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「優奈、まだ起きてたのか」
その夜、雅人が帰宅したのは日付をまわって暫くしてからだった。
「まーくん、おかえりなさい!」
キッチンで後片付けをしていた優奈は喜びを抑える事なく帰宅した雅人に飛びついた。
「ただいま」
声こそ優しいが、優奈の頭に伸びた手はほんの少し髪を撫でてくれたかと思えば、残念。
すぐに引き剥がされてしまう。
(つれないなぁ!)
「明日も早いんだから早く寝るんだ」
「それはまーくんもでしょ」
「俺はいつものことだから、平気なんだ。優奈はダメだろう」
よくわからない根拠で優奈だけが責められた。
「そうだ、奥村はどうだ?」
ジャケットを脱ぎ、腕時計を外しながら突然雅人は奥村の名を出した。
「奥村さん? すごく親切だったよ。さっきも明日朝イチいないこと伝え忘れてたって電話くれて」
「電話? あいつと連絡先の交換が必要か? 時間外にやり取りする必要は今のところないだろう」
雅人は大袈裟に眉根を顰める。
「え、でも普段から出入り多いから念の為って……まだわからないことばかりだし」
「マキで構わないだろう」
「そっか、うん。でも聞かれたし」
どうしてだか不機嫌になった雅人が「奥村の連絡先って、どの番号?」と、優奈に問いかける。
テーブルの上に放置していたスマホを見て番号を伝えたなら、再び眉を動かした。
「え? 何? なんか会社で連絡先どうのこうののルールでもあるの?」
「あるわけないだろう」
前髪を掻き上げて、深く息を吐く雅人。
しかし、次の瞬間には柔らかな表情に戻されている。
「……仕事は、無理なくやっていけそうか? 優奈」
「えー」
思わず目を泳がせた。
「どうした?」
雅人がソファに向かい歩きだしたので優奈もその後を急ぐ。
「私から見るとみーんなデキる人って感じで……ちょっとビビっちゃってるんだけど頑張るよ」
「なんだ、そんなことか」
「そんなことじゃないよ」
頬を膨らませた優奈を見て、笑顔を作った雅人はソファに座り、優奈の手を引く。雅人の触れた場所に体温が集中しているようで。
ドキドキと鼓動が早くなるのを感じながら、優奈はその隣へと腰掛けた。
「優奈は大丈夫だよ。これまでの環境の方が過酷だ」
「そんなんじゃなくってさ、ほら、奥村さんだって凄い人なんでしょ。そんな人の隣に初日から置かれて、平凡だったら、周りの目はさ。こいつ何なのってなるじゃん。頑張らなきゃ……」
言いながら優奈が膝を抱えて顔を埋めると、再び雅人は優奈の髪を撫でた。
「マキがうるさいからな……、あまり表立って優奈だけの味方ができないけど。俺がいるから大丈夫だ」
甘やかされているばかりで、スタート地点から動き出せていない。
「うん。頑張るから、まーくんも私を好きになるように頑張ってね」
ここぞと言ってみたけれど「無理やりだな」と、笑い飛ばされて終わってしまう。
「俺は風呂入るから、お前はもう寝るんだ」
言い捨ててその場を離れてしまった。
甘い空気のカケラも生まれて来ないときた。
(なんのなんの、これから)
これしきでめげる覚悟の初恋アゲインではない。
恋も仕事も。
新しい生活は、これからなのだ。
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