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その涙は正真正銘、心からのものだった。
僕は生まれつき耳が聞こえないハンディを背負いながら生きていたが色々なことがあった。
両親からは大事に育てられてきたがなかなか、理解されない障害ではある。そんな障害を、隣の席の妹さんが持っていたとは思いもしなかった。逆に共感を覚えたまでであった。
僕の場合は、いじめられたりなどはあったけどそこまで気にしないたちだった。なぜなら、目を閉じればなにを言っているかなんて分からないからだ。それか、後ろから何か言われている時か。
だから僕ば都合の悪い時は目を閉じるか、逸らすそうすると自ずと口の動きが見えなくなるからだ。
例えば、叱られている時だ。僕は賢いと言われるがずる賢い一面がある。家のお湯をたく蛇口を壊した時、話しては行けない場面で話してしまった時、お小遣いが欲しくて黙って親の財布から1000円札を抜いた時など。
ずる賢いというより、仕組みが知りたいという方が確かだ。ペンの中身を解体したりして、こっぴどく叱られた時は最悪だった。
2時間くらい叱られたとってもその時怖かったけどなんで、なんで叱られているのかはあまり理解出来ていなかった。
叱ると怒るでは、意味が違う。なぜなら、叱るは相手のため。怒るは自分の感情に振り回されてるだけだからだと思っているからだ。
ちなみに僕はこんな風に面白くない授業中は、頭の中で想像を沢山して落書きしたり、テストの余った時間では文房具武道大会を机上で開催したりとしている。なぜなら、早く時終えるからだ。暇を持て余した挙句の果てに、寝る笑
寝るということは。とても効率がいい
最高な場合は夢だって見れるからだ
でもよく、僕はお前の脳内が見てみたいとか、不思議だとか言われるけど僕はそれを肯定的に捉えている。てなところで僕らの、実力テストが終わりを告げたやめっと。言う合図で終わりを告げた。
もちろん落書きは消した。
ところで僕は文章能力が豊かだ、小説、漫画が好きだからか。国語の波多野先生と3年生のよく知らない社会の山川先生から推薦というかおすすめを受けて。秋の小論文大会に応募することにしたすると、見事に入選を果たした。題名は、「本当に大切なものとは」だ。
今の現代社会はスマホに囚われすぎていて、あまりにも縛られている。アメリカの研究では、