突然、見知らぬ少年の口から出てきた言葉であるループ――くり返し。
目の前に現れた少年は、ヴァレナが何度も死に、聖女として覚醒した直後に時間が戻っていることを知っている――ヴァレナはそう感じた。
「僕も全部知ってるわけじゃないけど……聖女の力を得た時間に戻ってるんだよね」
「そう……だけど……なんで、それを」
「ならたぶん、そのまま聖女になるしかない」
ヴァレナの問いを無視して、絶望的な言葉を突きつけてくる少年。
「そ、そんな……」
「そこまで聖女になるのが嫌なの?」
聖女の役目の末路は、生贄という死。
それがわかっているのに、聖女を続ける意義が今のヴァレナにはない。
「このまま、聖女の役目から逃げても死ぬだけなのに、他に方法なんてないんじゃない?」
「っ」
絶望と悲しみで何も言えなくなったヴァレナに対し、見てきたように容赦なく切り捨てる少年。
(この子、何者なの……?)
喉が締めつけられ、様々な気持ちがぐしゃぐしゃになったヴァレナは、その気持ちから逃れるように少年を見据える。
「……」
ふと、少年はバツが悪そうに視線をそらした。
「アンタが死ぬまでに何があったか、詳しくは知らないけどさ」
戸惑いを滲ませた顔で、少年は視線をそらしたまま口を開く。
「今度は、自分が生きるために行動すればいいんじゃないの」
やけに、気まずそうな言葉だった。
その言い方も不可思議だが、自分よりかなり幼いはずの少年の言葉とは、とても思えない。
とりあえず、ヴァレナは思ったことを口にする。
「そ、そのために色々やった結果、ずっと死んでたんだけど……」
「そういうことじゃなくて……聖女として、死ぬのを回避するんだよ」
「聖女と、して……?」
一瞬、言われていることの意味がヴァレナにはわからなかった。
「あ~……クソッ!」
「えっ!?」
「僕もなんで自分がこんなことを言ってるのかわからない!」
「自分でもわからないこと言ってるの!?」
「わかんないね! でもアンタにそう言わないといけない気がしてる! ほんっとわけわかんない!」
突然キレ始めた少年に、ヴァレナは毒気を抜かれて呆然とする。
「アンタは僕にとっても意味不明だから……また会いに来るよ」
「え……ええ?」
「じゃ」
そう言うと、少年は外套を翻して走り去ってしまった。
「あ、ちょっと、待って――!」
子供の足なので追いつくはず――と思ったヴァレナだったが。
「もう、いない……?」
建物の角を曲がったところで、少年は姿を消していた。
「あの子、なんだったんだろう……」
思わず呟いてから、改めて思う。
(聖女として、自分が生きるための行動……か)
聖女は、最後には死ぬ――ヴァレナにとっては、それが逃れようのない結末だと思っていた。
だが、聖女として行動することで、その結末から逃れられるかもしれない――そんな可能性を、ヴァレナは初めて認識した。
(何を、どうしたらいいんだろう……)
ふと思い出されたのは、聖女にとって欠かすことのできない存在――聖獣騎士たち。
生贄として死ぬヴァレナを、聖獣騎士たちは誰一人として気遣うことはなかった。
最初はそのことがただ悲しく、腹が立っていた。
だが、何度も聖女の役目――そして死から逃れなかった今は、少し気持ちが変わっていた。
(無理やり嫌なことをやらされるって、こういう気持ちだったのかな……)
そう思ったことで、今の自分にできることを――思いついた気がしていた。
(無理やりじゃなくて、ちゃんとあの人たちの力を借りられたら、もしかしたら……)
どこの誰かもわからない、怪しげな少年の言葉に背中を押されたヴァレナはこのとき――聖女の役目から逃げるのをやめた。
(まずは――ちゃんと聖女をやることを、受け入れなきゃね)
◆
それからヴァレナは、逃げ隠れするのをやめた。
自分を探す孤児院の神官たちの元へ戻って逃げ出したことを謝罪し――聖女になることを、受け入れた。
「――食事の前の祈りのとき、見たことのないイメージが頭に入ってきて混乱した」
そう説明することで、孤児院の神官たちを納得させることができた。
祈りの最中、聖獣騎士ヨシュカの存在を感じ取ったことに戸惑った、ということにしたのだ。
元々ヴァレナが、孤児院で真面目に日々生活を送っていたことも、無関係ではないだろう。
その後神殿に移動したヴァレナは、遅れてやってきたヨシュカを、聖獣騎士として覚醒させた。
「――これから正式な聖獣騎士としてよろしくお願いしますね、ヴァレナ様」
「……はい」
(私この人に何度も殺されたようなものだから、笑顔が引きつってないかすごく心配……!)
「顔色が悪いようですが、体調が優れないのでしょうか?」
「い、いえ……このような大役を、私が全うできるかどうか……心配で……」
「最初の聖獣騎士となった私、ヨシュカ・シュラゲンエサーが補佐をさせていただきます」
「……はい」
ヨシュカへの恐怖心を抑え込みながら、ヴァレナは必死に笑顔を作った。
◆
十日後――ヴァレナは王宮に向かう馬車の中にいた。
揺れを最低限に抑えられた馬車から外を見ると、木々の間から王宮が小さく見えた。
(今日、王宮に到着するはず)
過去世の記憶だけではなく、今日はすでに聖女の正装をするよう言われていたからだ。
修道女の服に似たワンピースに、裾の長いベール状の帽子をかぶっている。
白を基調としているが、襟や額に当たる布部分といった一部は薄い赤色。
――ヴァレナが生贄として祭壇に立ったときと、同じ服装だ。
(……これでもう、聖女の役目からは逃げられない)
聖獣騎士を集めて儀式を行い――生贄となる旅が始まってしまった。
死んで時間が巻き戻っても逃げ切れなかった、聖女の役目。
そして今、王宮に向かう中思い出されるのは――最初の人生で、自分の死を願った聖獣騎士の一人。
『……このために、俺たちを無理やり引っ張って来たんだろ。早く終わらせろよ』
『おい、お前も何か言ってやったらどうだ。聖女サマの最期だぞ』
聖獣騎士の中でも、特に口が悪い青年――シュヴェルト王国第三王子であるレオン・シュヴェルト。
(聖女として死なないようにするためにも、まずは第三王子を聖獣騎士にしなきゃ……)
これからの行動を確認する中で――
『今度は、自分が生きるために行動すればいいんじゃないのか』
ふと浮かんだのは、名前も知らない少年の言葉。
(自分が生きるために……か)
それがどういうことなのか、今のヴァレナにはわからなかったが――
(まずは聖女として死ぬ前に、力を貸してもらえるようにすることから……始めよう)
決意を込めて、ヴァレナは小さく拳を握った。
「――ヴァレナ様」
その直後に声をかけられ、ヴァレナはビクリとした。
窓から馬車内に視線を戻すと、向かいに座るヨシュカの姿が目に入る。
「今日中には、王宮に到着して謁見を行う予定です」
見慣れた神官服に、整った顔立ちに物腰の柔らかな笑顔なのもあって、何も知らない人が見れば安心感すら抱くだろう。
(今回は何もされてないのに……まだ怖い……!)
しかしヴァレナは、ヨシュカの存在そのものが恐怖でしかないのだった。
(ちゃんと聖女らしくしてれば、殺されることはないはずだから……落ち着けヴァレナ!)
「……ヴァレナ様? 聞いてらっしゃいますか?」
「す、すみません! も、もう一度だけ、説明していただけますかすみません!」
「そんなに謝る必要はありませんが……王宮に向かうので、緊張されてますか?」
「そっ……そうですね! 緊張してます!」
(あなたが怖すぎて緊張してるんだよ!)
ヨシュカ本人への恐怖や緊張を、内心で叫ぶことでなんとかその場を凌ぐ。
「でも、もう大丈夫です……もう一度お願いします」
「わかりました」
特に気にした様子もなく、ヨシュカは咳払いをして仕切り直した。
「これから向かう王宮には、二人目の聖獣騎士がいます。それは移動の初日に説明しましたね」
「第三王子の、レオン殿下ですね」
「はい。彼は王族の中でも序列が低く、第一、第二王子に比べると能力もないこともあって、粗暴だという話です」
(確かに……口が悪かった)
ヴァレナが生贄となって儀式が完了すると知ったときも、すべてを知っていたと思われるヨシュカの次に、それを望んだ聖獣騎士だった。
(……無理やり旅に連れてきたのは事実だけど、あそこまで言われる筋合いはなかったと思うんだけど!? そもそも王族が国の危機を救う旅に出るのを渋るってどうなの!?)
レオンの言動を思い出し、少し腹が立ってくる。
ヴァレナがそんな心境の間も、ヨシュカの話は続いた。
「――なので、謁見時にすぐに彼を覚醒させてください。覚醒さえさせてしまえば、巡礼の旅に連れて行くのは容易い」
その話を聞いた瞬間、ヴァレナの胸から怒りが消えた。
今の自分の状況を、改めて思い出したからだ。
(初めて聖女になったときも……この人は同じことを言ってた)
「聖女の力で完全に覚醒した聖獣騎士は、聖女の命令に逆らえなくなります」
聖女による聖獣騎士の覚醒は、聖女巡礼において必須の条件だ。
覚醒した聖獣騎士の力を必要としていることが大きな理由だが――同時に、聖女が聖獣騎士に強制力を持つことも大きい。
「もちろん『自害しろ』というような命令はできませんし、精神を操ることもできませんが……巡礼に連れて行くには充分でしょう」
「……」
いつの間にか下を向いていたヴァレナは、ベールの裾を強く握りしめていた。
(無理やりは……嫌だよね……)
死ぬ運命から逃れられずにいる今のヴァレナの状況と、ヨシュカの指示通りに動いた結果の聖獣騎士たちの状況は――酷似している。
「……あの」
口を開いたヴァレナは、ヨシュカに対して了承の言葉を返すことはなかった。
「なんでしょうか?」
「それはつまり、すでに聖獣騎士として覚醒しているあなたにも、何か命令できる……ということでしょうか?」
「……は?」
ヨシュカからすれば予想外の話の流れだったのか、気の抜けた声が返ってくる。
「念のための確認です。他意はありません」
ヴァレナは、最初の人生では何度も見せた――上品な笑みを浮かべた。
(初めて聖女になったとき、この人にだけは聖女の強制力を使わなかった。使う必要がなかったから)
ヨシュカは最初の聖獣騎士であり、聖女巡礼に協力的だった。
ヴァレナとの利害が一致しており、聖獣騎士を集める際にも様々な手助けをしてくれていた――だから、何かを強制する必要がなかったのだ。
(だからもう、覚醒させたこの人に怯える必要はない。私は、私がやろうと思ったことをやればいい)
決意を新たにしたことで、ヴァレナは少しだけヨシュカへの恐怖が薄れた。
◆
王宮に到着すると、丁重に応接間へ通された。
中には、すでに人の姿がある。
「ようこそ、シュヴェルト王宮へ」
オレンジに近い明るめの赤の髪を持つ、二十代前半か、半ばくらいの青年だ。
言葉同様に口元に笑みを浮かべ、歓迎しているようにも見えるが――目は笑っておらず、口以外は無表情に見えるのが奇妙だ。
「身体の悪い陛下の代理、エゴン・シュヴェルトだよ」
「お目にかかれて光栄です、第二王子殿下」
ヨシュカが笑顔で丁寧に頭を下げると、ヴァレナも倣って会釈する。
「そちらが聖女か」
「ヴァレナと申します」
「うちの弟が、これから世話になるね。まずはかけてよ」
ローテーブル前のソファを勧められ、ヨシュカと共に腰を下ろす。
「第二王子殿下、知らせによれば聖獣騎士は第三王子殿下だと聞いておりますが」
(そういえば、確か……)
ヨシュカの言葉で、前世でのこの場面のことを思い返そうとしていたヴァレナだが――
廊下から大きな足音がしたかと思うと、ノックもなしに応接間の扉が開いた。
「――待たせたな!」
姿を現したのは――大男だった。
暗い赤髪を刈り上げた短髪に、筋骨隆々な腕には――赤毛の獅子が担がれていた。
(もう一回見たらやっぱり情報量が多い!)
この光景を見たのは二度目だというのに、ヴァレナは動揺のあまり目を見開いた。
直後、大男が担いでいた赤い獅子をポイッと床に放り投げた。
『ふぎゃっ!』
たてがみが立派な赤い獅子は、そのまま絨毯の上に転がる。
その際に出た声は、ヴァレナにだけはしっかり届いていた。
「シュヴェルト国第一王子、ヒルデブラント・シュヴェルトだ。よく来てくれた」
豪快に自己紹介をするヒルデブラントに、ヨシュカも少なからず動揺を見せながら立ち上がる。
「お会いできて光栄です、第一王子殿下」
「神官に、聖女だな」
「は、はい」
第一王子の見た目の圧に耐えるヴァレナだったが、ふとあることを思い出した。
(そういえば……第一王子って、第三王子が巡礼に出てしばらくしてから、事故死したんだよね……)
巡礼の途中で立ち寄った町で、そういった知らせを耳にしたのだ。
肩に担いだ獅子を平然と放り投げ、快活に笑う筋骨隆々の男に、事故死という言葉はそぐわないように思った。
(他の聖獣騎士から、「王宮に戻らないでいいのか」って言われてたけど……巡礼儀式を優先させたっけ。第三王子も、べつに戻りたそうにもしてなかった気もするけど――)
などと思っているうちに、ヨシュカが絨毯に座り込んでいる赤い獅子に視線を向けた。
「……この獅子が?」
「ああ、見ての通り獅子の聖獣を宿した聖獣騎士だ」
ヨシュカの問いに答えながら、ヒルデブラントはエゴンの隣に並ぶ。
「うちの代で、王族から聖獣騎士が出るなんて光栄なことだ。なあエゴン」
「そうだね……まぁ、私や兄上じゃなくて助かったけど」
「だなぁ。直系の中じゃあ一番時間を持て余していたしな」
(……この会話も、たぶん前に聞いていた)
ハッハッハッと笑うヒルデブラントとエゴン。
ヴァレナはふと、視線を獅子――第三王子・レオンに向ける。
「……」
立派なたてがみはあるものの、まだ若さを感じさせる毛並みは、レオンがまだ二十歳の若い青年だからだろう。
動物の表情を見分けられる自信はないヴァレナだが――床に視線を向ける獅子は、不貞腐れているように見えた。
「さて、ではヴァレナ様。早速、聖獣騎士の覚醒をお願いします」
ヴァレナがレオンを見ているのに気づいたからか、ヨシュカが声をかけてきた。
(――来た)
それを機に、ヴァレナは改めてある決意を固める。
ソファから離れたヴァレナは、レオンの前に歩み出た。
「初対面の私が殿下に触れるのは無礼かと思いますが……どうかお許しください」
ヴァレナはあえて、最初の人生のときとほぼ同じ言葉を使った。
王族を前に、最低限の礼儀を払う必要があるのは当然であり――
(聖女を降ろされないようにするためにも、できるだけ聖女らしく見せておかないとね)
『……勝手にしろよ』
レオンの不貞腐れた声がヴァレナの頭に響く。
(最初の人生で覚醒させたときは、あっさりだった。でも)
ヴァレナは座り込んだままの獅子の額に、手を置く。
(――今回は、あっさり終わらせるつもりはないよ)
覚悟の言葉と共に――ヴァレナから放たれた淡い光が、赤い獅子を包み込んだ。
ヴァレナの放った光が赤い獅子を包むと――次の瞬間、青年が座り込んでいた。
長い赤髪を後ろで束ねた、三白眼の青年――第三王子のレオン・シュヴェルトだ。
「……」
人の姿に戻ったレオンは、呆然と自分の両手を見て改めて姿を確認している。
「? もうレオンの覚醒は済んだのか?」
「意外とあっさりなんだね」
レオンを眺めながら、意外そうにヒルデブラントとエゴンが言うと――
「――どういうつもりですか、ヴァレナ様」
刺すような冷たい声のヨシュカが、笑顔を残したままヴァレナを見据えた。
一瞬、聖女の役目から逃げたときのヨシュカを思い出す。
(でも――あっさり終わらせない、って決めたから)
内心で自分を奮い立たせたヴァレナは、笑顔でヨシュカの視線を受け止めた。
(次回へつづく。)
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