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これは私の妄想の世界です。そんなもの許せないっていう方は
このまま読まないでくださいね。
なんでも許せる方は、どうぞ…
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誓った時から真剣に、
地道に体力づくりをして早4年・・・
筋力アップも基礎体力も、
真面目にトレーニングジムに
通ったおかげか、
1時間ぐらいは
何も気にせず走ってられるし
色々な人に協力してもらって
どんな球でも打てるしとれる。
こればかりは家庭環境に感謝だな。
親に、
「俺、バレーボールがしたい。
でも、今の体じゃ思いっきり
楽しいバレーができないので、
基礎体力とか重視して
体を作りたい!」
と今までみせたことのない
真剣な俺の姿を見た両親は
めっちゃ感動して、
近くのトレーナーがいる
トレーニングジムへ
通わせてくれた。
さすが、
10代の成長期の子供の体!!
基礎がきちんとできると、
体は裏切らず筋肉も
ちゃんとついてくるもので・・・
こればかりは本当に
トレーナーがいるジムへ
行ってよかったと思える。
ただ、体形はよくても身長がね、
170cmくらいなんだよね。
中学生にしては高いかも?
だけど まだ成長途中と思いたい!!!!
牛乳をもっと飲んでやる!!!(必死
まぁ、そうは言ってもセットアップも
何とか思うところに
できるようになってきたし、
左右打ちも、まだまだ発展途上だが、
できるようになったと思う。
これは、もともとが
サウスポーだったのが
よかったと思う。
アメリカに来てからは、
右手のほうがいいかもって
親も思ったらしく
左から右手へスライドさせて
文字を書く時は
右手でさせられたけれど
やはり、ちょっとした動作のときは、
つい左手が出ていたし、
それに多分、肩関節が
人より柔らかいようで、
両方の腕がくるくると俺は回る。
「なんかオモチャのサルみたい」
相変わらずの語彙力の無い
TOMが言ってたな~
あいつ元気かな~
って、遠いアメリカを思い出した14歳
俺は、日本にいた。
父親が中近東に異動となり、
ちょっと危険な地域だからと
子供は連れて行かない
という選択をしたせいで
俺は日本に戻っていた。
ただ、子供だけで生活は
できないってことで
母方の祖父母がいる宮城県へ
移り住んでいたのだ。
そして通う中学校を決める時、
ちょっと?かなり?
俺の日本語が
あやういことが問題となり・・・
へ??いやいや、なんでやねん?
普通やんか~??
一生懸命、日本の漫才DVDを見て
日本語を勉強したのだが、
親を含めて従兄にまで
「ちゃんと日本語が
話せるようになるまで、
しゃべるな!!」
と言われるようになった…
関西人とケンカするのか、
敵に回すのか、
とかなんとか…
え~~
なんでやねん!
突っ込めや!
アラン君~~~ww
あぁ、こういう突っ込み隊長が
欲しかったのか、宮侑ww
今頃ハイキューを思い出す俺…w
とまぁ、
そんな日本語の怪しいやつが
日本の学校へ行って
敵?を作るよりかは
慣れた英語の方がいいだろう
と、祖父母の家からも近い
インターナショナルスクールに
編入した。
歩いて15分くらいだし、
通学は問題ない 。
ただ、やはり
インターナショナルって
日本にあるけど
アメリカよりの学校なんだな~
と、思えるのは
生徒の人気のスポーツが
アメフトかバスケだった。
日本だと、野球だよね…
そのため、アメフトや
バスケ部専用の体育館を含め
移動バスやらあって
スクールも二つのスポーツに
重点を置いているのがわかる。
他にもちゃんと
吹奏楽や水泳部もあったが
週末のゲームで生徒の親や
一般客も入っての試合となると
やはり収益からも
アメフト・バスケ
押せ押せムードだった…
学生試合でも入場料をとる
ことにも驚きだったが・・・
そんな感じなので、俺も
スクールの体育の授業が
バスケになっても
そんなに驚くこともなく
すんなり納得させられた。
まぁ、アメリカにいる時も
バレーよりバスケをしていたし、
俺自身もドリブルやパス、
たまにダンクをするぐらい
バスケは得意というか
好きだった。
自分がバスケがうまいか?
強いか?
どうかはしらないが、
一緒にやってた
TOMや そのほかの友達にも
NBAからのスカウトが
最近すごいと聞く…
うん、どうやら俺の周りにいた
友達はチート級のやつらだったらしい。ww
おかげで、授業でバスケをするようになって、
編入で入ってきた俺を
初めバカにしてた小学校から
持ち上がりのクラスの奴らも
何度か授業でバスケを
するようになって、
段々、俺を認めてパスを
回してくれるようになった。
うん、当初は、
よそよそしいような気を使われ、
腫れものにさわるような雰囲気で
仲間に入れない感じだったけれど
みんなとワイワイするようになって
仲間外れ?なにそれおいしいの?
って感じになったので
それは本当にバスケ
ありがとうなんだけど
最近、放課後は必ず
バスケ部に勧誘されるようになった。w
「たくみ~バスケしようぜ!バスケ!!」
「いや、ごめん、、
俺、バレーのほうが好きなんだよね、、」
「いやいや、バレーよりバスケだって!
絶対したら好きになるって」
「いや、バスケも好きだけど、
バレーのほうが好き率高くて…ごめん」
というのが毎日繰り返される俺の日常。
それに、放課後は自分のノルマと称した
従兄のとこの練習に混ざるのと
日本語を含め日本の学校の勉強のための
家庭教師と時間がとられるため、
正直、部活をやっている時間がない。
スクールが終わるとそっこ~で帰る
俺をみんなは
「何で?何があるの?どこ行くの?」
と さすが控えるという常識、
もとい、言葉がないスクールの友達・・・
すぐにそのまま直に聞いてくる。
そのたびに俺は
「日本の高校でバレー部に入るため」
と答えるのだが、
皆の頭になんで?
日本の高校?え?外部受験するの?
が浮かぶくらい、 どうも納得されない。
インターナショナルは、
一度入ると大学くらいまで
そのまま エスカレーターが
多いからだろうけどね。
そして、先日、
いつもの勧誘を振り切って、
従兄の練習に混ざった帰りの
ノルマのロードワークを行う途中に
町営体育館を見つけてしまった。
その体育館は人も少なければ
2時間100円という
なんともすてきな金額で
借りれる場所だった。
それからは、
従兄のところへ行かない時は、
ここで3~4時間、
バレーをしていくのが、
俺の日課となった。
そんな日々を過ごしていると、
俺の日常がもっと
楽しくなりそうなことが起こった。
その日は、従兄との練習がない日だったので
いつものように町営体育館にいって、
4時間分200円を払い 体育館へ入ると、
見慣れないやつがいた 。
(え!!!いや、ちょっとまって!
牛若じゃない??
まぢ…なんで??はぁ??)
俺の頭は絶賛、パニっく中!!!
いや、そうだろう
白鳥沢のエースと呼ばれてる人が
何しに町の体育館へ??
しかも、バンバン球を打ち込んでいる。
(は??ドッ◯リ??モニ◯リング??)
慌ててカメラを探してみるが
見当たらない←当たり前ww
(いやいや、落ち着け俺…
とりあえず、状況を知るためにも
話しかけてみるか・・・)
「あの~白鳥沢の牛島さんですよね??」
と、サーブ練で体育館中に
広がったボールを拾おうと
動きだした牛島さんに
声をかけてみた。
「そうだが、何か用か」
(おお~怪しんでる、怪しんでる)
「いえ、こちらで何を??」
「学校の体育館が使えなくなって
ロードワークしてたら天童が
ここを見つけて・・・」
「天童??「あ~~~若利くん、
ちょっと待ってて!って言ったよね俺、」」
人が???になっていると、
これまた元気な声が入口から聞こえてきた。
(うわ、真っ赤な頭って
ある意味、すごい…
って、サトリじゃんww)
と、強烈な髪の色と声の登場に驚いて
立ち尽くしていたら
「若利くん、もう!
一人ですぐに始めるんだから
白布もセミセミも準備できたら
来るんだから、
もうちょい柔軟しててよ」
「あ、すまん、もう十分に温まったから…」
「いや、うん、わかってはいたけどね・・・
で、その子だあれ??」
(え、ここで俺??と、
ポツンと牛島さんの横に立っていた
俺にくるの??)
グリンと顔が動き、
探るような感じでサトリに
見つめられる。
「あ、すみません。
俺、ここでいつも
バレーやっている者で・・・
こんな場所にバレー界で有名な
牛島さんがいるって
ことにびっくりしている、
正真正銘ただの一般人です。」
と元気に答える俺に
天童さんは大爆笑した。
「え~ そんな体で
一般人とか~~~www
しかも、若利くんだけ有名なの??
それは残念~
一応、俺も有名と思って
たんだけどなぁ…
ま、いいや。
ん?なら、君、
一人なの?ポジションは?」
「いえ、ここでは一人でやってたので、
ポジションというものはなくて
あぁ、リベロとセッターではないです。」
「そっか~なら、俺らと一緒にバレーしない??」
「え、いいんですか。うれしいです!
ぜひ参加させてください」
と、とんとん拍子でバレーをすることになった。
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