テラーノベル
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みことはいつも通り無表情のまま、鞄を抱えて教室に入る。
昨日のことが頭にあるのかどうかすら、外からは読み取れない。
自分の机に近づいた瞬間、ふと視線が止まる。
――机の上に、小さな花瓶が置かれていた。
中には淡い色の花が一輪。
まだ新しいようで、ほんのりと朝露のような香りが漂っている。
教室の空気は静かだが、周囲の生徒たちの視線がちらちらとみことに注がれる。
「……誰が置いたんだ?」
「……関わらない方が良いんじゃ……?」
小声のざわめきが、あちこちで生まれる。
昨日まで無反応なみことに悪戯を繰り返していたクラスメイトたちは、互いに視線を交わし、落ち着かない様子を見せていた。
花瓶がどういう意味のものか――誰もはっきりとは言わない。
みことは机の上の花瓶をただ見つめる。
表情は変わらず、無感情。
しかし、その瞳の奥で、わずかな揺れが生まれていた。
「……花……」
誰にも聞こえない小さな呟きを残し、机の端に花瓶をそっと置き直す。
それ以上の反応はなく、鞄から教科書を取り出し、淡々と席についた。
チャイムが鳴り、ざわめきが一気に収束していく。
先生が入ってくる直前まで、クラスの空気は奇妙な緊張に包まれていた。
机の上の花瓶。
誰も触れず、誰も言葉にせず、ただそこに在り続ける。
みことは無言のままノートを開き、黒板に視線を向けた。
花に視線を向けることもなく、しかし片隅に置いたその存在を無意識に意識している。
前の席の女子はちらちらと後ろを気にし、隣の男子は何か言いたげに唇を開きかけては閉じる。
「……やっぱり怖ぇな……」
「いやでも、あれってさ……」
小声は交わされるが、誰もはっきりとした答えを出せない。
昨日までみことに悪戯をしていた数人の男子は、ニヤニヤとみことを眺めていた。
___
黒板のチョークの音。
ページをめくる音。
それらが混ざり合う中、みことは無言で文字を書き続ける。
「じゃあ、ここの問題を解いてみようか」
チョークを走らせながら授業を進めていた先生の視線が、ふとみことの机に留まった。
机の端に置かれた、小さな花瓶。
生徒が持ち込むには不自然なそれに、先生は眉をひそめる。
「奏みこと。これは何だ?」
声が教室に響く。
生徒たちは一斉に息を呑み、みことへ視線を集めた。
みことはペンを握ったまま、ノートに文字を写している。
先生の声が聞こえていないのか、聞こえていても無視しているのか――判断できないほどに反応がない。
「教室に私物を持ち込むなと、いつも言っているだろう?」
先生は少し語気を強め、もう一度声をかける。
しかし、みことは目を伏せ、ただ文字を書き続ける。
顔の表情も、手の動きも、変わらない。
クラスメイトたちはさらにざわめき、互いに視線を交わす。
「……まただ……」
「全然反応しない……」
小声が広がるが、誰も止めることはしない。
「奏……! 返事をしろ!」
教師の声が教室に響く。
しかし、みことはノートに目を落としたまま、鉛筆を動かす。
表情は虚ろで、声は届いていないかのようだった。
「お前なぁ……!」
教師の額に青筋が浮かび、苛立ちが爆発する。
次の瞬間、机をガタリと鳴らしながら、教師の手がみことの腕を乱暴に掴んだ。
「立て!」
強く引っ張られ、みことの体がバランスを崩す。
椅子が後ろに倒れ、ガランと大きな音を立てて床に転がった。
みことはふらりと立ち上がる。
引っ張られた腕に痛みが走っているはずなのに、顔は無表情のまま。
虚ろな目で前を見つめ、声ひとつ漏らさなかった。
クラス全体が一気に凍りつく。
「……やば……」
「先生、引っ張りすぎじゃ……」
教師は息を荒げながらも、なお睨みつける。
「授業中に勝手なことをするな!人の話を聞いているのか!」
だが、みことは返事をしない。
微動だにせず、まるで人形のように立ち尽くしていた。
外からは無反応にみえるみことだが、内側ではずっと揺れていた。
――引っ張られた。
――椅子が倒れた。
音は耳に届いているはずなのに、どこか遠くで鳴っているようだった。
痛みも、恐怖も、心に届かない。
ただ、立たされて、前を見ている。
心の奥は空っぽで、何も反応できない。
たすけて
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