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その日の夜。
将臣が目を細め、傷に触れていた。
「痛むはずのない傷が疼くな」
凪は身を乗り出す。
「では、軟膏を持ってきますわ」
そして、その顔を観察する。
「顔色も……いつもよりお疲れですか?」
「ああ……まあな」
将臣は曖昧な返事をした。
凪は深くは聞かず、立ち上がった。
「カミツレ茶も淹れてきますね」
凪が炊事場で作業を始めると、珍しく晴臣がやって来た。
「晴臣さん。どしたの? こんな時間に」
「凪もこれから飯なの?」
「将臣様に薬草茶を入れて差し上げるの」
ヤカンに水を入れ、竈にかけた。
晴臣は苦虫を潰したような顔になる。そして、凪には届かない小さな声で呟いた。
「そこまでして、兄上を好きなのかよ」
「何か言いました?」
晴臣は頭を振る。
「別に。なんかうまい菓子はある?」
「結菓子なら」
「いらないって」
そして、茶葉を急須に入れ替えている凪の隣へ、すっと近づいた。
「今度、また買い物に付き合ってあげるな」
貼り付けたような笑顔。だけど、凪はそのまま善意と受け取る。
「ありがとう。その時は、よろしくお願いしますね」
晴臣はそれだけを伝えると、満足げに母屋へと戻って行った。
「遅くなってしまった」
凪はカミツレ茶と軟膏を盆に乗せ、将臣の待つ居間へと小走りする。
将臣は結丸を腕に抱きながら、すーっと寝息を立てて、寝てしまっていた。
その平和そうな姿に凪は、頬を綻ばせた。
「結丸は、温かいから気持ちいいものね」
いつも気を張り詰めている将臣だが、こうして眠っている時は、どこか儚げな一人の男性だった。
(傷があっても……綺麗なお顔)
見惚れていた凪は、はっと我に返る。
(まるで、盗み見しているみたいじゃない!)
熱くなる頬を手で押さえ込んだ。そして、またそっとその傷を見た。
(乾燥している……薄く塗ってさしあげよう)
軟膏を指先に取り、将臣を起こさぬよう、そっと頬の傷痕へ触れた。
その瞬間──だった。
傷に触れた指先から、記憶の欠片が頭を割るような衝撃とともに流れ込んできた。
野戦テントの外で、夜空を見上げている兄の朔也がいた。
「軍医に……妹の凪を託したいと思っております」
そして、ゆっくりと顔を下ろし将臣に向いた。それは、優しかった兄の切ない顔だった。
「どうか……どうか、凪をよろしくお願いします」
すると、突然、怒号が轟く。
『──傷を、読むなっ』
かつて将臣に厳しく命じられた言葉が、同時に弾けた。
「っ……!!」
凪の身体が大きく跳ね、弾かれるように指を離した。
勢い余って畳の上に尻餅をつく。
ぶるぶると細かく震える指先を、もう片方の手で必死に握りしめた。心臓が痛いほど早鐘を打っている。
(亡くなった兄様との……約束?)
(義務だから、私を迎えてくださった……?)
さっきまで胸を躍らせていた、藤色の反物を思い出す。
(じゃあ、あの優しさは全て……)
温かかった部屋の空気が、一瞬で氷のように冷えていく。
凪は息を殺したまま、その場から一歩も動くことができなかった。
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