コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ゴドンッ!
鈍く鈍重な音が、石畳の床を震わせる。
続いて響いたのは
獣の断末魔にも似た
裂けるような男の悲鳴だった。
「⋯⋯ぐっ!があああああッ!」
その声は喉の奥から絞り出され
室内の壁という壁に反響して
まるで地獄の底で這いずる
亡者の呻きのように響いた。
男の手がソーレンの首に触れる
ほんの瞬間前――
ソーレンはその腕に
範囲を限った〝加重〟を纏わせた。
対象を選び、制限をかけた圧力が
凶器のように男の腕へと襲いかかる。
肩から伸びた腕が
メリメリと音を立てて関節ごと外れ
皮膚が裂け
赤黒い肉が引き千切られる。
その断面からはドクドクと血が溢れ
千切れた腕は床に叩きつけられ
肉塊のように転がった。
「ぎゃあああっ⋯⋯が、がっ⋯!!」
男はよろめき、片膝を床に突くと
肩から血を噴き出しながら必死に呻いた。
服は一瞬で返り血に染まり
無くなった腕を押さえる手には
もはや力は無い。
白い顔は蒼白を通り越して
土気色に変わり
口元からは涎と涙が混ざって滴っていた。
「はっ!
可愛らしく鳴くじゃねぇか。
子猫ちゃんよぉ?」
冷えた琥珀色の瞳が
転げ回る男を見下ろす。
その目に宿っているのは
怒りでも興奮でもない。
純粋な〝狩りの悦び〟――それだけだ。
その瞬間、奥の闇から
複数の足音がゆっくりと近付いてきた。
ぞろり、ぞろりと
同じ靴音が繰り返し響く。
「⋯⋯あぁ?」
ソーレンは僅かに目を細め
視界を凝らす。
そして――
息を呑んだ。
「なに?
お前ら、五つ⋯⋯六つ子?
母親も大変だったろうなぁ。
まぁ、猫ならそんくらい産まれるか」
現れたのは、さらに五人。
だが、その顔はすべて同じだった。
先程まで地を転げていた男と
まったく同じ容姿。
冷えたアースブルーの瞳と
長く編み込まれた黒髪。
そして
血の匂いを嗅いで笑うような
冷笑の唇。
「なら⋯⋯
子猫に喰われる獅子ほど
情けない存在は無いだろうねぇ?」
そのうちの一人が
大太刀をソーレンの目前に突きつける。
刃先が僅かに揺れて
ソーレンの頬に冷たい風を与えた。
「へぇ?
良いエモノ持ってんじゃねぇか?
後でコレを猫じゃらしに遊んでやるよ」
「⋯⋯ふん。
強がりを言うこの口から
もっと魅力的になるように
裂いてあげようか?」
刃先がソーレンの唇に触れかけた
その瞬間――
ソーレンは迷いなく、刃に噛みついた。
金属が軋む音と共に
ソーレンの顎が
大太刀をがっちりと咥え込み
目の前の男を咄嗟に引き寄せる。
「さぁ、我慢比べしようぜ?子猫ちゃん」
ソーレンは大きく息を吐き
周囲の空気を一気に沈黙させた。
男とソーレンの周囲に
真空の〝領域〟が展開された。
空気が奪われ
音が消え
温度が下がる。
刃を手放す暇もなく
目の前の男は急に呼吸ができなくなり
目を見開いて口をパクパクと開けながら
喉を押さえて崩れ落ちる。
体は痙攣し
吐き出そうとした息が抜けることなく
肺に溜まったまま泡立ち
鼻から血が滲み出た。
「毒か!?一旦下がれっ!」
他の四人が素早く距離を取り、警戒する。
だが、その反応が命取りだった。
「逃げんのかよ?
その前に泣き喚いてけよ!」
ソーレンの足元に
僅かに重圧が集中したかと思うと
瞬間――
部屋の出口方向に向かって
爆発的な〝圧力の反転〟が走った。
空間が歪み、重力が一瞬で逆巻く。
その重圧の中心にいた
四人の男たちの体内に
異常な現象が走る。
まずは、耳から。
圧の変化に鼓膜が破裂し
赤い液体が滲み出す。
続いて
目が血走り
眼球の奥から鮮血が噴き出す。
「っが⋯⋯あ⋯ぁ⋯っ!?」
体内の血液が激しく沸騰し始め
四肢の毛細血管が次々と破裂していく。
肌の下で内出血が広がり
血が皮膚を裂くように滲み出る。
そして
最も脆い肺と胃袋が一斉に破れ
血と泡が口から溢れ出した。
「うぐっ⋯⋯あぁ⋯がっ⋯⋯!」
地面に崩れ落ち
痙攣しながら吐血する彼らの姿は
もはや人の形を保つのがやっとだった。
筋肉が引き攣り、骨が折れ
血塗れの身体が床に広がっていく。
ソーレンは
その地獄絵図の中心で
ただ一人、微動だにせず立っていた。
琥珀の瞳が僅かに細められ
その先に残された
〝まだ動ける一体〟を静かに捉える。
その瞳に宿っていたのは
怒りではない。
冷徹な狩人の⋯⋯それだけの光。
足元に散らばった血の臭いが
鼻腔を焼くように濃密だった。
鉄と硫黄
そして
何か焦げたような匂いが混ざり合い
喉の奥がひりつく。
ソーレンは
部屋の中に
再び増援の足音が
響かないことを確認すると
無言で重力を操った。
身体がふわりと浮き上がる。
足元が僅かに床を離れた状態で
首に食い込んでいたワイヤーを
細心の注意を払ってチョーカーから外す。
傷が付かぬように――
丁寧に、慎重に。
まるで宝物を扱うかのように
時間をかけてワイヤーを解いた。
解放された首筋を軽く擦りながら
コキリ、と首を鳴らす。
緊張を解すその音は
今なお凄惨な空気の中で
不気味なほどに乾いて響いた。
視線を巡らせれば
床に倒れた男達のうち
既に五人は動かない。
真空で窒息させた男
体内から血を噴き出して倒れた四人。
生きているのはただ一人
最初に腕を千切られた
あの男だけだった。
彼は今
床にうつ伏せになったまま
ガタガタと歯を鳴らしていた。
アースブルーの瞳には涙が溜まり
その顔面は青ざめ
全身の血の気が抜けていた。
肩からは断続的に血が滴り
床に大きな紅の水たまりを作っている。
その姿は
まるで処刑を待つ家畜のようだった。
ソーレンは
わざとらしく靴音を鳴らしながら
ゆっくりと、その男に歩み寄る。
音のひとつひとつが
男の耳を直撃するかのように恐怖を与え
肩がびくびくと震えた。
その前で
ソーレンは長い脚を折り
静かにしゃがみ込む。
琥珀色の瞳が
氷のような冷たさで男を射抜いた。
そこには、怒りも情けも無い。
ただ一点を見据える、狩人の眼光。
「女の部屋は⋯⋯何処だ?」
言葉に込められた圧は重く
凍てつくような殺気が空気を押し潰す。
その声を聞いただけで
男の瞳から
理性が崩れ落ちていくのが見えた。
「こ⋯この部屋の
真下の⋯⋯部屋に、居る⋯⋯!」
血の気を失った唇が
乾いた音で答える。
言葉を絞り出す度
肩の傷口から血が新たに滲み
床を濡らしていった。
眼差しは既に虚ろで
いつ意識が落ちてもおかしくない。
(床が抜けたら、危なかったな⋯⋯)
ソーレンは心中で息をついた。
重力操作の範囲を
極限まで絞った判断は正解だった。
下にレイチェルがいると知らずに
あの圧力を広げていれば――
考えたくもない結末が、背筋を冷やす。
ソーレンは静かに立ち上がった。
床に転がる大太刀を拾い上げると
血に濡れた刀身が赤く光を反射する。
その刀を、躊躇なく振り下ろした。
「せめてもの情けだ」
突き刺した一撃は、正確で無慈悲だった。
刃が胴体を貫き
残された僅かな命を瞬時に絶つ。
男は呻く間もなく
そのまま静かに崩れ落ちた。
血濡れた大太刀の刃が床を擦り
ギリッと音を立てる。
それでもソーレンは気にも留めず
刀を引き摺りながら出口へと向かう。
その足取りは、確信に満ちていた。
向かう先は、たった一つ。
レイチェルのいる
その真下の部屋――
愛しい者を救うための、ただ一つの道。