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姉ソラマリアは妹ネドマリアの遺体をウィルカミドの街の地上の墓地の一角に埋葬した。地下墓地は今や使われていないらしい。全ての死者の為に墓地が用意されるのは遥か先のことだろう。一連の犠牲者は見つかり続け、埋葬するための土地も火葬するための燃料も足りなくなっている。
一方でアルメノンの遺体はモディーハンナの指示でやってきた数人の僧侶によって引き取られた。聖女の遺体がどこに埋葬されるのか、ユカリは知らなかったがベルニージュによると高位の僧侶は聖火によって荼毘に付されるらしい。
四人はネドマリアの墓石の前で冥福を祈る。墓地にいる者たちの大半は墓地を拡張するための工事に従事している者たちで忙しそうに働いている。
レモニカは墓石を見つめるソラマリアの背中に気遣う。
「気を落とさないで、ソラマリア」と、その新しくも古い名前の舌触りを確かめるように言った。
ソラマリアは少しばかりの悲しみを覗かせる。胸元にはソラマリアの名が金工象嵌で刻まれた群青色の石飾りを提げている。ネドマリアの名が施された石飾りはベルニージュが提げている。ユカリは譲り渡すべきではないかと相談したが、ベルニージュは譲らなかった。友人の形見を譲るわけにはいかないと主張し、ソラマリアも快く受け入れたので、ユカリもそれ以上は言わなかった。
「はい。お気遣いありがとうございます、殿下。私は、ほとんどネドマリアのことを覚えていないので。むしろ殿下やユカリ、ベルニージュの方が妹の人となりをよくご存じでしょう。お辛い思いをさせてしまいました。それに、私の他に身内のいない彼女にとっては、こんなにも沢山の友人に悼んでもらえて幸いに感じていることでしょう。ありがとうございます」
涙を堪えても滲む。ユカリにとって、一時は復讐に燃えるネドマリアを恐ろしくも思っていたが、思い出すのはワーズメーズを案内してくれた優しくて元気で頼りになる女性のことばかりだった。
それにレモニカもまた。ソラマリアのすぐそばにいて、自分本来の姿に変身して、その意味が分かっていて、その気持ちの揺らぎを感じさせない。何も感じていないはずはないのに。
「これからどうするの?」とレモニカはソラマリアの不確かな視線を追って言う。
「殿下がどうされるか、次第です」とソラマリアは言う。
それが正しい判断なのか本人にも分かっていないようにユカリには聞こえた。
「まだそんなことを言っているの?」とレモニカは優しく非難する。「わたくしが言うのもなんですが、わたくしの姉や母に振り回された人生の延長線上をたどる必要はないわ」
「ヴェガネラ王妃殿下は」とわずかに強めた語気をソラマリアは落ち着かせる。「私のために取りなしてくださったのです。……それなのに私は、レモニカ様に呪いを、そのために王妃殿下が――」
「だから何度も言ったけれど、貴女の責任ではないのよ。操られていた時の行いを責める者などどこにもいません。全ては姉がなしたこと。姉が何を考えて妹を呪い、母を死に至らしめたのか、今となっては知る由もありませんが」レモニカは何かを思いついた様子を見せて指摘する。「むしろ、あるいは貴女をそのように苦しませることこそが狙いだったのかもしれないわ」
「何のために?」とベルニージュが言った。
ユカリも同じことを思ったが、口にしない分別はあった。
「恨みを買った覚えある?」とベルニージュはソラマリアに追い打ちをかける。
「いや、覚えはない。護女だった頃は、仲良くしていたつもりなんだが」とソラマリアが答えると、多かれ少なかれ、その場の全員が気を落とす。
確かにアルメノンはソラマリアを親友だとか何とか言っていたが、誰も本気にとってはいなかった。
「ごめんなさい。無神経だったわね」とレモニカは謝る。
「お気になさらず」と言うソラマリアが本当は気に障ったのか、ただ悲しみに沈んでいるのかユカリには分からない。「レモニカさまのご心痛に比すれば何ほどのこともありません」
レモニカの表情に少し苛立ちが混じったことに気づき、場の雰囲気を変えようとユカリは尋ねる。「レモニカの方こそどうするの? 王女様だと知った今では連れまわすのも気が引けるんだけど」
「連れまわされているつもりはありませんわ! わたくしはユカリさまと旅をしたいのです! あと呪いも解きたいです」レモニカははっきりと宣言して、ユカリ、ベルニージュと順に目を合わせ、ソラマリアに微笑みかける。「と、冗談を言う程度には気にしていないのよ。メールマのことは気がかりだけど、呪いを解かなくては再会できないもの」
「であれば私は殿下の呪いを解く旅にお供させていただきます」とソラマリアは決意を確かに言う。
レモニカは呆れた様子でため息をつきつつも、微笑んで答える。「好きになさい」
全ての始末を終えて、ユカリとベルニージュ、レモニカにユビス。そしてソラマリアはビンガの港町へとやってきた。ユカリには魔導書を完成させる前にやっておきたいことがあったのだった。魔導書が完成しないように天空の剣を持つソラマリアは少し距離を開けて追ってきている。
「そうですわ! ユカリさま!」港へ向かう大通りを歩いているとレモニカが突然大きな声を上げた。「まだ説明を受けていません!」
あのことだ。
「何のこと?」とベルニージュは言う。
「胸の穴のことばれちゃったんだよ」とユカリは答える。
レモニカが大げさに声を震わせる。「私だけ除け者にして! 酷いです! ……え? 穴? ちょっとユカリさま、傷を見せてくださいまし!」
レモニカがユカリの狩衣の上衣を捲り上げようとする。ユカリは抵抗する。
「こんな往来で曝け出したら騒動になるよ!」
ソラマリアに見張りをさせて三人は人気のない裏路地の薄暗がりへと入る。
「さあ、ソラマリアに貫かれた胸を見せてください」とレモニカは急かす。
「うん。でも貫かれてない」そう言ってユカリは上衣を捲り上げる。
そこには刺し傷の代わりに胸から背中までぽっかりと穴が開いていた。丁度心臓のあるべき位置だ。
それでいて血が溢れるべき穴の内側はつるりとした皮膚に覆われている。
「これは……、例の謎の闇によって消失した肉体と同じ……」レモニカははっと閃いたように表情を変える。「胸の怪我! このことだったのですね!? サンヴィアで、トンド王国で海へと落ち、魔物に襲われかけたわたくしをお救いくださった時に、このような……」
「そういう顔するだろうから黙ってたんだよ」そう言ってユカリは、触ろうとするレモニカの手を払い除けて、上衣で胸の穴を隠す。
レモニカは代わりにユカリの手を取る。「脈はありますのね。心臓がないのに、きちんと血が流れている」
「まあ、脳が無くても平気な人もいたからね。それに比べれば大したことないよ」とユカリは焚書官チェスタを思い浮かべて言った。
「それにしても」レモニカは手に持つ魔導書『神助の秘扇』を睨みつける。「なぜその怪我は治りませんの?」
「さあ、それは私にも分からない」と言ってユカリはベルニージュに助けを求めるように視線を向ける。
「そうだなあ。たとえば、魔導書以上の力による怪我。もしくは、そもそも怪我とはみなされていない」とベルニージュは推察する。
ユカリは不審げに尋ねる。「見なされていないって、誰に?」
「魔導書に、だよ」とベルニージュは答える。
港へとやってくる。そこにはきちんとフォーリオンの海が広がっていて、潮風が吹いていて、いくつかの白い帆が陽光に煌めき、冠鴎が呑気に鳴いて、風の働きに感謝している。
浜までやってきて、ユカリは溟海の剣を手に持ち、何もかもを呑み込み得る深みを隠した海と向き合う。そしてフォーリオンの海に語り掛ける。
「ごきげんよう。フォーリオンさん。その後、お加減はどうですか?」
「吾輩に何の用だ」とフォーリオンは端的に答える。
ユカリは小さくため息をつく。「フォーリオンさん。魔法の誓いを破りましたよね」
「あれは魔導書によって無理やり操られたのだと言っただろう」
ユカリは念のためにベルニージュの顔を窺う。ベルニージュはしっかりと頷いて保証する。
「無理やり操られた場合を例外とするように誓いに刻まれているなら、フォーリオンさんは魔法の誓いを破ってないです。でもそうではありません。私が望むならフォーリオンさんの魂を私に譲渡させる理が、この世界に刻まれたんですよ」
「頼む。許してくれ」とフォーリオンは臆面もなく一人の人間にすがる。「後生だ。吾輩には避けられぬことだったのだ」
ベルニージュとレモニカたちを連れ去った時はよくも騙してくれたな、と言っても良かったがユカリはフォーリオンの海を虐めに来たわけではない。
「一つお願いを聞いてください」とユカリは言う。「アギノアさんとヒューグさんを、真珠像の貴婦人と青銅像の武人を返してください」
「何だと!? あれは我が至宝、比類なき真珠の粋、何の為に貴様に取り戻させたと……」
ヒューグの方はどうでもいいらしい。
ユカリはかそやかに目を伏せ、首を横に振る。
「私は命じているのではなく、頼んでいるのです。誇り高き大海にして最も偉大な古海フォーリオン。卑小な人間の私が、命じているのではなく、頼んでいるのです。その意味をよく考えてください」
幾度も幾度も寄せては返す沈黙をユカリは辛抱強く待つ。古海はまるで人の言葉など分からないかのように騒々しい。そしてとうとう答える。
「よかろう。懐深き吾輩が其方の願いを聞き入れよう」
ユカリアは慎み深く礼を言う。「ありがとうございます。北海に永久の栄光があらんことを」
次の瞬間、艶めく真珠の像と青銅像が浜に打ち上げられた。身につけていた喪服は朽ち果てていたので、ユカリは外套を引っ張り出して真珠質のアギノアを包む。
いつも面紗に覆い隠されていたアギノアの顔に昼間の月が映り込んでいる。睫毛の一本一本までもが真珠質に包まれて、ささやかに煌めいていた。
アギノアは真珠の瞳で周囲を見渡し、ユカリの顔を認めるとひしと抱き締める。
「ああ、ユカリさん。私をお救い下さったのですね。何とお礼を申せばいいのか」アギノアの真珠の唇が凍えたように震えている。そうして青銅像の方を振り返る。「ヒューグ?」
青銅像は本来あるべき姿、姿勢で横たわって、ぴくりとも動かない。
「いったいどうしたの?」とユカリは【話しかける】。
「どうしたもこうしたも気が付いたらこうなってたんだ。一体どういうことだ。というか娘さん。どうして俺と話せるんだい?」
答えているのがヒューグでないことは明白だ。魔法少女の【会話】の魔法で青銅像そのものが返事をしている、憑依しているはずの亡霊ではなく。
「ヒューグさん? いないんですか?」ユカリとアギノアは青銅像の両隣から覗き込む。「返事をしてください」
ヒューグの言葉は返って来ない。
勝手に昇天した? それとも魂だけ海へ連れ去られた?
「フォーリオンさん?」とユカリは呟く。「ヒューグさんはどこですか?」
「その薄汚い青銅像ではないのか?」とフォーリオンは答える。「他には知らんぞ」
ユカリはアギノアの方を振り返る。「いつからいないんですか?」
アギノアはかぶりを振る。「分かりません。海の中では何も見えず何も聞こえず、ヒューグがそばにいるのかどうかも分かりませんでした」
ユカリは悲し気な面持ちで項垂れる。「あの時、ノンネットによる昇天の儀式は失敗に終わったはずなんです。アギノアさんも昇天していない。ヒューグさんはいったいどこに……」
最もつらいはずのアギノアがユカリを慰めるように淡い笑みを見せ、冷たい手でユカリの手を取る。
「昇天していないならヒューグはまだ生きとし生ける者の住まう地上のどこかにいるということです。ユカリさんが気になさることはありません。私がきっと見つけ出してみせましょう。奇しくも手にした三度目の生、今度は大事に生きますから」
ビンガの港町の宿屋では再びレモニカの誕生を祝った。前よりもずっとささやかだが、アギノアとソラマリアも参加して、ずっと賑やかになった。
その後、ユカリたちはガミルトン南西の街東へと移動した。街は海が引いて後、すぐに人々が戻って再起していた。元々がお隣クヴラフワ地方の難民が多く、救済機構に救われたことで信心深い者たちはほとんど皆が予言を信じて高地へと避難していたらしい。
宿で四人部屋をとる。アギノアはヒューグを探すにあたってひとまず青銅像の元あった場所、カウレンの城邑の墓地を訪れるということでビンガの港町で別れたのだった。
「三度目の生か」とベルニージュが呟く。「生って何なんだろう」
「アギノアさんのこと? 確かに、何というかどっちつかずな状態かもね」とユカリは正直に答える。
ユカリとレモニカは寝台に腰かけ、ソラマリアは部屋の反対側の寝台に腰かけ、ベルニージュだけ部屋の端で椅子に座って、机の上に置いた真珠の刀剣リンガ・ミルから生じた三つの剣を検めている。
「わたくしは生きていると考えますわ」とレモニカは断言する。「むしろ何をもって死と見なせるのか分かりませんもの」
「魂を現世にとどまらせることができたなら……」とベルニージュは呟く。
ネドマリアのことを言っているのだとユカリには分かったが、喉の奥から何かが溢れそうになって口ごもる。
「魔導書にもできないことですわ」とレモニカは言って、寝台の上に置いていた『神助の秘扇』を持ち上げる。
長い沈黙の帳が降り、誰も何も言わないのでユカリは話の矛先を変える。
「それじゃあ、魔導書を完成させるよ」
「後悔しない?」何度となく自問した問いを再びベルニージュから聞かされる。「特に『神助の秘扇』を失うことについて。この先、救えたかもしれない命が必ず現れる、と覚悟しなければならない」
風の万能薬。これは以前に、元気ながら病弱な少女レンナを救った力だ。しかし、同時にこの力を求める者によって、その兄ハルマイトを死に至らしめた。
ソラマリアに確認したところ、ユカリとベルニージュが焼死寸前まで焼き尽くした首席焚書官グラタードは手足まで生えて完全に回復したらしい。
ソラマリアとの戦いでも助けられた。
「正直に申し上げれば」とレモニカが口を開く。「わたくしは反対ですわ。今の人類には不可能な治療を行える力を手放すなど」
ユカリも真摯に答える。「でも魔導書によって救われる命よりも失われる命の方が多い。『神助の秘扇』一つが救える数に対して、その三つの剣はあまりにも膨大な破壊をもたらす。私たちが持ち歩いていて、決して悪い人に奪われないとも保証できない」
「それはその通りだと思いますが。しかし……」レモニカはそれ以上言葉を紡げなかった。
「『神助の秘扇』一つをとってもそう。これを欲する人は沢山いる。それによって生まれる争いで失われる命の方が多くなると思う。数じゃないって言うかもしれないけど……」と言ってユカリはベルニージュと目を合わせる。
「ワタシは言わないけど」とベルニージュは言った。
「わたくしもそうは言いませんが」とレモニカは言った。
ソラマリアは何も言わなかった。
言わない理由は三人とも違うだろう。むしろ四人の中で「数じゃない」なんてことを最も言いそうなのが自分だ、とユカリは自覚していた。だから分不相応な覚悟をする。
魔導書よりも多くの命を助ける、と。
三人がそれぞれに魔導書を持って部屋の中央へと集まる。
『至上の魔鏡』
『珠玉の宝靴』
『深遠の霊杖』
『神助の秘扇』
『天父の魔剣』
『地母の聖剣』
『海童の宝剣』
「名前、大して変わらないと思うけどね。ワタシは」とベルニージュは言った。
「そもそも完成してしまえば個別の名前など意味ありませんのに」とレモニカは言った。
違いが分からない人はこれだから困る。
四人がそれぞれに品を捧げ持ち、触れ合わせた途端、ユカリの視界だけが真っ白に染まる。
溢れ返った光が後方へ過ぎ去ると、天地の別もない果てのない闇に包まれる。想像の果てに存在する無謬の夜空には三つの白星が輝いている。
自身の寄る辺ない心は闇の只中に漂っている。
心のそばには足の長い兎のような、耳の長い猫のような、尻尾の長い熊のような白い獣。それが暗闇の中でごろごろと転がっている。
いま忙しい?
「あ! 四冊目ププ!? 順調だねププ。この調子でお願いしたいププ。何か質問があるププ?」
どうして分かったの?
「いつも何かしら質問されるププ。ププは隠し事なんてしているつもりはないププ。でも何をあらかじめ教えておけばいいのか分からないププ」
一つだけある。
「どうぞどうぞププ」
私と魔導書って一緒に転生してきたはずだよね?
「その通りププ。疑問の余地はない真実ププ」
でもいくつかの魔導書は私が生まれる前から存在しているみたいなんだけど。それこそ何百年も前から受け継がれてるらしいものもある。
「ふむふむププ。それで質問は何ププ?」
いや、おかしいでしょう。魔導書が転生してくる前から魔導書が存在していたら。
「別におかしくないププ。現に時を超えて存在しているのププ」
時を超えて? どういうこと? その理屈を教えてよ。
「異世界だからププ。違う空間なのだから時間も違うのは当たり前ププ」
当たり前と言われてもね。
「たとえばある川から上陸して別の川に入るププ。上陸した地点と別の川に入った地点はどちらが川上でどちらが川下か分かるププ?」
分かるわけない、というか別の川に川上も川下もないよ。別の川だよ。
「そういうことププ。同じ世界に転生したからこそ他の魔導書が過去からある、と認識できるのププ。異世界に対して過去も未来もないのププ」
深い闇の底で見たそれは夢でも幻想でもない。ユカリにはそれが分かった。
「はじめまして」と少女はおずおずと言った。
「はじめまして」と心の奥底で出会った友達は瞳をきらきらさせて言った。
少女は舌をもつれさせて「私とお友達になって欲しい」と言う。
「私たちはもう友達だよ」と少女の友達は答える。「でも、まずはお名前を教えてくれる?」
少女ははにかんで、そして嬉しそうに言う。
「私はみどり。仲良くしてね」