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芙月みひろ
92
#王子
「ん? ああ……。いやな、今回の騒動で痛感したんだ。今の生活が明日も続くなんてのは、ただの『初期設定(デフォルト)』じゃないんだってな」
佐藤は少し照れくさそうに、視線を窓の外へ投げた。
「俺、家で嫁と会話なんてほとんどなかったんだ。でも、会社がなくなって今の生活を失うかもって思ったら……急に怖くなった。隣に嫁と子供がいる日常は、実は当たり前じゃなかったんだってな」
聞けば、佐藤は数日前から仕事終わりに真っ直ぐ帰り、不慣れな家事の手伝いを始めたらしい。これまでは「家にいても怒られるだけ」とダラダラ残業や飲み歩きを繰り返していた彼が、だ。
「最初はやり方が違うって文句を言われたけどな。それでも『いつも家のことをやってくれてありがとう』って、嫁に伝え続けたんだ。そしたら昨日の夜、久しぶりに嫁さんが『アンタ、急にどうしたのよ』って言いながら、手を握ってくれてな。……レス解消へのロードマップはまだ遠いが……」
佐藤はそう言って、僕の肩をポンと叩いた。
「幸せってのは、完成されたパッケージじゃない。毎日コツコツ保守(メンテナンス)していくもんだ。……お前も、白石さんに『強制終了』されないよう、しっかり運用しろよ?」
佐藤の背中を見送り、僕はそっと自分の襟元に触れた。保守とメンテナンス。……僕と彼女の関係も、一筋縄ではいかない長期プロジェクトなのだ。
「陽一さーん♡」
背後から、弾んだ声が聞こえてきた。振り返ると、そこには大きな保冷バッグを手にした彼女が立っていた。
「お昼一緒に食べましょ~。今日のお弁当は『スッポンの唐揚げとスープ』です♡」
(……スッポン!? 昨日の今日で、まだエネルギーを供給(チャージ)するつもりなのか……!)
これはもはやメンテナンスという域を超えている。逃げ場のない、けれど温かい永久ループ。 僕たちのシステムは、規定値を大幅に超える熱量を孕みながら、今日もしっかりと稼働を続けている。
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