよかった、と思いつつも何故か気になってしまう。あんなに毎日出てきていたのに。もしかして昨日あんな会社の薄暗い部屋で抱かれて、バカと罵倒して逃げるように帰ってきてしまったから怒っているのだろうか。
(あいつが怒ってても私は関係ないし……あ、あんなあところでセックスするなんて怒るにきまってるわよ)
布団からでるとショーツは濡れていないのに、ブルリと身体が寒いと感じた。いつもは熱いほど身体が火照っているのに。
エアコンをつけなかなか温まらない部屋で身支度を始めた。
朝六時半には店に出勤し、開店の準備する。そのために日和は毎朝五時に起きてしっかりと朝ごはんを食べて出勤するのだ。
まだ薄暗い朝の道、いつもウォーキングしているご老人とすれ違うくらいで殆ど人すれ違うことはない。
「おはよーございます」
「お~おはようさん」
店の店長である健は日和よりも早く出勤し時間のかかるタルト生地の準備などをしてくれている。
「んじゃあ日和はいつもどおりスポンジよろしく~」
「了解です」
卵とグラニュー糖を混ぜ合わせ泡立て器でしっかりと泡立て、小麦粉をふるいにかけ生地をしっかりとま混ぜる。この加減で生地がちゃんと膨らむかがきまるようなものだ。溶かしバターを加えさらに混ぜ合わせて型に流し込む。業務用の予熱したオーブンで焼いて、焼き上がったら冷ましてスポンジの完成だ。
朝焼いたスポンジは一日しっかりと寝かせて次の日にデコレーションして店頭に並べる。今日は昨日焼いて一日寝かせたスポンジを綺麗に着飾らせショートケーキへと変貌させるのだ。
「おはようございまあす」
綾乃も出勤してきてもう九時ということが分かる。あと一時間後には開店だ。
「今日も綺麗なショートケーキッ!」
「でしょう、ザッハトルテも冷蔵庫でいま冷やしてる」
「ああ、例のイケメン社長が気に入ってるもんね。日和の作ったザッハトルテ」
「なっ……」
「昨日はあの後どうだったのよ~んん? 白状なさいっ!」
薄暗い部屋でヘトヘトになるまで抱かれてました! なんて言えるかーっ!!!
「べ、別に何もないよ。ほら、準備準備!」
「ふふ、誤魔化すの下手すぎ~本当社長さんは日和にベタ惚れって事ね~」
日和の反応を楽しんだ綾乃はスタッフルームへ着替えに行き、日和は出来上がったケーキを順にケースへ並べていった。もちろんザッハトルテも。
十時開店。平日の割には開店からお客様が途切れる事なくケーキはどんどん売れていく。
「なんか今日お客さん多くない?」
「私もそう思った。え、昨日の効果にしては早くない?」
いつもはチラホラお店の戸が開くくらいなのに今日は客足が途切れることなくお客さんが店に入ってくる。
「それほどハピフルの影響力は大きいって事かもね」
「だねぇ」
悔しいけれどそいうい事なのだろう。あの淫魔社長のお陰か……
時計の針は十二時を過ぎていた。
「日和、先にお昼行ってきちゃいなさいよ」
「そうしようかな。なんか凄く甘い物食べたい気分だから、このミルフィーユ買っていこうかな」
店の皿に苺のミルフィーユを乗せる。ミルフィーユは健が作ったものだが惚れ惚れしてしまうパイの層。何度も何度も伸ばして折ってを重ねて……
「ひひひひひよりッ、待ちなさいっ! 昨日のイケメン! イケメン!」
(ん?)
「日和さん」
(んん?)
パイ層に見惚れていたら綾乃に呼び止められ、更に誰かに呼ばれた。顔を上げ声の主の方を見ると、昨日の洸夜の嫉妬の原因、悠夜が可愛らしい笑顔を日和に向けている。
「あ、昨日はありがとうございました」
接客業らしく当たり障りのない言葉を並べる。
「昨日のケーキの味が忘れられなくて早速昼休みの間に買いに来てしまいました」
照れっとはにかむ笑顔が眩しい。
「さっそくありがとうございます。昨日のパーティーのお陰なのかお客さんが多くて、悠夜さんの好きなケーキがあるといいんだけど」
ケースの中にはショートケーキ、モンブラン、ベイクドチーズケーキ、さつまいものモンブランに苺のタルトと苺のミルフィーユ、あとザッハトルテが数個ずつ残っている。
悠夜は「どれにしようか悩むなぁ」とケースの端から端までを何度も目で往復しながら楽しそうにケーキを選んでいた。なんだか小さな男の子がはじめてのおつかいにでも来たように見えてしまう。
「よし、決めた! 今日のデザートはさつまいものモンブランとザッハトルテに決めた!」
(あいつと同じ……ザッハトルテが好きなんだ)
どうしても直ぐに洸夜の顔を思い出してしまう。
「じゃあ箱に詰めるので少しお待ちくださいね」
「お願いします。僕ザッハトルテ凄い好きなんですよ。昨日のパーティーではなかったので今日食べれるなんて幸せだなぁ」
本当に幸せそうな笑顔を見せるのでなんだか日和までほわほわと幸せな気持ちでいっぱいになった。
(やっぱり自分の作ったケーキで人を幸せに出来るって嬉しいなぁ)
日和が箱に二つのケーキを並べている間に綾乃が会計を済ましてくれているのだが目がとろんと女の目で悠夜を見つめている。本当綾乃はイケメンが好きだなぁ、と思いながら箱に詰めたケーキを「お待たせしました」と悠夜に手渡す。
「日和さん、ありがとう。あの、さ、日和さんの連絡先教えてくれませんか? い、嫌だったらいいんです! ブロックだってしてくれて構いません。ダメですか?」
「あ~えっと……」
「昨日は初対面で本当は凄く緊張していて連絡先聞けなかったんです。やっぱり……ダメですか?」
くぅ~んと子犬のように今にも泣き出しそうな瞳を向けてくるものだからどうしようか悩んだものの愛らしい悠夜の性格に根気負けし、スマートフォンを差し出す。
「あんまりSNSとか見ないから返信は期待しないでね?」
悠夜は尻尾がちぎれるんじゃないかってくらい瞳をキラキラと輝かせ、満面の笑みを日和に見せた。
「すっっごく嬉しいです。本当に今日はいい日だなぁ、日和さんまたケーキ買いに来ますね!」
「またお待ちしています」
悠夜はスキップでもしそうな足取りで店を出ていった。
「なーんか、日和最近モテ期じゃない?」
レジカウンターに両肘をつき顎を乗せ羨ましそうに綾乃にジィっと見られる。
「なにいってんのよ、そんなんじゃないから。じゃ私休憩いってくるね」
「はいは~い」
モテ期かぁ、と頭に浮かんだ男性は淫魔の俺様男と、年下の子犬男子だった。