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問い掛けておきながら、この場から一刻も早く逃げ出したい私は、資料を片手に持ち変えてエレベーターの呼び出しボタンを押した。
 箱は下の方にあるみたいで、上がってくるのに少し時間を要しそうで。
 
 北条くんの物言いにムカッとして思わず言い返してはみたものの、慣れないことに鼻の奥がツンとして視界がじんわりぼやけてきてしまった。
 (あーん、私のバカ!)
 自分から突っ込んでおいて泣きべそをかいてしまったのを見られたくなかった私は、なかなか上がってこないエレベーターに心の中で密かに溜め息を落とす。
 
 そんな私に、「キミは本当にバカなのか? 祝いのことが絡んでくるからに決まっているだろう!」と北条くんが腹立たしげに返してきて。
 私は彼からの意外な言葉に思わず「え?」と声を漏らしていた。
 (嘘。そんなに親しくないはずなのに……お祝いしてくれる気なの?)
 目が涙で潤んでしまっていることも失念して北条くんを見つめたら、私の様子に一瞬瞳を見開いた彼が、さもバツが悪そうに視線を逸らしながら続けた。
 「――たった四人しかいない同期に祝い事があったら祝福するのは人として当然だろうが。俺はそういう義理は欠きたくないんだよ」
 北条くんのその言葉に、足利くんがククッと笑って、「コイツ。照れ屋な上に口下手だから誤解されやすいけど結構〝熱くていい奴〟なのよ」とニヤリとする。
 途端、北条くんに「黙れ」と睨みつけられて、足利くんはわざとらしく肩をすくめて見せた。
 
 そこでエレベーターが到着して――。
北条くんが「仕事に戻る」と宣言して、サッサと箱の中に乗り込んでしまう。
 
 〝あー! それ、私が呼んだやつです!〟
 心の中でそう叫んだけれど、無情にも「閉」ボタンを押されてしまって、扉が閉ざされて。
 
 (まぁ、だからって狭いエレベーターの中、北条くんと二人きりになるのは絶対気まずかったし、一人で降りてくれて全然構わなかったんだけどっ)
 でも、ここに足利くんと取り残されてしまったことを思うと、そんなに現状が打開出来たようにも思えない。
 恨めしげにエレベーターの扉を見つめる私に、足利くんが
 「俺ももちろんそういうのはちゃんとするつもりだからさ。前から誘ってる飲み、やっぱ近いうちにやろうや。――お相手のこととか色々聞かせてよ」
 そう私の左手薬指を指差しながら言って。
 そこで思い出したようにククッと笑うと、「俺ら今、完璧に北条のこと照れさせちゃったね」ってニヤリとするの。
 (あれって……北条くん、照れてたの? 私、てっきり怒らせたんだとばかり……)
 そう思いながらも、頭の中が「結婚相手のことを色々聞かれるのはまずいんじゃ……?」と言う思いにシフトして、にわかにソワソワし始めた私に足利くんの大きな手がスッと伸ばされてくる。
 同年代の男性に苦手意識のある私が思わずビクッと身体をすくめたら、足利くんは私が押し忘れてしまっていたエレベーターの「下」ボタンを押してくれただけで。
 「ごめ、なさっ」
 恥ずかしさで真っ赤になった私に、
「俺は階段で降りるから柴田さんはエレベーター使って?」
 私の自意識過剰な態度をスルーしてくれた足利くんが、ヒラヒラと手を振って去っていった。
 
 ***
 
 宗親さんより一時間ばかり早く帰らせてもらえた私は、夕飯の支度を終えて食卓に作ったものを並べながら彼の帰りを待っています。
 今夜のメインは、キャベツと薄切り豚肉をミルフィーユ仕立てに重ねて、トマトジュースで煮込んだもの。味付けはコンソメと塩コショウ。
作りながら味見してみたら結構美味しく出来たと思うんだけど……宗親さん、喜んでくれるかなぁ。
 さっき会社を出たって連絡があったから、きっとそろそろ玄関が開くはず。
 宗親さんの帰りを、手料理を作って待つ。たったそれだけのことがすごく幸せに思えて。
 (あ~ん。こうしてると何だか新婚さんみたいっ♥)
 などと思って、途端脳内に降って湧いたミニチュア宗親さんに、「新婚ですが?」と溜め息をつかれる。
 炊事をするときはさすがには大きなダイヤの付いた指輪はしていられないので、ケースに入れてテーブルの上に置いてある。
 (並べ終えたら付けよう)
 付けておかないと、「何で外してるの?」って、宗親さんが結構うるさいのです。
 
 ***
 
 「ただいま」
 ひゃー! 帰ってきた!
 「お帰りなさい」
 本当は玄関先まで走って行って、カバンとか上着とか甲斐甲斐しく受け取る新妻を演じたいけれど……さすがに偽装の身でそれは重すぎるかな?とグッと我慢して。
 付け合わせに作ったスナップエンドウとちくわのバター醤油を小鉢に移して食卓に並べながら、私はその衝動と必死に闘った。
 
 (宗親さん、今日は晩酌なさるかな?)
 ビールだったら私も一緒にご相伴になろう!
おつまみは、宗親さんが冷蔵庫の奥に仕舞い込んでいる胡椒の入った〝ケーゼレベレンペッパーチーズ〟がいいな♥
 そんなことを思っていたら、指輪を付けるのが後手に回ってしまった。
 
 宗親さんは帰宅するなり私の左手薬指をチラリと見て、「春凪、どうして指輪、外してるの?」と聞いてくる。
 (ぐっ。抜かってました、すみません!)
 心ではそう思ったけれど、指輪より先に食卓を見て?とも思ってしまって、「水仕事したり、生モノ触ったりしてたんですものっ。付けとけませんよ」なんて憎まれ口を叩いてみたり。
 何せ百五十万円もする指輪です。
そうじゃなくても私、炊事のときは指輪は外しておきたい派。