声を振り絞って話してくれたのか、小さい声で彼女は話し始めた。 もちろん俺は「なんでも聞いて下さい」と返事を返した。
「じゃ、じゃあ聞くんだけど……私の事いつから好きなの? 入社した日から……だよね?」
ん? 俺が真紀の事を好きって事をもしかして信じ切れていないとかか?
確かに出会い頭にキスをしてしまったしな……
「あー……、ん、まぁ真紀に好きだと伝えたのは入社したその日だったんですけど、その……これから言う事、聞いて嫌いにならないでくださいね……」
「もちろんよ」
彼女と同じ会社にやっとの思いで入社できて、すぐに告白した。その時にちゃんと言えばよかったのかもしれない。貴女のことがずっと、ずっと昔から好きでした、と。でも本当に些細な事で彼女はきっと俺の事なんか覚えてないだろう、それが怖くて言えなかった。
それでも今彼女がこんなにも不安に押しつぶされそうになっているのなら、俺のプライドなんてどうでもいい。
「……じゃあ言っちゃいますと、俺が真紀の事を好きなのは八年前、まだ俺が高校生だった時からです」
「……え? だって会ったことないわよね?」
キョトンと驚いた顔で俺を見つめている。訳の分からない俺の話に動揺しているのだろう。やはり覚えていなさそうな反応だ。
覚えていないとわかっていても、いざ本人に覚えてない反応を取られると凹む。
彼女の手を取り寝室に連れてきた。ここにずっと彼女に隠していたものを置いてある。
本当はずっと言うつもりはなかった。俺にとっては人生を左右するほどの大きな出来事だったが、彼女にとっては記憶の片隅にも残ってないほど些細な出来事だったのだから。
それでも彼女が不安になっている今こそ、俺の事を知りたがってくれている今こそ話すべきなのかもしれない。
八年前の本当に些細な出来事を。
「これから俺の過去について長々と話しちゃいますけど……真紀を好きになったきっかけは本当に些細な出来事だったんです。その出来事が俺にとってはとても重要でガラッと人生が変わりました。人生の分岐点だったのかも」
産まれてすぐに施設に入った俺は親の顔なんて知らない。誰に産んでもらったのか、誰と誰との子供なのかなんて全く分からず、施設にいる事が普通、そう思っていた。
子供ながらに親がいない事を理解していたのか全く寂しいという感情は湧き出てこなかった。
むしろ寂しいって何? 美味いの? レベルだったと思う。
施設には色んな子供達がいて俺と同じように親に捨てられた子もいれば、不慮の事故で両親を亡くしてしまった子もいた。
大体そのような理由がある子達はこの施設に入るときは大泣きをし「お家に帰りたい! 嫌だ!」とか言って泣き喚いている子が殆どだった。
俺はそんな子を見ても何とも思わなかった。なにこいつ泣いてんだ? としか思わなかった。
今思えばかなり感情的な物がかなり欠けていたんだと思う。
そんな中で誠がこの施設に入ってきた。
俺と同じで親に捨てられたらしい。物心もついている十歳、親に捨てられたという事実が受け入れられないのか誠は荒れ狂うように泣き叫び、帰らせろ! ママに会わせろ! と泣き狂っていた。
そんな誠を見ても俺はうるせぇな……としか思えなかった。
たまたま俺と誠は同い年だったので寝る部屋を一緒にされた。正直あんな泣いてうるさい奴と一緒とかだりぃ、としか思えなかった。
誠は泣きながら俺の使っている部屋に入ってきた。
「……松田大雅、よろしくな」
「……グスッ、清水誠」
名前だけ教えたのでもういいだろうと思い立ち去ろうと立ち上がった時に誠に腕を掴まれた。
「……何?」
「俺って母さんに捨てられたのかな……」
やっと少し落ち着いたと思ったら矢先にまた目に涙を溜めて俺に聞いてきた。
そんなもん知らねー! と突き放してしまいたかったが部屋に入る前に施設の先生に優しく仲良くしてあげてね、と釘を刺されたばかりだった。
「まぁ、そうなんじゃね?」
俺なりにオブラートに優しく言ったつもりだった。なのに誠はうわーんと更に大きい声で泣き出した。
「ったく、俺だって産まれた時に親に捨てられてるんだから十年育ててもらっただけいーんじゃねーの?」
「……赤ちゃんの時から一人なの?」
鼻を啜りながら涙を部屋に置いてあったティッシュで拭い、驚いた表情で誠は俺を凝視した。
「そうだよ、俺は零年だけど、お前は十年なんだからいーじゃねーかよ、うるせぇからメソメソ泣くな」
「……うん」
この日から誠が泣き叫ぶように泣く事は無くなった。
それからと言うものの誠は金魚の糞のように俺の後をついて周り、猫のように俺の前で甘えるようになった。
小学校でもクラスが違うのにも関わらず休み時間のたびに俺のところへきて朝も帰りも一緒。
俺と誠は揶揄うのが大好きな幼稚な小学生の恰好の餌食だった。
あいつら男同士なのに付き合ってる。
あいつら施設で暮らしてて親がいなくて可哀想
あいつら貧乏なんだぜ。
あいつら、あいつら、あいつらと何かと俺と誠は二人セットで揶揄われていた。多分イジメの対象にされていたのかもしれない。何を言われても俺は本当にこいつら馬鹿だな、としか思えず特に腹が立つとかはなかった。
誠はかなり気にしていつも泣きべそをかいていたがグッと手を握りしめ口をムッとつむり誠なりに頑張って耐えていたのだろう。
けれど限界が来たのか一人の男子生徒を思いっきり殴ってしまったのだ。
かなり先生に怒られたが誠がその事件を起こしたおかげでいじめも少なくなり、噂も七十五日と言って暫くすれば揶揄う奴もいなくなった。
それからは至って普通の毎日だった。
かと言って友達が増えた訳でもなく常にくっついて来る誠と二人だった。
そのまま小学校は卒業し、中学に入学した。
中学生になると一気に周りにカップルが増え、俺も告白は何度もされた。けれど付き合うとかよく分からなくて面倒くさいし、まず好きという感情がよく分からなかった。
誠に好きとは何だと聞いてみた事があった。
「心臓がドキドキして、一緒にいて幸せな気持ちになる人とかかな」なんて少し照れて言うので好きな人がいるのかと思ったら「居ないよ! 」と誠は全力で否定してきた。
特に部活動に入部する訳でもなく、学校が終わったら真っ直ぐ施設に帰り年下達の面倒を見るの日々の繰り返し。何も変わらず誠と二人、中学三年間過ごしてきた。
中学三年になり、受験モード真っ只中。
俺は一番お金のかからない歩いて通える距離の公立高校を受験し、誠も一緒の高校を合格した。
高校生になりアルバイトを始めた。少しでも自分のお金は自分で稼いでいつかこの施設を出て行く時のために貯金もしておきたいと考え、施設の近くの文房具屋でレジ打ちや、商品の品出しなどをしていた。
うちの施設の子供も大抵はここで文房具屋を買うのでしょっちゅう施設の子供達が買い物に来る。
高校三年の夏。
特にやりたい事もなかった俺は就職組だったので夏休みは毎日アルバイトに励み独立資金を貯めていた。
「こんにちはー!」
明るく大きな声で店内に入ってきた女性に俺は一瞬で目を奪われた。
外は燃えるように暑い炎天下。頬を真っ赤に染め上げ額に薄らと汗をかいている女性。
艶やかで綺麗な真っ黒の長い髪の毛を一つに縛っていたのでつい頸が綺麗でみ惚れてしまった。
息をするのを忘れるくらいにーー
「あの~アルバイトの方ですか? 店長さんはいらっしゃいますか?」
そう話しかけられ俺の心臓がドキドキといつもより大きく動き出した。
(な、なんだこれ……)
「あ、店長は今留守で、あと一時間程したら戻ると思います」
心臓の動きは早くなる一方で、段々と身体の体温も上昇しているのか熱くなってきた。
(熱でも出たかな……)
「そうですか、じゃあ少し店内を見ながら待たせてもらっても宜しいですか?」
彼女はこの狭い文房具屋の店内を隅々まで見渡していた。(狭いって言って店長すいません)
この空間に俺と彼女の二人きりだと思うと息をするのも苦しいくらいだった。
真剣な表情でうちの店に置いてある文房具屋を見ながらなにかブツブツと呟いている彼女。
その姿は今でも鮮明に覚えている。
「ただいま~」
大きな声で戻ってきたのは紛れもなくこの店の店長だ。身体が大きくクマさんみたいな見た目なのでお客さんや子供達からはクマさんと呼ばれている。
「店長、お客さんが来てます」
彼女は背筋をビシッと伸ばし挨拶を始めた。
凛とした横顔で仕事の話を真剣に楽しそうに話す彼女に俺は釘つげだった。
なんでも商品の売り上げデータを見させて欲しいとの事で売り上げデータを確認し、彼女は帰って行った。
店長が貰った名刺を見せてもらい会社名も名前も知った。
水野真紀さん……
バイトが終わり施設に帰る。彼女が現れて以来俺の頭の中は彼女のことで頭がいっぱいだった。
朝起きて一番に思い出す彼女の凛とした横顔、授業中、飯を食べている時も、お風呂に入っている時も、眠ろうと布団に入っている時も思い出してしまう。
次はいつ来るのだろうか。
また会いたい。
こんな事ばかり考えていたのに彼女は一ヶ月経ってもお店にくる事は無かった。
もう会えないのか……と落胆した日々、それでも毎日朝はやってきて学校に行き、帰ってきたらバイトに向かった。
「いらっしゃいませー」
「こんにちはっ! 今日は新商品を置かして頂けるとのことで商品をお持ち致しました」
突然の彼女の登場に思考回路が追いつかなかった。何も返事を出来ない自分に彼女は「店長さんからは許可を貰っているのでちょっと売り場を作らせて頂きますね」と言い黙々と作業を始めた。
今日来るなら来るって前もって教えておいてくれよ、と店長を少し恨んだ。そしたらもっと髪の毛もビシッと決めて少しでも彼女にカッコ良く見せたかったのに。
彼女の真剣な横顔を見ていると吸い込まれそうなにる。
今日話しかけないともう会えないかもしれない、そう思っているのになかなか言葉が出てこない。喉の奥に何かが詰まっているかのようだ。
聞きたい事、言いたい事はあれほど毎日考えていたのに、いざ本人を前にすると何も言えないただの子供だ。
「よし! 終わりました! この度は我が社自慢の文房具を置いてくださりありがとうございました。 店長さんにもよろしくお伝えください。あとこれよかったらサンプルなんで使って下さい、松田くんって学生さんでしょ? よかったらどうぞ」
ドクンと身体の中で心臓が一発大爆発。なんで俺の名前を!? と思ったが視線の先は俺の胸についているら名札。成る程と納得するも俺の心臓は爆発の後遺症かドクドクと小刻みに早く動いている。
どうぞ! と彼女の手から渡された物をそっと手で受け取る。
触れそうで触れないもどかしい距離で受け取った物は消しゴムだった。
「これものすっごくよく消えるから! じゃあお疲れ様でした」
「あ、ありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました!」
彼女は深々とお辞儀をし、店を出て行った。
彼女が帰った後もドキドキと鳴り止まない心臓。
彼女から貰った消しゴムを握る手が熱い。
レジに戻り店内を見渡すと何か四角い物が床に落ちていたのを見つけ拾ってみると彼女の社員証だった。
マーケティング部、水野真紀
まだ間に合うと思い急いで彼女を追いかけた。
するとすぐ店の近くで泣いている子供と話している姿を見つけた。
スーツなのにも関わらず膝を道路につけ子供の目線で話し、泣いている子供の頭よヨシヨシと撫でていた。それはそれはとても優しい眼差しで。
俺は暫く話しかけられないでいた、あまりにも美しい光景だったからだ。
それでもハッと我に帰り彼女と子供の元へ駆け寄り落としていた社員証を渡すと彼女はとびきりの笑顔で「ありがとうっ!」とお礼を言い、子供にも「次からは気をつけなよ、バイバイ」と手を振りながら帰っていった。
買ってばかりの消しゴムを落として泣いていたところを彼女が慰めてくれ俺と同じサンプルの消しゴムを貰ったそうだ。
彼女の笑顔を思い出すと胸を締め付けられているように苦しい。
俺は彼女に恋をしていたんだ――
また一ヶ月くらいたてば彼女がまたひょっこりと商品を持って現れるんじゃないかと期待していた。
「こんにちはー!」
声が違うと分かっていたがバッと振り返るとそこにはスーツを着た他の女性が立っていた。何でも水野真紀さんは代理で前回商品を届けてくれただけでこれからは営業の私が担当致します、と言っていた。
えーー
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