「炎露、起きてるか…?」
俺にできる精一杯の優しい声で話しかけてみるが、返事は無い。
寝てるのか、起きてるのか、それすらわからない。
そっとドアに触れてみる。
酷く冷たくて、俺の着けてる黒の手袋越しでも、指が凍りそうなほどだ。
俺の冷たい体温ではこの氷は溶けてはくれないらしい。
「炎露。昼飯、ここの机に置いてるからな。腹が減ったら食ってくれ」
勿論、炎露からの返事は無い。
それでも俺は良かった。きっと、炎露はいつも聴いてくれているから。
心には届かなくとも、耳には届いている。そう信じてる。
何もできない自分にもどかしさや、怒りが湧いてくる。こんな感情があったとて、炎露の氷を溶かせるわけじゃないのに……。
「炎露、また来るからな…」
ドアの前で屈んでいたが、そっと立って、そう、一言だけ残す。
俺がこれ以上ここにいても、炎露が出てくる事は無いだろうから。
俺は持っていたもう一つのお盆に乗った料理を手に、津炎のいる部屋に向かう。
足が、鉛のように重たい。静かで冷たい家に俺の心臓の音だけが響いているような気がする。
最近忙し過ぎたから、疲れているんだ。
そう自分に暗示でも掛けるようにして言い聞かせながら、足を動かす。
ガチャ、ギィー。そんな音を立てて部屋のドアを開く。
金具が錆びたのか…?そんなふうに考えながら津炎の方に視線を向ける。
部屋に電気はつけられておらず、明かりが一切ない。
電源ボタンは部屋の中にあるのだから、自分でつけると思ったのだが、津炎は床にただ呆然と座っているだけだった。
ただでさえ、身長の低い津炎が床に座ると見下げるのも疲れる。
津炎も俺に気が付いたのか、こちらを見上げる。
5月でも、シベリアは冷える。
窓の隙間からは冷たい風が吹き込んでいる。
津炎の目は虚ろだった。何も感じていないかのように。いや、これは違うな。
何も感じないようにしているのだろう。
そりゃそうだ。敵国の捕虜になったのだから、何をされるか分かったもんじゃない。感情ぐらいは心の奥にしまい込むか……。